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先生が先生になれない世の中で(20)君たちはどこへ向かっていくのか?

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

「真の自由とは、パンを選ぶことではない。」そう言ったのは2014年に96歳で亡くなった私の恩師、マキシン・グリーン女史だ。ユダヤ人として、そしてアメリカにおける女性教育哲学者の先駆けとして、彼女は自由のために闘い続けた人だった。多くのアメリカ人が、自分は生まれつき自由であると信じ込んでいることを、彼女は「悲劇」と呼んだ。

自由とは権力者によって施されるものではなく、人と人とのつながりの中で勝ち取るもの。もし本当に生まれつき自由ならば、差別や経済格差など、この社会におけるさまざまな不平等を、私たちはどう理解したらよいのか? より公平な社会を求める人々の怒りは、より愛しやすい社会を求めるエネルギーはどこへ向かったらよいのだろうか?

社会が裕福になる中で、いつしか「幸せ」は金銭的な豊かさと、「自由」はお金で買える選択肢とすり替えられていった。メディアを通してきらびやかな商品や金持ちの優雅な暮らしが消費者の物欲を煽り、モノが溢れかえる町で、人々は車やパンなど、さまざまなモノを選べることで満足するようになった。

それだけではない。福祉など、弱者を守ってきた社会のセーフティーネットは、「自由化」や「民営化」の名の下に、一つまた一つと取り外され、それまで人々に分け隔てなく保障されていた「権利」は、いつしかお金で買うべき「サービス」に変えられてしまった。そして、「平等な競争」という幻想と「自己責任」論のもとに、誰もが「勝ち組」を目指すよう仕向けられていった。その波は、戦後、アメリカの背中を追い続けた日本にも、確実に押し寄せてきた。

ダライ・ラマは、今日の人間というものに驚いている。「人間はお金を稼ぐために健康を犠牲にし、今度は健康を取り戻すためにお金を差し出す。そして未来を心配し過ぎて現在を楽しまない。結果として、人は現在も未来も生きないのだ。いつ訪れるかもしれない死を忘れて生き、真に生きることなく死んでいくのだ。」

未来を心配しすぎて現在を楽しまない……、真に生きることなく死んでいく……。それはまさに、ミヒャエル・エンデが小説『モモ』の中で描いた、「時間泥棒」に時間を盗まれた人々の姿だ。将来ラクをするために「役に立たない」(今日的に言えば「不要不急の」)活動はすべて時間節約の対象となり、人々の生活からは趣味や遊びが消え、たわいない会話や他者への気遣い、仕事に対するこだわりや誇り、その他人間らしい営みは消えていった。

子どもたちを取り巻く環境も一変した。まず、子どもと遊ぶ大人がいなくなった。代わりに、子どもにお勉強を教える塾ができた。「ためになる」遊びを教えてくれる遊戯教室もできた。そして、外で自由に遊ぶ子どもたちがいなくなった。

余白のない、つまり「遊び」のない社会からは、笑いや喜びが消えていった。時間を節約しているはずなのに、常に時間に追われている。そうして時間に支配された人々は、いつしか「生きる」ことを忘れていくのだ。

アメリカを代表する教育哲学者、ジョン・デューイの思想を思い出す。

教育とは、人生の準備ではなく、人生そのもの。

子どもたちの学びに喜びはあるのだろうか。将来役に立つかどうかではない。学ぶことそのものに価値があるのだ。しかし日本の教育をふり返ってみれば、小学校の勉強は中学進学のため、中学校の勉強は高校受験の、高校の勉強は大学受験の、大学の勉強は就職のため……、と常に「人生の準備」となっている。学校の教育は子どもたちの旺盛な知的好奇心を刺激し、満たしているだろうか? 子どもたちの心は豊かになっているのだろうか? 子どもたちが、真に学ぶことなく大人になっていくような気がしてならない。

子どもを良い大学に入れること、「勝ち組」にすることが「良い親」だと、大人は社会に擦り込まれている。だから多くの親が、心を鬼にして遊びたがる子どもに言い聞かせるのだ。「今だけ我慢しなさい。」もちろん、「勝ち組」になるためには、それが「今だけ」で終わるはずがない。子どもたちはそうして、一度しかやって来ない子ども時代を奪われていくのだ。

「勝ち組」の先に幸せはあるのか? そもそも自分たちは誰に勝とうとしているのか? 答えのないまま、大人は自分たちがつくってきた競争的な格差社会に子どもたちを適応させようとする。確かに「既存の社会」における子どもたちの選択肢は増えるのかもしれない。しかし、そこには、子どもたちにしか創れない「新しい社会」を創造する自由はない。

子どもたちは今を生きているか。
自分の頭で考えることを許されているか。
自分が決めた道を歩んでいるか。

パンを選ぶことに満足しない人々に課せられた、大きな責任である。


鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2023年4月号からの転載記事です。


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