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現状、報告。

僕の祖父母の家は石川県の北寄りの田舎にあった。

そこは30分も歩けば、海にも山にも行けるような土地だった。

どこから吹く風にも、土と葉の香りがした。

都会で人工的な雰囲気の風雨にさらされ、すっかり資本主義社会の歯車になった僕にとって、それは逆にすごく新鮮で懐かしいものだった。


子供のころ、僕の家族は夏休みやGWになるたびに、この祖父母の家を訪れた。

そしてこの田舎の豊かな大自然を横目にニンテンドーDSで、どうぶつの森の博物館を充実させたり、草むらから出てきたポケモンを捕まえては遊ぶという倒錯した時間のすごし方をしていた。

この家が建てられたのは昭和57年で、祖母いわく「この辺で一番古い」という話だった。


そんな思い出深いところで暮らし始めて、一ヶ月が経とうとしていた。

折しも年始に震災があり、祖父母もその被害にあった。

彼らはたまたま僕の弟や妹と過ごすために金沢まで出てきており、その家には誰もいなかった。

祖父母はそのまま金沢で二ヶ月半ほど生活し、僕が地元に帰るタイミングで自分たちの家にもどった。

両親によると、被災当初の家の状態はひどいものだったらしい。

家具という家具は倒れ、収納されていたグラスの類いは棚から落ちて壊滅、外壁や風呂場のタイルには長いひびが入っていたそうだ。

「足の踏み場もなくて、靴のまま家の中あがってんぜ」

祖母はそう言って眉をひそめていた。

それでも僕が帰郷する段になると、僕の両親の手を借りて、一通りの片付けや暮らすスペースの確保までは済ませていてくれた。


僕は、数年前に亡くなった叔父が生前使っていた部屋で寝泊まりしていた。

彼の部屋にあるものは、ほとんど僕の幼い記憶のときのままだった。

大きなテレビモニターとスピーカー、ジャズのレコード、大量のCD、好みの偏った古着、サーフボードみたいな形の姿見。

それらに囲まれているとき、僕の精神は小学生時代に戻ってしまうようだった。

思わず、カバンの中に入れてきたはずのニンテンドーDSを探してしまいそうだった。失くしたタッチペンを見つけるために、ペン立てをひっくり返しそうだった。


そういう感覚は他にもあった。

例えば町内を散歩しているとき。

遊びに行ったことのある近所の古民家が建っていた場所に、今は新品の消しゴムみたいな家が越してきていたり。

誰が使っていたのかもわからない公民館的な建物が、廃墟になって風化していたり。

記憶にない、広い道幅の道路に差し掛かったりするとき。

そういうときに、僕は自分の知っている風景を呼び起こして、いま目にしている景色と見比べてみたりするのだった。

懐かしいが、どこか違う景色。

ただそんな景色の中に、今は文字通り亀裂が生じていた。

連日テレビニュースで観るような崩れた家が、近所にまばらにあった。

建物自体はさほど被害を受けていなくても、地盤が沈んだり浮き上がったりして、まるごと無人となっている一角もあった。


祖父母の家は自治体の調査によると、『半壊』に分類されている。

しかし運良く、住むには不自由のないほどの状態だった。

ひとまずは、ここで自分のできることを考えていこうと思っています。

片付けとサポートと、それから書くことについて。

そして余裕があれば、またモンスターボールを投げまくりたいと思った。

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