保証会社がない世界で眠る子は何を思うか




ーー 青年 ーー





「おかしいだろ。俺がワンルームすら借りられないなんて。」

夕立があがり、西日の差し込む店内で男が怒号する。肩で呼吸している様子を見るに、夕立で濡れないよう駅から走って来たのだろうか。そういえば、先週もすごい形相で駆け込んできたよな。などと考えながら、僕は慎重に言葉を選び、男に返す。

「大家さんと何度も協議しましたが、やはり連帯保証人様は、働いてらっしゃる方で、血縁関係のある方を二名つけていただくという条件は外せないという結論でしたので、申し訳ございませんが今回は普通賃借プランはご利用いただけません。お客様であれば問題ないだろうと大家さんには何度も伝えたんですが。」

意図的に「何度も」を繰り返したわけだが、話を聞く男の表情で怒号が続くことを察する。

「今まで30年借家に住んで、一度たりとも家賃遅れてない俺だぞ。おかしいだろこんなの。」

【新通帳へ繰越済】の印字が薄れた通帳の束を男がカウンターに叩き付ける。男の態度で、準備していた言葉をまた0から組み立てなおす。

「定期的に送金されている個人宛のこのお金が、通帳を見ただけでは家賃だとも断言できませんし。それに厳しいことを言うようですが、これまで賃料の遅れがないということが、これから先も賃料の遅れがないということの証明にはならないんですよ。連帯保証人様がつけられないようでしたら、他の不動産屋に行ってもらうか、家賃前払いプランでご検討いただく、この二つしかないです。」

長い付き合いになることを想像すると、自分としても理解のある方と契約したい。この言葉が口を衝いて出る前に、家主さんの顔が浮かぶ。僕が我慢すれば家主さんに家賃が入るんだよな。父が生前よく言っていた「全ての家主が裕福とは限らない。」ということと「お金のある賃借人であっても必ず賃料を支払うとは限らない。」という二つの言葉のバランスについて考える。

「なんだよ家賃前払いプランって。5年前はそんなもんなかっただろ。それに、家賃も敷金も礼金も上がりすぎなんだよ。お前たち不動産屋と大家が儲かるためだったら何してもいいっていうのかよ。普通賃借で契約する気でお金もおろしてきたし、免許証のコピーもわざわざコンビニでとってきたんだぞ。」

この男は過去に、なぜ保証会社と契約しないといけないんだ。俺が滞納すると思ってんのか。と同じ口で言ってたんだろうな、きっと。長くなりそうだな。次の打合せは18時。その後、おもちゃ屋で買い物をするわけだから帰りは21時くらいか。眠る息子に誕生日プレゼントを届けなくてはならないことを考えたら、願わくばお引き取りいただきたい。

「儲かる?私たちがですか?」

「そうだよ。倍だぞ倍。家賃だけでも倍。これで儲かってないなんて嘘っぱちだろ。いいから普通賃借で契約しろよ。」

テーブルに叩き付けられた運転免許証の写しを見る。61歳。住所は神奈川県か。前回来たのが一週間前くらいだったから、移住のため滞在してるか、住所を移していないか、の二択か。


移住者も増えたし別に珍しくはないか。


「免許証の裏面の写しはお持ちですか?これから移住ですか?」

「3年前に移住して来たんだよ。めんどくさくて住所移してないんだよ。保証会社の審査じゃねえんだからいいだろ別に。」

運転免許証の写しを見ながら、男が吐いた言葉を頭の中で反芻する。

話し合いが上手くいくよう、何度も何度も反芻する。時計を見る。

17時45分か。

電話。

しなきゃな。

「少し勘違いされてらっしゃるようですので、これからご説明させてもらえたらと思いますが、お時間大丈夫ですか?折角足を運んでいただいたわけですから、この後の打合せを明日に変更してもらうため少し電話してきてもよろしいでしょうか?それから今回の打合せを踏まえて家主さんには私からもう一度プッシュしますんで。」

「いいよ、予定もないから行って来いよ」

「ありがとうございます。いや~、今日来ていただいてよかった。本当によかった。実は今日息子の誕生日なんですよ。さっき思い出すなんて父親失格ですよね。でも、仕事頑張ってる父親の背中を見せるっていうのも大切ですよね。うんうん。」

「なんなんだよ、気持ち悪いな。」

安堵した様子の男、僕は電話をかけに裏口へ向かう。







ーー 初老の男 -ー






もう10分は経つ。年上の人間ほっといて何やってんだよ。しかし、アパートひとつ借りるのも大変になったもんだな。

「お待たせしました。先方と連絡がとれまして、予定も変更してもらえました。ありがとうございます。いや~、ほんとよかったです。」

予定の変更がそんなに気がかりだったのかよ。しかし、気持ち悪い笑顔だな。

「さっさと始めろよ」

しかし、西日が強いな。思わず首筋に手をやる。

「先程、5年前は。とおっしゃいましたが、5年前に私共の業界で何があったかご存じですか?」

西日に気付いたのか、ブラインドを下ろしながら話す青年に目をやる。

「そりゃあれだろ。金保連の倒産だろ。俺も仕事休んで何度も行ったんだよ、デモによ。」

青年はcloseと書かれた札が外を向くようにしているところだ。案外気がつく男なのかもな。

「そうです。最後の保証会社の倒産が始まりでした。いや、暫くは良かったんですよ。契約に必要なお金も減って、シーズンでもないのに引っ越しも増えて。」

鍵をかける青年が視界に入る。俺が帰るときどうせ開けるんだから。と怒鳴りそうなるのを堪える。

「そうだよ、それで俺もそん時引っ越したんだよ。」

予定変更するくらいだからなんとか借りられそうだな。

青年の話は続く。

「それから2年くらいしてですかね、実際はその前から賃料は徐々に上昇傾向だったんですが、今度は更新料について不払い運動が起きたんです。多くの家主さんが危機感を持ち始めたのはその頃からでしたが、私たち不動産屋は実はもっと前から危機感を抱いていました。」

細かいことはよくわからねえが、家賃が上がった原因が最後の保証会社の倒産にあるって話だったから、更新料に矛先向けたんだよな。なんか懐かしいな。

「私たちは家主さんと管理契約を結んでいるんですよ。業務としては、入居者の募集、賃貸借契約の締結、退去時の精算、入居中のクレーム対応、賃料集金、送金。物件によっては水道検針まで。そこまでやって管理手数料は5%。保証会社がなくなる前はそれでなんとかなってました。」

「保証会社がなくなったって、管理手数料はもらえるんだから変わんないだろ、別に。」

「実は私もそう思っていたんですよ。恥ずかしいことに。先の先まで全然見えてなかった。いや、見ようとしないようにして、これまで通りなんとかなる、そう言い聞かせてました。」

「100年前は保証会社なんてなかったんだから、昔に戻るだけだろ。皆そういってたじゃねえか。」

「昔には戻れなかったんですよ。家賃支払いに対する意識だけは昔に戻せなかったんです。例えば、今インターネットで『家賃 滞納』と検索すると、滞納するとどうなるか。滞納するとどんなことが身に降りかかるか。ではなく、どうやったら滞納した賃料を踏み倒せるか。どうすれば全額払わなくて済むか。の記事で溢れてるんですよ。」

「でも、全員が滞納するわけじゃないだろ」

「その点については、おっしゃる通りです。ただ、滞納する人が一人でもいた場合、それまで保証会社が担っていた業務を私たちが全て引き受けることになるんです。電話対応で済む場合もあれば、毎日家に行かないといけないこともあります。」

「あんたら不動産屋が大変になったのはわかったよ。だからって家賃が倍になるのはおかしいだろ。」

「それについても辻褄が合うんですよ。管理業務に割く時間が増えたため、これまでの管理手数料では多くの管理会社が立ち行かなくなったんです。それまで営業活動に割くことができた時間が、賃料回収に回るわけだから当然ですよね。それで、回収専門の従業員を増やす不動産屋もあれば、管理業務を辞める不動産屋もありました。」

「管理会社なんていっぱいあるんだからどうとでもなるだろ、そんなもん。」

「そうはいかないんですよ。管理業務をやっていればやっているほど、保証会社がなくなった影響を肌で感じているわけなんで、従来の5%でなんて受けられたもんじゃない。そこから年々管理手数料の相場が上がっていきました。このエリアですと、賃料の35%が現在の管理手数料の相場です。そういう事情なんで賃料の上昇は、実際に家主さんが負担する管理料増加分と、この先不払い運動等で収入が減るリスクを加味したら妥当なんですよ。」

「そういう時代なんだからしょうがないだろ。アパート経営なんてそんなもんだろ。大家がリスクとれって言えよ。」

「そういう時代だから仕方がない。そうかもしれませんね。話を戻しますが、そういう時代ですので、先程の前払いプランでご検討いただけませんか?定借2年前払いプランですと、滞納が発生した場合の賃料回収に割く時間相当の管理手数料をお家賃から差し引けますので、お家賃8万円の24ヵ月分と敷金24ヵ月分と礼金6ヵ月分に仲介手数料の1ヶ月分の合計55ヵ月分で入居できますし、退去時も費用はいただきませんので。」

青年の雰囲気が変わったことには少し前から気付いていた。このまま流れに身を任せていては、前払いプランになってしまうだろう。

「家賃前払いなんだから敷金24ヵ月分はおかしいだろ。」

捻り出す。

「そうおっしゃる気持ちも理解できます。ただ、家主さんも私たちも、万が一、孤独死があった場合のリスクをノーガードで引き受けるわけにはいかないんですよ。人って簡単に死ぬんですよ。それに、滞納したことのない証明として提出いただいた通帳の写しを見させてもらった限りでは、前払いプランで支払ったとしても、生活に十分な預金は残りますよね?それとも、私の父が生前よく言っていた、お金のある賃借人であっても必ず賃料を支払うとは限らない。あなた、もしかして、それ、ですか?」

自分の背筋が無意識に伸びるのを感じる。

「なんだよ、それ。気持ち悪りいんだよ、さっきから。」

じっとりとした笑顔の青年から目を逸らすことができない。

目を逸らすきっかけを作ってあげましたよ。と言わんばかりのタイミングで裏口が閉まる音がする。どこか見覚えのある婆さんと、先週この不動産屋に駆け込むきっかけとなった男を一瞥する。

「叔父さんありがとう。母さんは来なくてもよかったのに。」

叔父さん?母さん?

先週青年からもらった名刺に書かれていた名前を思い出す。

生前の父。

そうか。

こいつがブラインドを下ろして、鍵まで閉めたのは、何も間違っちゃいなかったんだな。








ー 叔父 ー




「最近入った入居者がアパートの家賃を払わないという話をしたと思うが、どうやら他の入居者に、家賃を払わなくてもどうせ退去なんかさせられないと吹聴しているようで、今まで家賃を払ってくれていた入居者も払ってくれなくなってるんだ。」

「それは兄貴が舐められてるんだよ。ガツンと言えよ、ガツンと。弁護士入れて全世帯一気に訴えて叩き出しちまえばいいんだよ。」

「そういうもんかなあ。」

「そういうもんだよ。」








ー 母 -







どこから間違ってしまっていたのか。

あの人が、入居者を訴えるのを止められなかった時?

退去させた入居者が行き場をなくし、殺人事件の被害者になった時?

この男が連れてきたマスコミに対し、契約ですから、間違ったことをしたとは思っていない。と私が言った時?

糾弾されるあの人を支えられなかった時?

あの日たまたま孫を預かったから?

孫の顔を見れば元気になるんじゃないかと、塞ぎ込みがちだったあの人の部屋に孫を行かせたから?

縊死するあの人をみて、孫がいることを忘れた時?

パニックになった孫が外に飛び出すのに気付けなかった時?







アパートを建てようとあの人と話し合った時?








義弟と目が合う。

二人の荒い呼吸音だけが聞こえる。










ー 青年 ー







カーステレオから流れるラジオで、今が20時前であることに気付く。


車を停め、少し歩く。


ポケットからライターを取り出し、線香に火をつけ、プレゼントを置く。


ここに眠る我が子を想う。プレゼントの向きを整える。


目を閉じ、再び、ここに眠る我が子を想う。










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