“正しい「百合」”論の雑感と、女性同性愛者明言について
最初「~~~~な記事がありまして…」みたいな感じで元記事がどれかをボカそうかと考えたのですが、元記事がどれなのかちょっと探せばすぐわかるのにそういうことをやると返って感じが悪くなるので、本記事ではあえて元記事を明示します。(元記事の筆者が商業作家の著名人である点も考慮に入れました。)
個人的には、自身の恋愛感情がわからないから百合を扱っているというスタンスに何とも言えない虚脱感があるので触れたくはないのですが、勘違いする方がいるかもしれませんので、個人的な観測範囲をもってまとめてみたいと思います。
①百合ファンダム主流が存在する
そんなもん無いです。そもそも今でも「百合」という言葉が、良くも悪くも薄ーーーーく幅広く使われているので、何を持って「主流」なのか誰にも説明できないものなのです。
仮に売り上げ規模を基準とするならば、最近またもやアニメ化された『ゆるゆり』が来るはずですが、2024年時点でこれを百合の主流と呼んでいる人はそうはいないでしょう。
②キャラクターが女性同性愛者であることを明言すべきだ
これはそういう主張を強くしている人たちがいるのは確かです。ただ、主流ではないです。例えば、『コミック百合姫』の漫画は読者からのフィードバックを反映しているっぽいですが、全体的にセクシャリティ明言にこだわっているようには見えません。この点は詳しく後述します。
③悲恋、特に男性とくっつく展開は論外だ
これが主流かと言われるとちょっと迷いますが、ただ比較的近年の前例としては『ななしのアステリズム』がそれが原因で荒れたので、少なくともオチに持ってくるべき展開ではないという総意はあるような気はします。
④余分な男性キャラクターは不要だ
これも強く主張する人は多いです。ただ、この④は、②を主張する人があまりこだわっていない部分でもあり、ますます「百合ファンダム主流とはなんぞや?」となります。
⑤同性愛者明言は当事者が喜ぶ
私が見ている範囲内では、非アセクや非アロマのレズビアン(もしくはバイセクシャル)女性が喜んでいるところはあんまり見ません。欧米はどうかはよく知りませんが、少なくとも日本では言うほど喜ばれていません。
そもそも女性同性愛者明言へのこだわりとはなんぞや解説
ここから本記事の主題です。近年になって『私の推しは悪役令嬢。』による悪影響もあって、一部で同性愛者明言について強く言われるようになったのは確かです。
どうも近年の欧米では同性を好きになる前段階として自身のセクシャリティを決定しておくべきという風潮らしく、イギリス作品の『HEART STOPPER』でも初めて男子を好きになった男子キャラクターがネットで同性愛者診断をして自身が何者であるか模索するという描写があるようです。
我ながらそんなこと断言してもいいのだろうかと悩んではいるのですが、この反響の強さはやはり相当なものだと思っています。
ただ、今の日本おいては実情と乖離した思想であり、少なくとも日本の当事者女性はそこまで自身のセクシャリティ固有にこだわっていない、まったり派の人が多いと感じています。もちろん将来の日本がどうなるかはわかりませんが、現状はそういった印象が強いです。
前に欧米発のLGBTQ+入門書に関することを上記の記事にて書きました。「自身のセクシャリティを決定しておくべき」という発想のせいか、あらゆるすべてのセクシャリティに対応すべく種類がやたら細かくなっており、初心者には理解が大変なのを遠回しに認めていたりもします。
「最近のセクシャリティ、複雑すぎて当事者もおぼえきれない」問題は『バイなのに倍モテないッ』でも描かれており、そういった実情を無視して「百合ファンダム主流」にしてしまうのはいかがなものかと私は思います。
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