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『夜行抄』第壱譚 成仏の押印

ー 登場人物 ー
俺(おれ)
 主人公
婆ちゃん(ばあちゃん)
 田舎で憑き祓い生業とする俺の祖母
役小角(えんのおづぬ)
 山岳宗教系の開祖
泥捏拗 寧舟(どろつくね ねいしゅう)
 謎の黒尽くめママチャリ男
雌拳(めふぃすと)
 寧舟に付き添うもふもふの猫。
逆さもの(さかさもの)
 俺が出会した怪異


 - 序 -
 どうやら俺は、この手のモノと妙な御縁があるらしい。
 体質なのか、将又そういう星の下に生まれついたのか、所以は一向ひたぶりに分からないが、面倒な悩みの種であることは確かだ。
 そんな俺の身を案じる婆ちゃんは、事ある毎に山岳宗教系の開祖たる「役 小角えんのおづぬ」所縁の御守りを送ってくれる。
 それが当たり前になっていたのだろう…、有難さに感謝もせずに過ごしていた莫迦孫の俺は、無用心にも大切な御守りを部屋に忘れてきていた。
 婆ちゃん御免…。
 謝っても後の祭りである。
 この日、俺は、とんだ厄介事に巻き込まれることとなる。

 事の始まりはこうだ。
 今流行りのジビエ料理を出すバルの配膳係というちょっとカッコいい(と思っている 笑 )バイトを終えた俺は、近くのコンビニで500㎖のビール2缶とお摘みの三角枝豆、あての焼き鳥二串を買い、通勤用に大枚を叩いたマウンテンバイクを颯爽と駆り、帰路の途中にある古ぼけた神社の石段前へと到着した。
 この先の分かれ道を行けば左が大学、ちなみに俺はここの学生である。右は独り暮らしを謳歌しているアパートへと辿り着く。
 石段の周囲は鬱蒼とした木立で、夏場などは木陰に涼を求め立ち止まるお薦めのスポットである。
 しかし既に秋も半ば、僅かな暑さも涼む程ではない。秋の夜風を楽しむのも今日が最後か…などと感慨深げなことを思いながら冷めた石段へと腰を下ろす。
 缶ビールのプルトップを控え目にプシュッと開け、先ずは一口、渇いた口中に冷えた液体を流し込み ゴクッゴクッ と嚥下する。
「ぷはぁ〜っ…あぁ〜生き返るぅ」
 別に死んではいないのだが、この瞬間を愉しむ為の通過儀礼というかお約束である。
 火照った身体が一瞬 ぶるるっ と震え、軽く羽織ったお気に入りのジャージの胸前を閉じた。

 この時の俺は、自分の体質のことなど完全に失念していた。
 俺は、ある種の事象を伴う説明のつかない出来事が顕れる現象に好かれる傾向がある。
 俗に『怪異』と言うものらしい。
「いいかい、決して、軽んじてはいけないよ」
 婆ちゃんは幼い俺によくそう言い聞かせてくれた。

 背後に気配があった。
 正確には俺の頭のずぅっと斜め上方から、おそらくは神社の境内入り口の鳥居のあたりから…。
 夜気に馴染み冷たくなった顔の皮膚がピリピリと反応する。
 何かが此方を窺っている…。
 それがはっきり判るほどに、触覚に執拗に絡みつくもの…瘴気である。
 真逆と思い、仕事着のシェフパンツのポケットを慌てて弄る…しかしそこには、婆ちゃんから貰った御守りが……
「無い?!」
と声に出す程、背筋に戦慄が走った。

 呑みかけの缶ビールをあたふたと袋に戻しながら、全身から 気づいていませんよ〜 的なアピールを出しつつ、足早にマウンテンバイクへと近付いた俺は、サドルに跨ると、ウィリーの要領で前輪を跳ね上げ、後輪を軸に素早く方向転換をした。
 一瞬、御守りのある家へと辿り着くことを考えたが、家を知られることが、それがもう怖かった。
 気付かぬ振りにも劣る風を装った俺の三文芝居など、彼方の方に通用する筈もなく、辺りに澱む瘴気が生き物の尾の如くに ゆるり と動く。
 俺は気合いの掛け声と共に力一杯ペダルを踏み込んだ。

  - 破 -
 家とは逆方向、つまり来た道を猛スピードで戻り始めた時だった…。
 チリンチリンと軽やかに、鳴りものの金属音が響いた。
 夜中の2時過ぎに、人通りの無い夜道で自転車のベルを鳴らすのは千鳥運転の酔っ払いぐらいなもの…俺は訝しげに音のした参道脇の木立へと視線を向けた。
 枝葉に覆われた斜面からカリオストロのフィアット宜しく現れたのは、電動アシスト付きのママチャリだった。

「そこのぉ〜君ぃぃ」
「お憑かれですかぁ〜」

 脳天気な声が響く。
 瞬時に右へと顔を向け、声の主を見遣ると、其処には、夜中に黒のサングラスを掛け、不健康そうな蒼白い肌の、全身黒尽くめな、細長い痩躯の男が、外套の裾をはためかせながら、暗闇に不釣り合いな白い歯を見せて嗤っていた。
「君ぃ、君ぃぃ、君ぃぃぃ」
 と連呼しながらママチャリが近付いてくる。
「君ぃのあまりの御様子…思わず声をかけてしまいましたぁ〜よ」
 なんともアバンギャルドな展開である…仰天で瞬きが止まらない…。
「ことのほかデリケートな案件とお見受け致しましたぁ、お察し致しますぅ」
 他人事を他人事として楽しむ完全傍観者の言いそうなことだ。
「君ぃはいま対策に困窮し窮地にあると言っても過言ではなぁ〜い訳です…そう正に猫の手も借りたい程にぃ……」
 ママチャリ男が語尾を伸ばしきる前に、後方で不気味な異音がした。
 ザザッ…ざざざざっ…ドン…ヒタヒタヒタヒタ…
「ぃぃ゛ぃ゛ぁぁ゛ぁぁ゛ぁ゛ぁ゛〜」
 なんじゃそりゃ と突っ込みたくなる魂消る唸り声をあげるモノが、男を見るために向けた右の視野の外から顕にな…ってきたので、無かったことにしようと正面を向き、全力の立ち漕ぎへとシフトチェンジする。

 たぶん必死の形相で立ち漕ぐマウンテンバイクの右手からチリリンとベルが鳴った…並走するママチャリ男が視界にフェードインする…怖っっ。
「わたくし…通りすがりぃの霊感〇〇…もといぃ、調伏・降伏を生業といたす拝み屋の末席に身を置く泥捏拗 寧舟どろつくね ねいしゅうと申す不埒者に御座います」
 男は立て続けに告げる。
「草木も眠る丑三つ時ぃ、斯様に暗き参道にて、これこのような巡り合わせ必然か偶然かはたまった万物の悪戯なのでしょうか、これも何かのご縁と致しましょう…拝みましょうかぁ〜、お祓いぃしましょうかぁ〜」
 殴りたくなった。が、立ち漕ぎでハンドルから手を離す訳にはいかない。

「どうやら『逆さもの』のようですねぇ…こうひっくり返ってますから…」
 冷静に告げられた事実をただ飲み込む訳にもいかず、興味本位で恐る恐る振り向かんとした時…
「お名前をお尋ねしても宜しいでしょうか。ああっと、コレは失礼仕りました、匿名希望で宜しいのでラジオネーム的な何かを…」
 なら聞くなよ… と思いながら、冷ややかな目で凝っと覩る。
「いやぁ存外、呪いぃというものが体系化されたのは凡そ平安時代の頃でして、それは華やかなる王朝時代の周縁を暗く彩ったことでしょうねぇ…」
 サングラスで見えない目を細めているのか、男は染み染みと呟く。
「その頃の貴族といえば大層に呪いぃを恐れておりまして、故に役職や住まう場所などの名称で互いを呼び合い、名を伏し隠しておりました。其れは何故か…、名を知らるる事は即ち呪いぃに使われてしまう恐れがあったから…。呪いぃとまじないぃが横行する平安の世で貴族たちは、妬みぃ、嫉みぃ、畏れ、焦がれ、不安を懐きつつ呪いぃあっていたのです、これぞまさに平安京のあはれなりぃ」
 なぁ と猫が鳴いた。
 びっくりしてママチャリを見ると、籠から猫が顔を出している。
 灰白色の長毛種だ。右目の褐色のカッパーレッド(赤銅)と左目のエメラルドグリーンのオッドアイが俺を見つめている…もふもふ感も満載だ。

 正に不条理!な状態で、フリーズしていた思考がまともに動きだした。
 そうか…呪うには相手の情報がいるのか…、確か有名な丑の刻参りも、藁人形という作為的な証拠を見せつけることで、相手に呪っていること、呪われていることを知らせ、それが呪いというシステムをより効果的に有用させるのだと、物心がついた頃にせがんでは聞いていた怪談話しで教えてくれた。
婆ちゃん…なんて博識。

「現状に於いて匿名希望の君ぃの動向から察するに、もしやとは思うのだがね、一応にその凡庸な思考が及ぼした内容をば確認せねばと思い……真逆、君ぃは迷ひあぐねて最寄りの警察などへ向かおうとしているのかいぃ、ならば止めたほうが良いと助言しようではないか」
 男はうんうんと頷き、徐に右人差し指を立てこう続けた。
「はたまった、いやはやなんとも軽率軽率…なんたらの考え休むに似たりぃとはコレ如何にぃ〜」
 満面に湛えた笑みが怪しくも歪む。
 本性が顔に出ているよと教えてやりたかった。
「おやおや、お見受けするに答えを知りたい御様子〜。答えは簡単、それは無駄な行為だ・か・ら、到底お薦めはできないのですぅ〜」
 立てた右人差し指を だ・か・ら に合わせ左右に振り、無節操に片瞼をぱちりとした。
 チッチッチ、ウィンクぢゃねぇーわ、と思いながら、この端倪たんげいすべからざる人物に、立ち漕ぎの余りの勢いを装ったキックを須く炸裂させる筈が、あっさりと避けられた。

「君ぃは大きな間違いぃをしているよぉ〜」
 何処かで聞いた台詞を宣っている。
「短絡的思考が導いた瑣末な結論なのでしょうが…申し述べますと、残念なことに、現代日本に於ける法体系は超常現象を前提としておりません。そのため『呪詛じゅそ』つまり呪いぃそのもの自体、不能犯として扱われるのでぇす。例え事が発覚し立証されたとしても処罰ができないぃ…、まぁ精々、脅迫罪やストーカー行為など、規制等に関する法律違反ぐらいの容疑で摘発されるだけなのです」
 はぁ〜とため息を吐き再び、
「古代に於いて『呪詛』に該当する蠱毒厭魅ぃや巫蟲などは『養老律令』や『賊盗律』では、処罰対象として規定された禁止・違法行為だったのですがねぇ…、いやはや現行法ではどうにもこうにもなりません…いけませんねぇ、跳梁跋扈し放題だぁ…」
 やれやれの小芝居のあと再び論い、
「闇は昔し、其れは其れは怖う御座いました…。雪洞ぼんぼりの灯りが消えて幾星霜…夜な夜な点る灯もいつしか人工物の明かりとなり、闇などは最早淡く薄れ、今や畏怖の念たる意味さえ知りえぬ有り様…、未知なるものへと抱く衝動も忌避の本能も衰えてしまいました…、いやはや、文明社会が齎した弊害ですねぇ」

  - 急 -
 並走し疾駆する2台のチャリの背後で不穏な気配が大きく膨らみ、G並の カサカサカサカサ 音と、濁音付きの あ゛音が地の底から響いている。
 もう嫌だぁ〜と泣きの涙に嘆き出すと、猫が再び なぁ と鳴いた。
 その鳴き声が合図かのように
「時は満ち満ちたり、いざクライマックス、雌 拳めふぃすとよ、出番で御座いますよ」
 と言い放つや否や、猫が籠から飛び出した。
 マウンテンバイクのハンドル中央へと、ちょこんと乗り移ると、後ろ脚立ちで左前脚を伸ばし、俺の額を ポンっ と押した。
 次に伸ばした左前脚をそのままに器用に軸として、後脚の瞬発力で俺の背中へと跳び、その刹那、撓めた力の反力を用いてバネの様に後方へと飛んで掛かった。
 ぎゃっっ と言う背筋が凍る声音に、猫に何かあったのかっと、リアタイヤを滑らせパワースライドで自転車を強制停止させる。
 ブレーキが微かにキュッ と鳴る。
 猫の姿を捉えようと顔を上げた。
 すると其処には、『成仏』の文字を額に頂いた得体の知れぬ異形のモノが惚けた顔で俺を見つめていた。
 それは白い靄のように散りはじめると軈て霧散し消えていった。

 あまりの出来事に呆気に取られていると、舗装路のセンターラインの上で猫が伸びをしていた。

 その後のことは良く憶えていない…、気がつくと、あのママチャリ男…確か どろなんとか と言ったか…の姿も、勿論あのもふもふ猫の姿も無く、まるで狐狸の類いに騙されたが如く、俺は呑みかけの缶ビールを片手に自転車を引きつつ家路を歩いていた。

 翌朝、目を覚ました俺は、洗面台の鏡に映った顔を見て唖然となった。
 俺の額には猫の肉球型の跡が残され、その中央に『影護護念ようごごねん』の文字がはっきりと印されていた。
 はぁ〜っと、溜息混じりに洗面所の小窓を開けると、何処かで猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 了

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