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泣いても大丈夫

私は吐くことと、泣くことが苦手だ。
飲み過ぎた時や乗り物酔いをした時に、トイレに駆け込んでスッと吐いてサッと復活出来る人が羨ましい。 
吐く作業は身体の中に入ったものを逆流させる作業。それには胃酸やら涙やら色んなものを伴わねばならず、吐こうが吐くまいが苦しみしかないように思えてしまう。

泣くことも同じくらい苦しみしかないように思ってきた。
一人だろうが人前だろうが関係なく、泣くことそのものが嫌なのだ。
「涙は女の武器」という考え方は今の時代にそぐわないし、ある程度の年齢になった女の涙ほど厄介なものはないと女の私でも思うし、どんなに悔しい思い・悲しい思いをしたとて涙では問題は解決せず、場合によっちゃ私の弱いところを他人に見せてしまうわけで、人に気を遣わせて何がいいのかしら…と思って生きてきた。
それに、泣くと頭がガンガン痛くなる。目も腫れるし鼻水も出る。
悲しい上に痛い思いもするなんて何もいいこと無いじゃないか!
だから泣ける映画・泣ける小説なども意識的に避けてきた。

そんな中、だいぶ前から涙活という単語を聞くようになった。
どうやら涙にも種類が有って、感涙ならすっきりするとのこと。

いや~?本当にそう??
感涙だろうが悲涙だろうが目から水が出ることに変わりはないし、目が腫れて頭痛くなって誰かに見られたら気まずくなって終わりでしょ~…

と思っていたのだ。が!!

とある小説を読み、珍しく深く感情移入してしまい泣けたのだ、この私が。
泣きたくないのに文字がどんどん目に飛び込んできて情景や心象が浮かんでしまい、止まらない。もう号泣だ。そして順調に頭痛が始まったし目も腫れ始めた。
ああもう!これがイヤなんだよ!このあとしばらくしんどいじゃん!!

と思った。が、違った!!

なぜかスッキリした。
運動後の爽快感に近い感覚が有ったのだ。なぜだ、なんでだ!

落ち着いてから考えてみたが、理由はシンプル。
その小説が今の私の心配事にとても近いお話だったのだ。
でも、他人が書いた小説だから「私のこと」ではないのだ。この絶妙な距離がポイントだ。

自分のことだと「泣くより戦え!」と思ってしまうけど、自分ではない誰かのお話として似たような事案に触れた時、「ああ、わかる…!」と思える気持ちが勝って、それまでこらえてきたものが途端に溢れ出たのだろう。
要は、妙なプライドなぞ捨ててしまえばラクなのだ。思っているほど私の涙に影響力は無い。

泣いたって解決しない事柄ばかりに囲まれている私にとって、泣くという行為は解決の手段に含まないが、「私のことで泣いてるんじゃないからね!」というベールをもらえばいとも簡単に落城してしまう。
そしてやっぱり問題は解決していないけど、なんだか心がスッキリしてしまうのだ。
同じ未解決状態でもどんよりしてたり意固地になってるよりスッキリしてる方が全然健康的。なんだよ、もっと早く泣けばよかったじゃないか。

泣くことがイヤな女性は結構いると思う。崩れてしまったら戻れないと思って、それが怖くて泣けない人も多いでしょう。
でもここはひとつ、似たような状況の本・漫画・映画・舞台・共感出来る著名人などを探して頂いて、気張って来た自分のことではなく他人の生き方に同調して泣いているのだという免罪符を与えてみて欲しい。コントロール出来ない涙が出たあとには、スッキリしているはず。

大丈夫、あなたの弱さをさらけ出せというのではないから、泣いてもあなたは崩れない。これまでの頑張りが流れてしまうこともない。大丈夫です。

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