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「心理的虐待」への理解が「虐待死」を減らすのでは

全然減らない児童虐待死のニュース。

子どもが亡くなった事件に関する記者会見の場でさえ、
決まって児相は「危機的という認識は無かった」等と言う。

「だってしょうがないじゃん。各家庭の問題でしょ?」
と言ってるようにしか聞こえない。

元心理的虐待を受けた当事者としては。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2f8016c27ecb1c1f27b53431e0b64c7018be4b7b

例えば上記のニュース。直近の児童虐待死のニュース。
(「埋め込み」を使うと関係者の顔写真が出てしまうので、リンクのみにしています。個人攻撃をしたいわけじゃないから。)。

記事後半に、本事案の経緯が書かれているのですが、ざっと理解すると、
・児童相談所への虐待通告が2回
→1回目の通告の後、母子及び母の交際相手と直接面接することができなかった
→2回目の通告の後、直接虐待通告に関する指導を行い、女児の保育所利用の手続きを行うよう指導。

・そして、1か月後には、児童相談所内の援助方針会議の結果、指導終結。
とのこと。

はやっ。「大丈夫」との判断が早すぎる…。
ちょっと信じられないですよ。元心理的虐待を受けた当事者としては。

うちの親は、自分のことしか考えていなかったです。
だから、「産んでやった」「育ててやった」「親の喜ぶように動いて当然」でした。

さらに若かった両親は恋愛沙汰の夫婦喧嘩も多く、母親は頻繁に家出。その不満を埋めるようにウイスキーをあおり、私を殴ってきた父親。
間に立ってくれたのは、同居の祖父母でした。

母親は「同居の祖父母のせいで、私が懐かなかった」と言いますが、
私からしたら、祖父母が居なかったらどうなってたのかな…と思います。

いまこうして生きているので、私が親に対する不満を周囲に話しても
「あなたが未熟」「親には感謝しないと」なんて言われがちです。

でも、虐待死のニュースを見ていて、
身体的虐待も、心理的虐待も、
親としての不適格な部分、根っこは同じだよなと
いつも思います。

マジで自分のことしか考えていない。
子どもをどう利用するかしか考えていない。
子どもの気持ち、好きなもの、全然興味ない。
「親として恥をかかされた」場合は自省ゼロで子どもを罵倒する。

だから、
虐待通告を受けてからの精査が荒いし、親元に返すのが早すぎると思う。

じゃあ、どうしたらいいのか??

今回の事案であれば、児相からの呼び出しに応じない時点でアウトなんじゃないですかね。

私も実際に親になり5年半近くなりますが、行政関係との面談とか、すごく大事にしてきました。
変な言い方だけど、虐待だと誤解されたくないからこそ、積極的に参加してきました。そして、何よりも一緒にいるところを見てもらえれば、安心してもらえると思ってたから。

会う気があれば、日程調整なんて何とでもなるもの。
児相からの呼び出しに応じない時点でアウト。私はそう思います。

繰り返しになりますが、
身体的虐待も、心理的虐待も、
親としての不適格な部分、根っこは同じだよなと思います。
マジで自分のことしか考えていない。

例えば、
心理的虐待が「子どもを好きなように利用して当然」で
身体的虐待が「自分が気に入らなければ殺して当然」など。

虐待親は「自分のことしか考えていない」。
身体的虐待も、心理的虐待も。

そして、
「毒親サバイバー」の方々は、
心理的虐待を耐え忍び生きてきた人たちだと思います。
その悪影響は計り知れない。でも前向きに生きて行こうと踏ん張っている。

自身の親について「毒親」と表現するしかない人の話を、
「あなたが未熟」「親には感謝しないと」などと足蹴にせずに、
「自分のことしか考えない、そんな酷い親もいるのか」と
共感してくれる場面が増えていくことが、
虐待死に繋がるサインへの危機感を高めていく
ように思うのです。

冒頭で書きましたが
「だってしょうがないじゃん。各家庭の問題でしょ?」

と言うのが世間や行政の本音ならなおさら。

毒親サバイバーの持つ知識と経験を、虐待防止に活かせばいいのに。
家庭環境の中で、親が子に対して、どれだけ大きな影響を与えるのか。
身体的虐待だけでなく、心理的虐待の悪影響ももっと知られていくべきです。

たとえば、妊娠後、病院などで行われる両親学級(母親学級)で、
オムツの変え方、ミルクのあげ方だけでなく、
「親が子に与える心理的な影響の大きさ」を知る機会を設けてほしい。

など。

(だから私は、これからも発信するぜ。一当事者として。)

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

※以下、「心理的虐待」について、別の観点で書いた記事です※