一期崎という人間〜幼少時代〜

こんにちは。こんなキモい文章をノートに書きまくる私を コイツは何者なんだ? 汚言症か? と思う人も多々居ると思うので、今回は私の幼少時代について話をしたいと思います。 しばしお付き合いをお願いします。

(赤ちゃん〜幼稚園時代)
私は長野県のど田舎に生まれました。家の周りは本当に何もなく無数の山々に囲まれて居ます。昔兄の友達数人が家に遊びに来た時「すげえ!! 崖じゃん!!」と意味不明な事を言って居たくらいのど田舎です。私はそこで4人兄弟の三男として生を受けました。こう見えて幼少時代は体が弱く頻繁にゲロを吐いて居ました。しかも痛みにも弱かったので成長痛の痛みにも耐えられず泣きながらゲロを吐いて居ました。今は目も当てられない癖っ毛なのですがこの頃は直毛で髪も非常に長く、顔も もののけ姫 に出てくる首がガックガクの妖怪みたいな感じだったので地方テレビのかわいい子供特集みたいな奴に母親と一緒に出演した事もあります。この辺は頻繁にゲロを吐く中性的なかわいい子みたいな感じで親戚からも幼稚園の先生からも非常に可愛がられて所謂 人生の黄金時代 でした。

(小学生時代)
小学生になるとゲロを吐く癖は無くなり、友達と活発に外で遊ぶようになります。自転車にも興味を持ち始めて補助輪付きの小さい自転車に乗る練習を始めました。おばあちゃん子だった為一緒に自転車に乗る練習をして居たおばあちゃんに「おばあちゃんも乗ってよ!」と大人用の自転車に乗って見本を見せてくれと頼んだのですが、おばあちゃんは自転車に乗れなかったので何回か乗ろうと試したけど、失敗し続けてブチギレてその場で自転車を蹴って破壊してました。暇になると僕に黒飴を舐めさせて全ての歯を虫歯にしていたおばあちゃんも今は施設で楽しく暮らして居ます。そんな僕も小学校3年生の頃、とうとう習い事を始めました。そろばんと水泳です。僕の通って居た水泳教室は水泳の時に被る帽子の色で階級が分かるようになっていて 白帽子(上級者 主に小学校高学年や中学生 1番奥のレーンに居て、はちゃめちゃな距離を永遠に泳がされて居て怖い) 青帽子(中級者 小学校3年生か5年生くらいが多い 初めてスクールのバスに乗った時にこの色の帽子を被って居たクソガキに股間を ドーン とか言って殴られたせいで全員目の敵にして居た) 赤帽子( 幼稚園児や小学校低学年しか居ない。 小さい浮き輪みたいな奴を体にはめられて泳がされたり、1時間くらい顔を水につける練習をするガチの赤ちゃんみたいな子しか居ない階級)  僕は小学校3年生から6年生まで赤帽子の所で一生顔を水につける練習をしていたので赤帽子のボス扱いされてました。そろばんも3年やって居たのになんの級も取れなかったけどそろばんをパチパチ鳴らすのが気持ちよくてASMRみたいな感じでずっとやってました。この頃になるともういじられキャラになって居たのと僕が人を笑わせるのが大好きだった為、笑いを取る為にサラサラの長髪だったのに親の反対も押し切っていきなり丸坊主にして登校したところ、普通にドン引きされた挙句それ以来ずっとありえない癖っ毛になってしまって本当に最悪でした。あとお腹がゆるく頻繁にウンコを漏らして居た為、運動会のリレーの最中に腹を下して担任の教師を呼んだところ、当時担任が新任だった為かあり得ないくらい焦り始めて、 ギリギリウンコの洪水を耐えている決壊寸前の表面張力ダム みたいなアナルをしていた僕の手を握ってグラウンドの近くのトイレまで全速力で走り始めて、普通にそこまでの道中で全部漏らしました。トイレの前まで案内してくれた先生に「助かりました、、」みたいな顔して泣きながらトイレの水道で自分のパンツを洗った事をいまだに覚えています。


(中学生時代)

中学生になると部活という制度が始まりました。僕の居た中学は全校生徒が100人にも満たない典型的など田舎にある中学校という感じだったので、部活は 野球部かバスケ部 の2択でした。野球部は少年野球をやって居た人が大半だった為消去法でバスケ部に入りました。バスケ部の顧問は全然やる気がなかった為、部活が終わる5分前に体育館に来て少し練習風景を見たあとに毎回練習を中断させて部員全員を集めて「お前ら ガードしろ」 とだけ言うのを2年間やってました。3年生に進級した時にバスケ強豪校の顧問が新しく赴任して来て練習も熱量も違い過ぎて「なんだったんだアイツは」とだけなりました。この頃になると性の話も増えて来て同じ塾に通って居たヤンキーみたいな友達におっぱいの感触とか初体験の話とかを永遠とされて気がおかしくなり、塾の待合室にある木で出来た裸の女の子の像に向かって腰を振ってそこに勤めて居た同級生の母親に見られてめちゃくちゃ気まずかったです。卒業シーズンも近くなり、当時2年間片想いをして居た女の子に想いを伝えられずにいた僕に対して友人達が「後悔するから今電話で告っちゃえよ」 と促して来た為、友達5人くらいと遊んでいた時に電話で人生初めての告白をしました。当時今と違って皆んな中学生で携帯など持っていなかったので家庭用の電話でした。両親が出ずに1発でその子が電話に出た為めちゃくちゃ動揺したのをいまだに覚えて居ます。結果はめちゃくちゃ振られました。皆んな笑いながら「ドンマイドンマイ」みたいに言ってくれて後腐れなく吹っ切れる事が出来ましたが、次の日に学校でそいつらにめちゃくちゃに言いふらされた挙句「あいつ2回目も告白するって言ってたぜ! ストーカーかよ!」とか言われてその頃からこの世の全てをトー横にしようと心に決めました。


長くなりましたが幼少期はこのような人生を歩んでまいりました。まだまだここに書ききれないほどのうんこを漏らして床に落とした話や、友達が隣人の家に風船とゴムボールを千本ノックして、その時家で1人でピクミンをして居た僕に全ての罪をなすりつけられて隣人に僕と弟だけバチギレされた話などはありますがまた違う機会に話します。最後に僕の人生を変えた話をして終わりにします。
 僕が中学校1年の時に友達数人と河原で水切りをして遊んで居た時に「なんか面白い事して水切りしろ」という番長みたいな奴の理不尽な無茶振りが始まり、当時思春期真っ盛りな引っ込み思案で面白い事なんかした事もなかったから、死ぬ程焦った僕はとにかくデカい声で同級生のまさや君の名前を絶叫しながら水切りをした所、大爆笑が生まれクラスの一軍みたいな奴らに好かれる事に成功し「は、、?」となりましたが 世の中デカい声出してたらなんとかなるんだな  となりました。これは今でも僕の教訓です。

 長い文章になりましたが読んでくれてありがとうございました。 


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