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コロナ禍で疲弊するケアラーの姿に見える障害者福祉の「家族依存」(後編)(児玉真美)

児玉真美(フリーライター、一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事)

(前編はこちら

緊急引継ぎシート「ケアラーのバトン」

 日本ケアラー連盟は、埼玉県でケアラー支援条例が制定された3月27日の記者会見の席で緊急アピールを発表し、ケアラー自身が感染した際に要介護者のケアが継続されるよう受け皿の整備、マスクや消毒液など医療資材などの優先的な供給、ケアラーへの情報提供などを訴えた。
 その後、とりわけケアラーが感染した場合への備えとして、緊急引継ぎシート「ケアラーのバトン」を作り、インターネット上で公開した。いざというときにケアを引き継げる人の有無、連絡先、要介護者の状態やサービス利用状況など、必要となる重要情報を書き込んでおくことができる。


 この「ケアラーのバトン」は公開以来、多くの方々から好評をいただいており、関係機関への周知を図ったり、HPでの提供状況に含めたりする自治体も少しずつ出てきている。「バトン」を書くことによって、ケアラー自身が日頃のケアについて捉えなおし、整理をすることができる。書いて共有することで、家族で、あるいは支援者たちとの間で、緊急時について考えたり話し合ったりするきっかけにもなる。最低限の情報がシートにまとめられてわかりやすい場所に置いてあれば、万が一救急車を呼ばなければならないような突発的な緊急事態が起こっても、日ごろ関わってくれる医療と福祉の専門職に連絡がつくと思えば安心材料になる。

 ただ、問題はこのバトンの先に残っている。
 ケアラーの側の努力として、バトンを書いておくことはできる。でも、その先は……? その先、ケアラーが必死の思いで伸ばすバトンを、どこで誰が受け取ってくれるの……? どこに、そんな資源があるの……? 

コロナ禍の前から地域の資源不足に不安を募らせていた高齢期の親たち

 国は、ノーマライゼーションの美名のもと、大規模施設を作らない方針を決め、入所施設の定員4%減という数値目標を設定して「地域移行」を進めてきた。しかし、その一方で、その「地域」で障害児者と家族の生活を支援する十分な資源が整備されてきたかというと、そちらについては一向に進まないままだ。むしろ制度改正のたびに、医療でも福祉でも「兵糧攻め」が進んでいる、というのが当事者や現場の支援者の実感だろう。
 私は昨年の春から秋にかけて、重い障害のある子をもつ高齢期(50代半ばから80代)の母親40人にインタビューを行ったが、施設を作らない国の方針について多くの人が知っていた。現に、どこの地域でも「入所施設は待機者が多くて、とうてい入ることができない」という状況で、「親亡き後」に我が子が安定した暮らしの場を得られるのか、という親たちの不安は深刻だ。

「自分の健康面に気を付けてはいるが、この歳になれば明日どうなるか分からないという不安は常にある。一番心配なのは子どものこと。住み慣れた地域で過ごさせてやりたいけど、受け皿がない。通所やショートステイで利用している医療療育センターの入所施設はいっぱい」
「娘には最重度の知的障害と自閉症があり、24時間の見守りが必要。大きな職員集団で見守りをしてもらえるところが良いが、現実には今そういう場所はないので切実」
「重度で医療的ケアが必要なため、生活の場は探しても断られてばかりで、不安は増す一方。親の病院通いも増えてきた」
(著者が行った母親ケアラーへのインタビューより。以下同)

ショートステイ利用はままならず、グループホーム生活も親依存

 一方の地域の資源整備は一向に進まず、それどころか制度改正のたびに、障害児者の地域生活を支える事業所は、良心的な実践をしているところほど経営が厳しさを増していく。深刻な人手不足もあって、コロナ禍の前から地域の障害者支援システムは空洞化し始めていた。ショートステイの利用すらままならないというのが実情だ。

「ショートステイは月に8日支給されているけど、事業所の受け皿がなくて、そんなには使えない」
「ショートステイの予約を電話でとるのがたいへん。1時間かけ続けても繋がらないことがあり、やっと繋がっても、そういう時には既に予約がいっぱいになっていたりする。月に2回の予約日は『電話をかける日』として予定を空けておかなければならない。つまり、親が元気で電話を掛けられる人でないと利用できないということ」

 さらにグループホーム(GH)の実情も、「親亡き後」を案じる高齢期の親たちには懸念材料だ。国はGHを地域移行の要としているが、ある母親は「GHが終の棲家になりえないことは明らか」と断言した。実際、インタビューで話を聞くと、重度者の受け入れ先を中心に、GHは圧倒的に不足しているし、既存のGHでも人手不足のため週末の帰省を義務づけたり、通院や入院時の付き添いは親に頼ったりしているところが多い。
 かつて熱心に運動して、いくつもGHを作ってきた親たちの中には、人手不足の現場を見かねてヘルパーの資格を取り、職員として夜勤に入っている人たちまでいた。こちらも60代後半から70代だ。
「この前、うちの法人の複数のGHで暮らす仲間の入院が3人も重なったことがあった。付き添いはどの人も高齢のお母さん。以前はそういう時、朝9時から職員がケアに入ってくれていたし、夜も母親と交替してくれていたけど、今は人がいない」。これまで高い理念を掲げてやってきたGHでさえ、人手不足で思うような実践ができなくなっているのだ。「親も本人たちも高齢化しているのに、このまま行ったらどうなるのかと思う」。
 重い障害のある我が子も、親自身も高齢化し、これまで経験したことがないような身体の不調に見舞われ始めている。話を聞いたほとんどの人が、腰や膝その他関節痛、糖尿病、高血圧、高脂血症、白内障など年齢相応の病気で通院していたし、入院治療や手術が必要となった人もいた。

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長女・海と筆者

高齢期の親たちも多重介護状態

 また、インタビューの対象とした50代後半から80代は、介護世代でもある。これまでの我が子の介護に加えて、50代、60代では自分の親の介護があり、その上の世代になると配偶者の介護も含まれてくる。すでに配偶者を看取った人も少なくない。知的障害のある子ども2人を在宅で介護している人は、夫の看取りの時ですら、子どもたちの受け皿探しに必死だったという。

「病院で付き添っていて、夫がもういよいよだなとわかるでしょ? 知的障害のある2人の子どものショートステイ先を急いで探さなければいけない。そっちの現実問題で頭がいっぱいで、その時は悲しみを感じている余裕もなかったですよ」

 苦しんで転々とする夫の点滴が外れないよう、点滴のポールを握ったまま、携帯電話を片手で必死に操作して、友人と作業所に電話をかけた。友人には、家に残している2人の子どもにご飯を食べさせてもらうよう頼み、作業所には緊急にショートステイ先を探してもらうよう依頼した。日ごろからショートステイの予約をとるのは至難の業なので、一度に2人の行き場が見つかるだろうかと不安で、祈る思いだった。ショート先が決まるまでに1日半もかかったという。

 このインタビューの結果は、親としての私自身の体験とともに、近著『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』(大月書店)に取りまとめたところだ。多くの人の体験や言葉や思いの断片をモザイクの一片として拾い集めて、私たち重い障害のある子どもをもつ母親たちがこれまでどのような体験をして生きてきたか、今こうして老いの中で何を体験し何に困っているのか、これからに向けて何を思い、何を感じているのかを、ひとつの「絵」として描き出せればと、「これまでのこと」「今のこと」「これからのこと」の3部構成とした。
 コロナ禍が焙り出している矛盾は本書全体に通底しているが、とりわけ第2部「今のこと」の以下の3つの章タイトルに顕著だろう。第1章から順に「母・父・本人それぞれに老いる」、「多重介護を担う」、「地域の資源不足にあえぐ」。

親が病んだら、死んだら……? どうしたらいいのかわからない

 そんな母親たちに「これから」について問いを投げかけたとき、多くの人から共通して返ってきた言葉は「考えられない」だった。「答えるべきところに思いをはせるのが難しい。今を生きるのに精いっぱい。将来のことはよう考えられない」。また、「考えないといけないんだろうけど、考えようがない。いま夫婦二人でかろうじてやれていることを誰がやってくれるのか」と答えた人もあった。
 老いた親がかろうじて支えている我が子の生活は、明日にも親に急な異変があれば一変し、極めて不安定なものになる。その現実は十分すぎるほどわかっているけれど、日常生活を支える資源すら圧倒的に不足し、ショートステイもままならない現実を前に、親に何かあった場合の受け皿など、どこにも見つからない。見つからないまま、自分も我が子もさらに老いに向かっていることに、心がざわめき続ける。

「脳梗塞で闘病している知人のことを考えると、自分が突然どうにかなったら……と考えて、夜眠れなくなる」
「親が亡くなった後のこの子はどうなるのか。考えて夜眠れないことがある」

 日本ケアラー連盟のアンケートで、コロナ禍での緊急時についてケアラーの半数が選択した「まだ考えていない・どうしたらいいのかわからない」という回答の背景は、私のインタビューで高齢期の親ケアラーたちの多くが「親亡き後」について漏らした「考えられない」と同じだろう。いざというときに、我が子を託せる資源がない現実を日ごろ身に沁みて知っているからこそ、夜も眠れず、考えても「どうしたらいいのかわからない」のだ。

コロナ禍での受け皿づくりが、家族に依存しない地域生活実現への基盤となる

 コロナ禍は、家族介護を当たり前の前提としてきた日本の障害者福祉の矛盾を焙り出している。所詮は“一時しのぎ”でしかないショートステイが「家族支援」と称される矛盾。障害のある人が親から離れて生活できる受け皿は整備されないまま、「親亡き後」問題の「相談窓口」だけが作られていくことの矛盾。まるで、障害のある人の親は老いない・病まない・衰えないかのように、親が当たり前に病んで介護を担えなくなることが「緊急事態」と称されて、そのくせそれら「緊急事態」に対応するための資源は一向に用意されないことの矛盾――。それらの矛盾を放置したまま推し進められてきた「地域移行」は、私には「支援なき地域への棄民」と見える。「共生社会」が説かれるたび、私には「家族と地域の事業所でどうにかしなさいよ。どうにもできなければ地域で粛々と看取っていきなさいよ」と言われているように聞こえる。

 実際、コロナ禍以前から、在宅で障害のある人を介護している親が病気などで倒れた場合、子どもに関わっている事業所がどうにか対処するしかない状況だった。事業所は本人の受け入れ先探しに奔走し、時に親の死後の身辺整理まで持ち出しで引き受けてもきた。しかしコロナ禍で親が感染や濃厚接触によって隔離される場合、子も濃厚接触者になるため、日ごろ関わっている支援事業所も今は感染防止の対応で精いっぱいで、平時のように対処することは不可能だろう。
 感染あるいは濃厚接触で障害児者の隔離が必要となる場合、一般のように病院やホテルなど、隔離場所と対感染症医療さえあればよいというわけにはいかない。高度な医療的ケアや細やかな医療的配慮を必要とする重症児者、状況を理解することができにくかったり、強いこだわり(時に命に関わる)があったり、自傷他害のある人など、障害児者の日常的なケアは個別性も専門性も高い。隔離療養環境と対感染症医療の他に、障害特性に対応できる医療との連携はもちろん、その人に適した専門的なケア資源の十分な投入が必要となる。そんな資源も体制も、どこの地域にも未だ存在していない。
 その資源や体制づくりは、それぞれ感染予防で手いっぱいの現場だけでは対応不能と思われるが、ノーマライゼーションの理念のもとに「地域移行」と「共生社会」を謳ってきた国は、果たしてコロナ禍に際して、多様な障害児者の受け皿整備にどのように取り組むのだろうか。どんな年齢、どんな障害像、どんな家庭環境の人も、必要に応じて家族から離れ、固有のニーズに応じた適切な医療と福祉の支援を受けながら、安全・安心に過ごすことができる受け皿が整備されることを、強く願いたい。
 それによって、コロナ禍で疲弊する障害児者家族の最大の懸念が解消されるだけでなく、高齢期の親たちも「親亡き後」に希望を見出すことができる。ひいては、障害のある人たちが何歳になっても家族依存のままの「地域生活支援」から解放され、成人後は(必要があれば年齢を問わず)家族から独立して、それぞれの障害像と個別ニーズに応じて支援を受けながら地域で自分らしく暮らすことができる体制づくりに向けた基盤ともなるだろう。

児玉さん写真

(こだま まみ)フリーライター。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。著書に『私は私らしい障害児の親でいい』(ぶどう社)、『海のいる風景――重症心身障害のある子どもの親であるということ』『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(ともに生活書院)、『死の自己決定権のゆくえ――尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』(大月書店)ほか。最新刊に『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』(大月書店)。


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