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善悪の彼岸

別居して子供たちと会えなくなってもうすぐ2年になります。
こんなに悲しいことはありませんが、振り返ってみると、過去にも絶望の底に落ちたことは何度かありました。今思うと大袈裟だなと思いますが、少なくとも当時の自分にとっては絶望だったのです。そんなときどうやって浮上したのか…そんなことを振り返ってみました。

一番思い出されるのは大学4年生のときです。
当時2学年下のサークルの後輩の子が好きだったのですが、告白できずに1年が経過していました。二人で出かけたりすることもあり、良い雰囲気だったと思います。告白したいなあ…でもダメだったらどうしよう…みたいな煮え切らない状態で過ごしていました。そして大学4年の夏、二人で出かけたとき、「サークルの同期の男性と付き合うことになった」と告げられて、呆気なく唐突に片思いの恋は終わりを告げました。めっちゃ落ち込みました。しばらく何も手に付かず…仲の良い同期に夜な夜な話しを聞いてもらったり、飲みに行ったり、遠出するなどして気を紛らわしていました。当時は自分の人生終わった…と本気で思っていました。

それでも時間の経過とともに、少しずつ落ち着きを取り戻しました。
1年半に及ぶ片思いが終わりとても悲しい…でも、このままじゃダメだ、大学生活は残り半年だけど、おそらく大学時代にはもう新しい出会いや恋はないだろう…だったら、この半年間を思い切り楽しんで、新社会人になってやる!という気持ちに切り替えていきました。ある日、自分の部屋を半日かけて徹底的に大掃除しました。掃除に没頭した後、何故かそこでスイッチが切り替わったのを覚えています。大好きだった後輩への未練を断ち切り、前を向こうと決意しました。現実を受け入れた瞬間だったと思います。

その後、卒論の作業にも本気で取り組みつつ、サークル仲間とドライブ、旅行、飲み会…等々、大学生活を満喫していました。大好きだった後輩とも顔を合わせることがあるので、まだ自分の心がチクッと痛むことを自覚しつつも、前だけを見るようにしていました。

そうすると不思議なことが起こりました…
結局、後輩の子が付き合っていた彼と上手くいかず、自分のところに戻ってきたのです。二股をかけられていたらしく、酷く落ち込んでいました。何とも複雑な気持ちで彼女を励ましたのを覚えています。結局、後輩は別れてしまいましたが、だからと言って私は後輩に告白することもなく、以前よりも自然な形で接することができるようになり、結果的に良かったと思います。卒業後も仲良くしていて、お互い結婚して子供もいますが、今もたまに連絡を取り合う関係です。私が好きだったことは伝えていません(笑)

実は社会人になってから、2回ほど付き合っていた彼女に振られたことがあります(別々の人です)。そのときも激しく落ち込みましたが、時間の経過とともに何とか現実を受け入れて、新たな道を歩み出したところ、2回とも私を振った彼女が戻ってきて、元鞘に収まったことがあります。まあ元鞘が良かったと言えるのかは分かりませんが、当時は戻ってきてくれて嬉しかったのは確かです。

人間関係以外でいえば、高校受験、大学受験ともに私は第一志望校に落ちていて、いわゆる滑り止め校に入学しました。当時は落ち込みました…何だか落ち込んでばかりのようですが、実際とても落ち込んでいました。でも、入学するときには「この学校で頑張ろう」と気持ちも切り替わっていて、いざ入学したら高校も大学もとても楽しい生活が待っていました。部活、サークル、友人…かけがえのないプライスレスな青春時代を過ごしました。

これらのことは私に一つの真理を示唆してくれました。
絶望に襲われたとき・・・無理をしないこと(いっぱい落ち込むこと)、でも時が経過したら、現実を受け入れること(正しく諦めること)、前を向くこと(歩き出すこと)、そして執着しないこと…です。あとは、意識的に視野を狭くしていたというか…あまり先のことは考えずに、目の前のことだけに集中していました。そうすると何故か事態が好転していった…好転かどうかはともかく、新たな世界が動き出したように思います。これらが偶然なのか必然なのか、正しいのか間違っているのかは分かりません。でも、私の平凡な人生で学んだ善悪の彼岸とも言える教訓の一つになっています。絶望のすぐ近くに希望はあります。

いま私は別居していて、子供たちと約2年間も会えていません。今後、会えるかどうかも分かりません。まさに人生どん底です。この現実を受け入れて、前を向くことは容易ではありません。でも、自身の人生で学んだ教訓は今回も何らかの形で生かされると思います。焦らずに少しずつ前を向いていけたら…と思います。

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