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ハートランドの遙かなる日々 第9章 広場の王

 約束の日の正午、アルトドルフには人々が犇めくほどに集まっていた。重大なる発表がこれから行われるのだ。遠くの村からも人々は訪れていた。そこへ騎士修道士を伴った貴族の一団が現れた。そして広場の壇上にマント姿の精強そうな男が立った。人々がざわめくのを手で制すると、その男は演説を始めた。

「諸君。私は王の命によって、新しくこの地の代理執政官に任命されたゲスレルである。立て札に書き示して置いた通り、このウーリの地は帝国直轄領としての自治の王許を頂いた希有の土地である。その多くは聖母聖堂の領であるが、その保護権者たるラッペルスヴィル家の断絶が決定し、その諸権利は併せてハプスブルク大公の預かるところとなった。そもそも帝国直轄領には管理者を任ずるのを通例としており、それは抵当権からハプスブルク家が任じられ、今まで保持していた。この程、この体制を帝国代官領と改め、代理執政官として私ゲスレルが任じられる事となった。私はオプヴァルデンとシュウィーツの代官も統括をしている立場にある。代理とは言え私が王の命の下にこの地を管理する事となる。王より頂いたこの帽子に懸けて、王命を貫く所存である。しかし諸君にはまだ突然のこと。受け容れ難い事があろう。今日はここで異議の生じるところを存分に話し合いたい。異議のある者はここで申し述べよ」

 広場は冬が帰ってきたかと思うほどに凍り付いた。
 噂は本当だった。そして今、目の前でその強権は行使されつつあった。人々は何から異議を言うべきか判らないほどに憤った。中には腰に下げたサーベルに手を掛ける者もあった。

「異議だらけだ!」

 ヘンゼルが叫んでいた。すると騎士達はサーベルを抜いて威嚇した。ゲスレルは予想していたと言うように不敵に笑っていた。

「異議を申し立てます」

 そこへアッティングハウゼンと続くブルクハルトがゲスレルのいる壇の前に進み出て手を挙げた。ブルクハルトは少し足を引きずっている。それを見て群衆の声は止み、代表としての言葉を期待した。しかし、その期待を一身に背負った二人は、肘を突き合うように譲り合っている。
 ゲスレルがそれを見て言った。

「管区長よ、発言を認めよう。当面の実務は管区長に頼る事になろうからな」

 姿勢を正したアッティングハウゼンは、静かに言った。

「まず儂から話そう。みんなが心配しておるのは税が増えることがあるのかどうかだ。それを聞きたい」
「税については、他の王領と公平を期すよう心掛ける。修道院に十分の一、王に十二分の一だ。他領ならこれに領主の税があろうが、これは自治を重んじて州のものとする。ただ、戦争などで必要に応じた徴発を行う事がある。それは帝国領の民として当然の義務であろう」

 しかし、これには大きな反発の声が上がった。アッティングハウゼンは手を大きく上げて、発言を制して言った。

「この州には自治の特許がある。自治とはゲマインデによる自主決定権と徴税の権利を持ち、特許とは他の領主からの支配と税を免れるという事である。代官は公然とこれを犯すのか。ならば王は先王が承認したこの約定を破ることになろう」

 ゲスレルはその質問こそ待っていたとばかりに言った。

「諸君。安心して貰いたい。もちろんそのことは存じている。我等は自治を重んじる。帝国代官領となっても自治を侵すことは断じてない。今も王の直轄領であるのだから税の面で他領との公平を諮っただけだ。帝国代官領もまさに王の特別な領という意味で変わりない。加えて、王の守護権下となればどこよりも厚く護られよう。この遇は最大の栄誉となることであろう。誇りに思うがいい」

 ヘンゼルはそんな修辞でごまかされず、憤りの熱を発した。

「詭弁で丸め込むってのか!」

 アッティングハウゼンは手を上げてその声を制し、群衆の熱を背に感じて言った。

「その守護権は概ね無効である。抵当権も無効のものだ。詳しくはこのブルクハルトから言おう」

 ゲスレルも、村人も、ブルクハルトに目を剥いて注目している。この重大発言を引き継がれた当人は堪ったものではない。

「アッティングハウゼンさん?」
「肝心処じゃ。ここからは儂よりお主が詳しかろう」

 ブルクハルトは一つ咳をしてから話を受け継ぎ、力強く弁舌を始めた。

「ならばラントアーマンである私が弁明しよう。第一に! 我々はこの土地の抵当を外す為、領地権分を分担金として先王フリードリヒ二世に支払った。それが故、このウーリは王の特許状を戴き、土地をどこの領下ともせず、完全なる自治を築いているのだ。これがその分担金の証文だ!」

 ブルクハルトは分担金の証文を掲げて言った。人々はブルクハルトに同意を示す喝采を送った。ゲスレルは痛いところを突かれたという風に苦い顔をした。

「うむ。存じておる。しかし、この地の多くを有する聖母聖堂の守護権は当方に委譲されたのだ。守護権とは即ち修道院の保護者であり、財産管理者でもある。上位の権利は我々の管掌下にある」
「では、第二にその守護権について! ウーリが聖母聖堂の領とされているのは面目上のことで、それぞれ住民が所有する土地を修道院に預けることで共有地を確保している。本来の領有は教会の土地以外はウーリ自治共同体とその自由民のものである。よって守護権はこれらの土地には及ばない。これが土地預かりの証書の写しである」

 ブルクハルトは、証書の山から書類を取り上げて掲げた。証書はここ最近で作成した預かり証である。群衆はまたも拍手喝采である。ブルクハルトは証書を様々な方向へ示した。ゲスレルはそれを見て言った。

「預けたとしても所有実態があればそれは修道院領としての権利が生じるだろう。守護権は修道院領の徴税に及ぶ事もある。その権利は上位のものだ」
「我々が揃って返せと言えば? ほぼ土地は無くなり実態が無い事になる。そもそもラッペルスヴィル伯の守護権は領地や税には及ばず、文字通り修道院の財産と治安の保護をするものだった。ましてウーリには自治権がある。その引き継いだ以上の権利は自治権の侵犯であろう。その当然の引き継ぎが無いようならば権利移譲も怪しい事になる。エリーゼ様がこんな横暴な代官に守護権を譲るとは到底信じられぬ。自治侵犯の上、権利も不当に奪ったのなら我々にも敵である事になる。古来ここに剣を持って集うのは非道を行う敵を討つためである!」

 人々はサーベルを掲げて口々に呼応の声を上げた。
 ゲスレルは王の権威を示せば領民を支配出来ると思っていた。しかし、領民が靡かなければ、領主は存立出来ない。王からの信任も解かれるに違いない。追い詰められたゲスレルは、もはや最後の切り札を出すことにした。

「守護権については前任のラッペルスヴィル伯を引き継いだものだ。その通りに致そう。しかし、この立て札の通り、この地は抵当になった事によって管理者としてハプスブルク家が任じられた。それは特許以前に既に合法的に行われた事なのだ。それに加え、借金が残っていた限りは抵当権は保証人と同じく土地を選んで行使出来る。ハプスブルク王はこの地に自治権があった事を尊重され、長年その権利の行使を留保して来ただけなのだ。そしてその管理権、抵当権、そして守護権は代理執政官である私に引き継がれた権利なのだ。私にはそれを自由に行使する権利があるのだ」

 民衆は二の句が継げなかった。借金取りにそう言われれば抗弁は出来ない。それが王が取り決めた事ならば、なおさら反駁は不可能と思われた。

「では第三に、抵当権について弁明しよう!」とブルクハルトは大きく響く声で言った。
 広場を取り囲む群衆は、その言葉を逃すまいと黙って聞き入った。

「そもそも、抵当を支払うべきは我々ウーリ側ではない。王の借金であるのだから王政府が返すべきものである。にも拘わらず、その借金の一部は前王に代わって我々が分担金として支出し、当州の領地権相当分を支払った。当然これは領地権の代替として、特許の権利と引き替えであった。そのことが書かれているのがこの特許状である! 分担金の支払いもあったために自治の特許を与えるとある。これは領地権を買った事と同義であり、そのため当邦には領主はいない。我々の先人はそうする事によってウーリを独立した自治州としたのだ! これがその特許状だ!」

 ブルクハルトが強く宣言すると、アッティングハウゼンは特許状の入った筒を示し、それを高く掲げた。村人は呼応の声を上げ、剣を持ち上げた。が、すぐにブルクハルトは話を続けたので、上げた剣はすぐ元に戻った。

「よって! 領地権分が支払い済みとあらば、当然ながらこの土地の権利は我ら自治共同体の物であり、抵当権、領地権は発生しない。毎年の分担金支出の証文はここにある通りである。完済済みだ!」

 ブルクハルトは再び証文を高く掲げ、人々は拍手喝采を送った。
 ゲスレルはそこへ叫ぶように言った。

「しかし、その借金総計の過半は残っていたのだ! 抵当権が発生するのは当然だ!」
「重ねて言う! その借金の抵当を払うのは我々では無い! 我々は一円も借りてはいないからだ。なのに我々は既に領地分の立替金を支払った。それは誰が受け取ったのか。ハプスブルク伯その人ではないか。前王は領地権の替わりにこの自治特許状を下された。それを抵当権と管理権で取り上げる? 分担金も貰っておく? 不当な二重取りではないか! 借金立替え金、領地権、その上に自治権の侵犯、そして税と通行料をも召し上げようとは三重四重の権利の簒奪だ! 何たる不当! 我らが剣はこの権利を守るために捧げられている!」

 ブルクハルトが剣を眼前に掲げると、剣を持つ多くの人々は強く「そうだ」と口々に呼応の声を上げ、同じく剣を眼前に掲げた。それは農夫達が一瞬にして騎士団となったような威圧感だ。
 ゲスレルは動揺しながらもヒステリックに叫ぶように言った。

「本来的に抵当は、債権者が選ぶことが出来るのだ! 証文にもある」
「確かに、何処に幾ら債務が残っていて、何処に抵当があるかはこちらでは知る事が出来ない。借用証書はこちらには無いからだ。代官殿は今何処にあるかご存知ですな?」

 ゲスレルはようやく勝ち誇った顔になった。

「そうであろう。王の元には多数の借用証書があるのだ。双方に抵当についても選べる記述がある。つまり正統な権利なのだ」

 村人の表情が沈んだ。その中でブルクハルトだけは笑みを浮かべた。ニヤリと。

「それこそが証文! 債務は借用証書を継承した者が支払うものだ。それを返すのは王位を継いだ者であり、それは現在借用証書を持つハプスブルク王であろう。つまり、既に借金の精算は済んでいるのだ! つまり、抵当権は無効である! 抵当権に由来する管理者の任も自治にあっては無効。守護権に由来する徴税権も当地には無効である。つまりは代官には有効な権利は無い。今、自治の権利は我々自治共同体にあるのは世に明白である。ならば権利者である自治共同体のラントアーマンとして言おう。我々は徴税や王代官の権利拡大などの不当要求は却下する! 自治の事であれば多数決で決定だ。賛成の者は挙手を!」

 起死回生の言葉だった。この言葉に群衆は呼応の声を上げ、サーベルを上げた。

「全員一致で却下を決定する!」

 もう何の声も聞こえない程の歓声が沸き上がった。
 ゲスレルは二の句が継げなかった。抵当権、守護権ともに無効ならば、主張するべき権利が無い。
 一部の町民はサーベルを振り上げて勝ち鬨の声を上げた。

「エイエイオー!」

 その声は波のように次第に広がっていく。掲げられたサーベルの数は、ゲスレルの周囲を護る十数人の騎士をも圧倒していた。
 面目を丸つぶしにされたゲスレルは真っ赤になって憤りを押さえた。

「今日はそうした反対意見を聞きに来た。だから許そう。その意見を王に諮り、今後の方針を決めることとする。今日はこれまで!」

 騒音の中、そう言ってゲスレルは壇を降り、貴族や騎士の一団は広場を逃げるように去って行った。広場の人々はさらに大きな喝采の声を上げた。あちこちで「ブルクハルト!」と讃える声が起った。

「ブルクハルト! やったぞ!」
「王家の犬を追い払ってやったぞ!」

 村長やヘンゼル、村人達はブルクハルトを取り囲み、胴上げを始めた。幾度か空高く投げられ、そこから降りてきたブルクハルトは、村長とヘンゼルに放心顔で言った。

「言ってしまった……王がどう出てくるか……」
「なーに。よく言ったさ。今までの苦労は無駄では無かったのう」

 ヘンゼルがそう言うと、ブルクハルトは感無量になって頷いた。
 ヴァルターもやって来て、握手を求めて言った。

「凄かったさあ。もうブルクハルト先生と呼ばせて貰います。これ、手紙が来てました」

 そう言って一通の手紙を渡した。
 そして、アッティングハウゼンとブルクハルトは町の喝采に応えながら通りの中央を歩いた。さながら祭りの日のパレードのようだった。

 その日、夕方になって、家にエルハルトとアルノルトが帰って来ると、ブルクハルトは預かっていた手紙をエルハルトに渡した。その封筒は異様に分厚い。

「これ、エルハルトに手紙だ」
「エルハルト兄さんに手紙? 珍しいな」

 アルノルトが興味深げに覗き込む。

「ありがとう。誰だろう。クヌフウタさん!」

 エルハルトはその名前を見て、思わず手紙を隠した。
 ブルクハルトはもう一つ渡すものがあった。

「アルノルト、玄関の飾り棚を見てごらん」

 玄関先の棚の上には、古いクロスボウが置いてあった。
 アルノルトはそれを持って、思わず飛び上がった。

「やった! 貰って来てくれたんだ!」
「やっぱりかなり錆びてたが、よく手入れするんだな」
「うん! これでもっと練習するよ」

 そう言ってアルノルトは早速弓弦を引っ掛けてみた。

「うん。使えそうだ。少し軽いし使いやすそうだ」

 居間の影へ行き、エルハルトが手紙を開けると、そこにはクヌフウタが手紙で問い合わせて知り得たイサベラの状況が書かれていた。

「イサベラさんは無事だそうだよ」

 居間に近いキッチンにいたアフラはこの声に跳び上がった。

「えっ! 本当? 私の所へは返事無いのにずるい」
「あるぞ」

 エルハルトは三通の手紙をアフラに渡した。

「えっ。誰から?」

 アフラはそれに飛びついたが、それを見てすぐに落胆した。それはすべて自分が出した手紙だったからだ。

「クヌフウタさんからだ。お前の出した手紙が送り返されて来たよ。今やもう不在なので出さないように伝えてくれだって」
「きゃーっ。恥ずかしい」

 アルノルトも居間に来て聞いていた。

「クヌフウタさんは何だって?」
「王女からの手紙によれば、イサベラさんは丁重に扱われているってさ。ただ、メッケンのハプスブルクの城の一角から出られず、連絡は禁じられ、軟禁状態とのことだ」
「まあ。それは気詰まりね」
「どこで覚えた? そんな言葉」
「イサベラさんがそう言っていたの」
「そうか。じゃあすぐ出られるといいな」
「そうね。私、そう祈るわ」

 アフラは手をぐっと組んで言った。
 エルハルトもアルノルトも気持ちは同じだった。


 ルーツェルン湖を見下ろすように、小さな山上に高く聳えるノイハプスブルク城。ルードルフ・フォン・ハプスブルクがこの城に帰還するのは久しぶりの事だった。

 振り返れば、ルードルフ一世は神聖ローマ帝国の王の座に就く前から戦続きだった。即位に対して叛意を向けたボヘミア王オタカル二世と戦って勝利を収めたが、その出費はとてつもなく大きく、常に財政難に見舞われていた。
 もともとアルザス一州と小さな飛び地の小領主に過ぎないハプスブルク家が王に選ばれたのは、神聖ローマ帝国に長らく王の空位が続き、教皇派が権威を増大する中、対抗していた王統派としては取り急ぎでも神聖ローマ帝国を統合に導く王の存在が必要とされていたからであった。選帝候と呼ばれる五人の貴族と二人の司教は、教皇との対立が少なく、前王家から降嫁のあった小領主のハプスブルク伯を選んだ。
 すると当時東欧を縦断する最大の領土圏を持ち、自ら王に選ばれると自認していたボヘミア王オタカル二世は、ハプスブルクを貧乏王だと軽んじて叛意を表し、戦争が起こった。この戦争には辛くも勝利したものの、王領の拡大は王家のためにも神聖ローマ帝国の安定維持のためにも火急の課題だった。国情の不安定さのためか、先王と教皇派の対立のためか、ルードルフ王はローマ教皇よりの戴冠の許可もまだ得られていなかった。
 ルードルフ王はオーストリーで戦後の処理を済ませ、オーストリーを王領に組み入れ、息子のルードルフ二世をオーストリー公に任じた。
 そしてそのすぐ後、バーゼルとブルグント圏を支配下に入れるべくポラントリュイ包囲戦を指揮し、ルノー卿の降伏を得ると、そのままブルグント自由伯領の首都ブサンソンまで進軍してブルグント自由伯領との講和を結んだ。この降伏はブルグント公国の援軍が無い事で決定的となったが、その理由の一つがブルグント公女であるイサベラの身柄を確保した事であったと言って良い。
 王軍は次にはベルンやムルテン等のブルグント同盟都市、そしてブルグント自由伯領の後見役であったサヴォイア領へ進軍し、城を包囲して長期戦になるのを見届けて、メッケンの丘の上にあるノイハプスブルク城へと帰って来たのだった。
 そんな中で届いたのは、ゲスレルがもたらしたウーリの動向だった。

「王陛下。ウーリの住民への説明ですが」
「うむ。首尾良くいったか」
「それが、特許状と分担金の証文などを盾にして、王領に入ることを拒んでいます」
「しっかり説明したのであろうな」
「詳細に説明をしたのですが、守護権、抵当権は無効だと証文を挙げて反証するものがあり……」
「その者の名は?」
「それは分かりません」
「分からないでは話が進まぬではないか!」
「はい! 申し訳ございません……」

 そこへ王の横から王子のアルプレヒトが出てきて言った。

「その男の名はブルクハルト・シュッペル。ビュルグレン村の管区長です。その家に多くの証文が残っていたようです」
「アルプレヒト。そなたはまた町へ出て調べておったのか」
「はい。これも、王家の努めです」
「そなたの抜け目無さには参ったわ。で、その男は何と申しておる?」

 ゲスレルは答えた。

「守護権については、ウーリは聖母聖堂に土地を預けているだけで、引き上げればその領地権の殆どは無効であると。また、抵当権については分担金を支払い済みの上、先王の負債は王陛下自身の継承となり、借金は完済していると申しており、抵当権に由来する管理権や代官の権利などは自治権によって多数決で決定し、却下だと主張しております」
「むう。小賢しいな。やはり王領下となることを拒否しているという事だな」
「いかがいたしましょう?」

 少し考えて、ルードルフ王が口を開いた。

「実はラッペルスヴィル女伯はホーンベルク伯の猶子を婿養子にしたようでな。権利の回復を願い出て来た。あのホーンベルク家なら縁戚でもあるし、旧領主に戻る形であれば穏当だ。民心も収まろう」

 アルプレヒトが驚いたように言った。

「アインジーデルン修道院からは守護権者をザンクト=ガレン修道院の指名者に任じて欲しいと要望が来ていましたが」
「修道院の要望は尊重せねばならんな。ならば、双方で争わせてから上手く言って取り上げるとしよう。守護権とは領主権に匹敵するからな。ウーリには帝国代官領の面目は外さぬことだ。後で回収出来るようにのう」
「賢明なるご采配です。しかし民衆を煽動する輩を放っておいて宜しいものでしょうか」
「ならば有効な権利を行使するか。言うことを聞く管区長を用意すれば良いのじゃ」
「さすがは王陛下。しかし、このことは青空会議として聞いて決定を行いましたので領民全体に周知されている事です。自治の州ですので一人変えるのみでは収まらぬかと存じます」

 王子のアルプレヒトが進んで言った。

「確かにその者は町民の信任も厚く、反感をさらに煽る結果となりましょう。ただでさえ民衆は王家に反発している状況です。それに足る面目が無いことには反乱になりかねません。ただでさえオーストリアの統治も落ち着かず、さらにはブルグント、サヴォイアとの係争中……不安定な事態は教皇派に付け入られる恐れが」

 老王はアルプレヒトと目で頷き合った。

「そうじゃのう。今事を荒立てるとまずい。泳がせて面目を見つけるのだ」
「は!」
「シュウィーツの方はどうじゃ」

 ゲスレルが答えた。

「シュウィーツにも徒党を組んで反抗をしているシュタウファッハという管区長がおり、ひどく難航しているのです」
「では、そちらもその線で行くかのう」
「仰せのままに」
「やれやれ、円満にわが領となったのはオプヴァルデンのみか。オーストリーも平定には相当苦労をしたしのう」

 アルプレヒトは王に囁いた。

「オーストリーの領土は内乱の分子もおりますし、未だ不安定です。しかし、良いのですか? 年少のルーが公位では反乱の理由を与えるようなもの」
「反乱が起こるなら早いうちの方が収め易いのだ。ルーも次代の王として鍛えねばならんしのう」
「それは深謀遠慮、私には考えも及びませんでした」

 アルプレヒトは少し苦い顔をした。次代の王という言葉に。

「しかしオーストリーは二世に任そうと思っていたが、まだ荷が重いか」
「城内は常に不穏です。その為か領民との友好を称して外に出て遊んでばかりおります」
「そうか。ハルトマンを亡くして、二世に後継を譲るしか無い所なのだが、まだどうもいかん。アルプレヒト、いざとなればお主に預けるからのう」
「ありがとう御座います」
「ウルゼレン一州はもう任せてあるな。あそこは峠しかないが、国境の最大の難所だ。高い通行税を取れる」
「有難き次第です」

 働き盛りの長男であるのにアルプレヒトはオーストリーでは補佐役、領としては小領地や辺境地しか与えられていない。弟のルードルフ二世はまだ十三歳で遊んでばかりだというのに、オーストリー公の地位を与えられ、何もかも恵まれている。この格差は承服し難いものがある。アルプレヒトには生母が違うのではという噂があった。

「しかし、今はまだ反乱しかねん王侯があちこちにおるので安心出来ぬのう。王とは因果なものだ。ささいな事で内戦をし、その領を攻め取っているのじゃからな。願わくばウーリやオーストリーでまた内乱となる事は避けたいものだ」

 そこへユッテが入って来た。

「おかえりなさいませ!」

 ルードルフ王は途端に好々爺の顔になった。

「おおユーディッタか」

 それを見てゲスレルは「ではこれにて」と言って退室して行った。

「御父上様、ご機嫌斜めですの?」
「いやいや、そんな事はないぞ。そなたに御父上様と呼ばれるのは久しぶりじゃ」
「よかった。ご無事に戻られて私は嬉しいです」

 ユッテは少しスカートを持ち上げて言った。

「ありがとう。ユッテの顔が見れて私も嬉しいよ」
「御父上様、一つお願いがあるのです」
「何なりと申すが良い」
「イサベラをもう自由にしてあげて」

 イサベラはノイハプスブルク城の一室に軟禁状態だった。イサベラが捕らえられた事が影響し、ブルグント国境の都市、ポラントリュイに籠城していたルノー・フォン・モンペルガルドは降伏し、すでに戦争は終結を見せていた。サヴォイア周辺領への包囲戦は尚も続いていたが、イサベラを軟禁している理由はもう無い。

「イサベラ嬢はもう閉じ込めてはおらんぞ。大事な人質……いや、大事な賓客としてだな、警護を厚くしているのじゃ」
「ホント? じゃあもう入り口で護衛達に止められる謂われは無いのね?」
「そうだな。もう自由放免でいいだろう。どうだアルプレヒト」
「……ユッテに甘いのは判っています。いいでしょう。しかし間違いがあってはならぬ故、護衛の言う事は聞くのだぞ」
「はい! ありがとうお兄様」
「護衛には言っておく」

 アルプレヒトは忙しなさそうに向きを変え、退室して行った。

「御父上様。もう一つお願いがあるの」
「まだあるのか」
「ウーリの自治州を私は気に入りました。今度お祭りがあるの。また行って来てもいい?」
「ウーリへか! しかしどうしてウーリなのじゃ。あそこは少し不穏な分子がおると今話しておったと言うに」
「私はあの高原の共同牧場が大好きなのです。景色は天国のように綺麗で、羊達もかわいいし、人々も自治の在り方も素晴らしいわ。あそこに住みたいくらいです」
「そうか。あの土地がそんなにお気に入りか。では、ウーリを王領にした後に城を建ててやろう」
「本当? うーん、でもダメです!」
「ダメとは何故じゃ」
「そんなことしたらあの自治州の良さが無くなってしまいます。春のお祭りでは皆が集まって本当に楽しそうでしたわ。そのままのウーリが良いのです」
「なるほど。もちろん自治州には前王の特許がある。それは儂も尊重しておるぞ」
「自治だからこそ皆が楽しい場所が出来たのです。それを壊してはあちこちで怒る人が出て来るのは道理でしょう? そうなるとそこへ入るのも心安く無くなりますわ」
「そうか。そなたに一理あるわい。実際にその場所へ行って様子を見てくることも役に立つものだな」
「そうでしょう? だからまた行かせて」
「判った。可愛い子には旅をさせよと言う。見聞を広めるのも王家の努めと言うものだろう。存分に見てくるが良い。そして、ウーリの事を後で儂にも教えておくれ」
「はい喜んで。御父上様」
「しかし、ウーリでは不穏な動きが有るのは聞いたな。くれぐれも身の安全を考えるのだぞ。危険は自らの判断で避けるようにな」
「はい御父上様。ありがとう御座います」
「若い頃は儂もあちこちを旅したものだ。ローマはもちろん、イスパニアからエルサレムまでな」
「まあ。エルサレムにまで行かれたことが?」
「前王のフリードリヒ二世は交渉のみでエルサレムを勝ち取られたお方じゃ。その時にお供をしたのがこの私だ」
「まあ素敵。御父上様は大変ご健脚でいらしたのね」
「若い頃はそりゃあ健脚だったわい」
「今もそのお年で戦場へ行かれる程ご健脚ですものね」
「時に危険なところを歩むのも国を護る者の努めだろう。だが内乱とは悲しいことだ。誰をも信用出来なくなる。儂はユーディッタには安全な所にいて欲しいと思うあまり、まともに外にも出してやれなかったようだ。ゲルトルートに先立たれてからは、ユーディッタには寂しい想いばかりさせている。我が本意ではない。許してくれ」
「いいえ。今はイサベラがいるもの。寂しくなんてないわ。そうだ。イサベラも一緒にウーリに行ってもいい?」
「イサベラ嬢もか! 城の中で遊びなさい。城の外は駄目だ」
「さっきは自由にしてくれるって! それにブルグント名家のお姫様に悪い事したら未来の私逹がその国に恨まれて戦争になるんだから。イサベラは大の仲良しなの。ウーリの人とも仲良くなったの。仲良しで歩むならば戦争にならないわ。お願い」
「うむむ」

 ユッテの捲し立てる言葉に、老王は頭を抱え、降参を宣言した。

「負けたわい。未来を担うのはそなたらだユーディッタ。そのやり方も良かろう」
「やったあ!」

 ユッテが諸手を挙げて喜ぶと、老王は不本意ながらも顔を綻ばせた。

「そう言えばイサベラ嬢はルードルフ二世との婚約には至らなかったようだな。惜しい事だのう。決まっていれば此度の乱戦にも納まりが着いたろうに。アネシュカ嬢との婚約が先ほど内定したところだ」
「兄様が悪いんです。かくれんぼして見合いの権利を決めるなんて言い出すから」
「うむ。親同士で勝手に結婚相手を決められるより、かくれんぼでもして偶然出会ったような形を作りたかったんだろうのう」
「意外! 兄様はロマンチストなのね。でも、元は敵だったアネシュカがお義姉様なんて嫌よ。イサベラがお義姉様なら良かったのに!」
「そうかそうか。しかし政略結婚は王道の常だ。相手はボヘミア王の忘れ形見だ。オーストリーの平和裏の統合のためにはそれも良かろう。以前に婚約披露を済ませておるしのう」
「私も……私も同じなの?」
「そうだな。ユッテの場合、同じとは言わん。オタカルの息子、ベンツェルとの婚約も戦争前に決めていた事だが、プシェミスル家の帝国アハト罪で一度はご破算になった。誰かさんに言われてつい先日にその罪は赦免したのだがな。プシェミスル家との婚儀ではルードルフ2世とアネシュカ嬢の婚約が決まっておるし、ユッテ、お前はまだ他の者に嫁いでも良いのだ。もっともその前に婚儀を決めてしまうかも知れんがな」
「じゃあ私、城の中に閉じ籠もらず、もっと多くの殿方に会わなければいけませんわ」
「これからはもっと外に出すように言っておこう。大いに旅をして広く交誼を持つがいい。広い人脈こそがいずれそなたを助けるであろう」
「ありがとう御座います。御父上様。後でお土産話してあげる」

 老王は髭を撫でて笑った。


中世ヨーロッパの本格歴史大河小説として、欧米での翻訳出版を目指しています。ご支援よろしくお願いいたします。