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だれのだれとわたしと卒業式

すごく満たされている。
大好きな人達に会えるだけでこんなに満たされるんだっけ?を改めて考えてしまう。

大学生活を、あの時間を、ちゃんと愛せていたんだろうなぁと振り返る。
バタバタで新生活やら卒業制作の後始末や引き継ぎで、まっったく卒業したという実感を感じられなかった今年の3月。
隣に居ると思っていた友人たちが居なかったことも、ヌルッと始まった新生活も、忙殺され過ぎていたこの日々も。
どこかで、ちゃんと、「もう終わってるんだよ」を自分の中で感じられないといつまでも私の亡霊は大学に居たのかも。

金色の学位記を持って、みんなで大好きな鏡池の前で写真を撮って。
たくさん辛くて、たくさん泣いて、でもたくさん笑って、たくさん分かちあった友人の満足気な笑顔を見ていたら、私の方が泣きそうだった。
自分の卒業式なんかで1度も泣いたことの無い薄情な私が、他人の卒業式で泣きそうだった。

自分の感情が揺れる瞬間ってそんなもんなのかもしれない。

人は思い出が心の拠り所になる、って言葉をなんとなく反芻しながら帰路に着いている。
大好きだった、がらんとした大学をまた歩けたことも、つい昨日のような感覚で友人たちと話せたことも。当たり前があたりまえじゃなかったと思っていたから。ずっと、今日、ちょっと無理をしてでも帰ることが出来たのは1日以上に価値があっただろうなぁと思える。きっとそんな気がする。

会えていなかった、イレギュラーな時期の卒業式を迎えた彼女たちが寂しくないように、と思ったけど私の方がずっと寂しかった。卒業した面々を中心に声をかけ、メッセージもらい、カードにして手渡した。喜んでもらえたことを実感できた途端、この4月から仕事を始めて、手探りでやってた日々の修練がなんとなく生かされた気がして、今日休ませてくれた会社の先輩方にそっと手を合わせた。

ちょっと疎遠になってしまっていた人から「嬉しかった」の一言をLINEでらもらったことで余計に自分のクリエイティブを認めて貰った気がした。

「アートは言語を超える」
高1の春、美術の先生にもらった言葉。
始めて体感した気がする。
そんな、気がする。
アートなんかじゃなかったけど、作ったものが、ちゃんと人の心に届いたことが、なにより嬉しかったのかもしれない。
人の心を揺らすのは1枚の絵だったかもしれないし、メッセージカードだったかもしれないし。
つまりさ、思いがアートなら手段はデザインだって何だっていいって解釈するよ、先生。

そんなこんなでようやく私の気持ちも一緒に卒業出来たのかもしれない。人を思う時はいつだって優しい。優しい世界はちょっとでも傍にあってほしい。そんなこんなでまた頑張れそうだ。
では、おやすみなさい。

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