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揺れ動くアナキズム


はじめに

 最近、日本に蔓延っているプロティアン・キャリアについて思うことを「ぐるんぱのようちえん」を通して記事にした。

 この調子で自己啓発についても文句をつけようと記事を書いてみたのだが、なかなかうまくまとまらない。というのも、この自己啓発・キャリアの勉強で今まで全くしてこなかった内省・自分がしたいことを少しずつ考えることができてきたのだ。その過程こそ紆余曲折(上記記事のキャリア反発、後述するアナキズムとの出会い…)はあったのだが、自分の中の軸はまとまってきた気がする…(本当にそうか?)なので、なかなか自分の文章にまとめられず、悶々としていた。その中でも、本はちょっとずつ読んでいるので何か形にしたい。そうこうしている内に自分の中の空前のブーム(というより、割と周りでも流行り始めているみたいですね)である思想アナキズムについて語りたい。

アナキズムとの出会い

 このように自己啓発と闘っている一方で、とある思想に出会った。というか出会ってしまった。高橋昌一郎著『20世紀論争史』を読んでいる最中、ポール・ファイヤアーベントが紹介されていた。彼の著書は、『方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム』、そういえばアナーキーって言葉あったな…セックスピストルズのアナーキーインザUK、スパイダーパンク世界のキャプテンアナーキー…邦楽はブルーハーツ、クロマニヨンズ、尾崎豊ばっか聞いているので、こういう思想は合ってるじゃないかと思い、門を叩くことにした。
 とりあえず買ってみたのが、森元斎さんの「アナキズム入門」と栗原康さんの『サボる哲学』前者はアナキズムの歴史を学ぶにはちょうどいいかなと思い、後者はアナキズムについてネットで調べるとまずこの人の本がたくさんでてくるので、kindleUnlimitedのものを買った。
 読んでてすぐ気づくのが、自分の文体が似ていることだ。ものすごく口語的というか、読点が多いというか、栗原さんのに至ってはひらがなが多すぎてびっくりした。自分がnoteを始めるときに書きたいように書いた方が続くだろと思い、気楽に書いてみたら、インターネットミームだらけになっていたのだが、この2人も文のおしりに誰かの歌詞や暴力的な表現を書く傾向にある。やりたいことしかやらないし、書きたいことしか書かないと表明している文体は、力強くのびのびしていて好きだ。そしてその根底にはしっかりとした学問が根付いている。どちらも哲学者・政治学なので、過去のアナキストの引用を多く用いる。以前記事で紹介したタナケン先生のキャリア本は大学教授であるのに、引用の少なさにびっくりした。
 ここまで書いてあれなのだが、本をほめるのってめちゃくちゃ難しい。というのも自分が読書にほとんど触れてこなかった背景がある。なんなら9月より前は本なんてほとんど読まなかった。(中学のときに伊坂幸太郎にはまった位)超哲学初心者である。なので、ここからは君の目で確かめてくれ!ということで、両氏のおすすめな本を紹介する。(といっても、読みかけの本含めまだ4冊しか読んでません…これからたくさん読みます…)
 まずは栗原康さんの『サボる哲学』だ。今、『はたらかないでたらふくたべたい』を読んでいるのだが、一旦、こっちをおすすめする。まず、冒頭の年収200万に喰らってしまった。(森さんも本で年収200万と書いてあった。世知辛い…)まさに『サボる哲学』だ。この本は、ひたすらもってくる引用がめちゃくちゃ面白い、千眼美子の「摩滅の悟り」(ここが一番笑ってしまった)、いきなりステーキの話、様々だ。そしてそれ以上に、本人の経歴が面白い。本当に働きたくないというか、やりたいことだけやるという強い意志がエピソードの節々から伝わる。この本は復職したての自分が読むべきではなかった、せっかく練り上げてきた就労への思いを根こそぎ取られた気がする。でも、代わりに自分のしたいこと、この本の言葉を借りるならやっちゃうこと、を探すきっかけになったので、とてもおススメです。

 もう一つは、森元斎さんの『もう革命しかないもんね』だ。『アナキズム入門』はアナキズムを構築した5人のアナキストの評伝というまさにアナキズムの教科書といった感じだったのだが、著者本人の話があまり語られていなかった。『もう革命』は、森さんの経歴・生活・嗜好からこの社会に対する革命が語られているのがGoodだ。なにより親近感がわいたのは、現在は福岡~長崎に住んでいるのだが、育ちが多摩地区であったことだ。自分も社会人で一人暮らしをするまで、ずっと多摩地区で暮らしていた。森さんは家がかなり貧乏で本人もそれなりにやんちゃだったらしく、自分の、暮らしについては不自由なく(まあ体は不自由なところもあるんだけど)過ごしていた背景と正反対だが、そこに自己啓発が定義するものとは別の真の自立性があって憧れる。栗原さんの本はすごく面白いのだが、ときにどこかふわふわとした印象を受け、読んだことを全て真似してしまえばとんでもないことになりそうな気がするのだが、こちらの本は、どちらかというと地に足についており(栗原さんがふわふわ浮いているってことではないです!)、アナキストとして社会からずれた先の生活を楽しく書いている。とにかくよかったので読んでほしい。

 あと番外編として、ポッドキャストも紹介する。アナキズムで調べていたらでてきた番組だ。『働くことの人類学』。全然アナキズムに関係なさそうだが、文化人類学者のフィールドワークから得た他の民族の働き方から、日本人(というか先進国)の切羽詰まった働き方へ疑問を投げかけている。(ホストの松村圭一郎さんは「くらしのアナキズム」という本を書いており、こちらも読みたい。)アナキズムが文化人類学と密接に関わっていることがよく分かる番組だった。

アナキズムと自分

 アナキズムのネット記事を読むと、何度もアナキズムは「無政府主義」と訳されるよりは、「無支配主義」の方が近いですよと前置きが入る。無政府主義だとすぐに国家なんていらねえという危険思想扱いされてしまうので、いやいやそんなことないよ、むしろ国とか大きな組織に縛られず、人と人が相互扶助を行う関係を築こうとしているんですよと訂正しているのだ。とはいえ、先ほど紹介した本にはこれでもかというほど、国家はいらない、資本主義は敵だ、なんなら共産主義も権威にまみれている、といった文が多くある。この内容に対して頭では分かる!今の国家・政治の希望のなさ、資本主義の立ち行かなさにくそくらえと拳を振り上げたくなるのだが、どうしても体が拒否してしまう部分がある。国なんかいらねえとまで口に出せない。
 その背景には、自分の家族にある。自分の父は公務員である。(父は公務員)しかも、直接的な表現は避けるが、アナキスト・思想家が真っ先に嫌う”あの公務員”なのだ。この職業をする父親はなんだか厳格なイメージがあるが、うちは全くそんなことはない。今までイジリイジられの繰り返しで今まで仲良くしてきた。子供が犯罪に手を染めないために親はなんと言っているのだろうか?うちの親は、もし家族が逮捕されたら、父が即座にクビになり路頭に迷うからやめなさいと言われてきた。なんというかすごく合理的な教えだと思う。そのため、犯罪に手を染めるほど荒れたことはなかったし、月に何度か実家に帰るほど仲良くしている。こういうルーツがあると、国家なんていらねえと拳を振り上げようとすると、自分の父まで否定するような気がして、腕が止まってしまうのだ。
 アナキズムの本を読むと、権威に対する反抗する自分と服従・共存しようとする自分がいて自己矛盾の渦に巻き込まれてしまうのだ。そしてこの自己矛盾は、いろんな場所で発生する。自己啓発が飲み込めない自分、とはいえ会社でうまくやりたい自分。彼女をどうしても作りたいと思う自分、世の女性に対して呪う自分。自分は、この心の運動を「揺れ動く」と名付けた。(恋じゃないんだから。)ここ最近はずっと揺れ動きながら、生きている。正直、辛いのかもしれない、でもそう揺れ動くことが生きてるって感じで楽しいとまた揺れ動いている。自分はよく貧乏ゆすりをするが、この揺れだって自己矛盾から漏れ出てきたエネルギーなのかもしれない。

アナキズムを実践する友人

 先週、大学の合唱サークルの同期と、軽井沢~草津で旅行してきた。軽井沢のコテージで1泊し、草津の温泉宿でまた1泊する、とても楽しかった。いつも申し訳ないと思うのだが、同期と旅行するときは、友人のK君に旅行のプランを一任してしまう。同期の多くは、ペーパードライバーなので、今回は、計画、宿の予約、移動のドライブの全てがK君に集中していた。自分がしたことと言ったら、おばあちゃんからもらったリンゴジャムを提供する位。K君は本当にありがたい存在なのだが、旅行終わり、日高屋で夕食をとった時にとんでもないことを口にした。
 K君「明日、八王子に行って、陶芸をするんだよね。」旅行で相当疲れていると思っていたから、耳を疑って、なんで陶芸するのと聞いた。
 K君「自分の周りのものは自分が作ったもので、揃えてみたくて。この前、マフラーも編んだし。今度畑もやろうと思っている。」開いた口が塞がらなかった。彼は国家・消費・資本主義に頼らない生活を実践している。自分がアナキズムの本を読んでいて、国に頼らない自給自足・相互扶助的発想は理解できても、実行にまで移せなかったのだが、彼は独自で実践していた。もしやと思って、仕事のやりがいについて聞いてみた。
 K君「ない。」はっきりと言われた。

内心、こんな顔をしていた

彼はちょっと思想をかじった自分とはくらべものにならない位、アナキストだった。相互扶助までいったかは分からないが、国・社会にとらわれない生き方を実践している。くぅ~かっこいいぜ。せっかくだから、kindleで読んでいた『もう革命しかないもんね』を旅行のお礼にもう一冊買ってプレゼントした。彼はその本とかなり似た生活をしていると思ったので、その応援になれば…と思ったのだ。がんばれ、自分。がんばれ、K君。がんばれ、ニッポン。

揺れ動いたその先に

 アナキズムの本を読むと、「揺れ動き」によってちょっと苦しいところはあるが、やっぱり読み物として大好きなので、これからも読んでいこうと思う。次は、この界隈で非常に有名なデヴィッドグレーバー(『ブルシット・ジョブ』とか書いた人)をよみたいが 、値段がけっこう高くて、手が出せない。
 内省によって考えた自分のやりたいことは、こういう風にもっと自分の何かを表現できる仕事がいいと思ったが、具体的な所はなにも定まってない。でも、それでもいいのかもしれない。
 今回も大好きなブルーハーツの歌詞引用で締める。

はっきりさせなくてもいい あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ
~省略~
幻なんかじゃない 人生は夢じゃない
僕達ははっきりと生きてるんだ

THE BLUE HEARTS 甲本ヒロト 「夕暮れ」

なんというかこの対比がすばらしい。未来に対しては、ぼんやりとした感情を抱いていい、ただ、今生きているってことはそれはものすごくハッキリとしたことなんだぜ、アナキズムへのあこがれの原点は、ヒロトからの影響を受けているとことを改めて感じた。
 ここまで読んでくれてありがとう。今回は支離滅裂だった気がする。どうでした?

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