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私は今、少なくとも3回は私を殺そうとした母と二人でディズニーランドに行く約束をしている。

タイトル通りの狂気の話なんだけど、良かったら私の悩みを聞いて貰えないだろうか。

私の母親はいわゆる「毒親」というやつで、私は運良く幼少期をサバイブしてしまった被虐待児である。どのくらいの毒親加減かと言うと、暴力以外が虐待と認められなかった平成初期に母の言動だけで病院への保護入院が決まったレベルの毒親加減である。私はそこで小児の精神科というやつに入院し、虐待という認定を受け色々な検査やカウンセリングを受ける日々を過ごした。当時は虐待=児相に保護、という公式が機能しておらず、小児の精神科には機能不全家庭出身の子供たちがたくさん入院していたのである。もちろん親の面会もあり、みんな自分を虐げた親が自分に会いに来るのを心待ちにしている場所だった。みんな親に会ったあとは病状が悪化したりするのに、本当に楽しみにしているし「親に会いたい」って言うんだよ。私も親の面会のあとは精神状態が悪化し過ぎて面会謝絶になったりした。えぐいね。

本題に戻ろうか。
私は私の尊厳を殺し続けた母と仲良く生きる方法を知りたいと思っている。

親子関係の和解ってどうするのが正解なんだろう?
母のこと可哀想な人だと思ってるし、尊敬してる部分もある。だけど母は私の命と尊厳を蔑ろにしてきたし、そのことに触れずに私と仲良くしようとしてる。普通の母娘みたいに。
この現状をどうしていいのかわからないんだ。

虐待されて死んだ子供にはみんな同情して可哀想だと口々に言う社会になってきたけど、虐待されて生き残って大人になった人間には厳しい社会だと思う。
虐待を受けた子供を想像してみてください。常に怯えていて不安定で愛情不足で問題行動を起こす、みたいな想像をしませんでしたか?
じゃあ、そんな子供が大人になった途端にメンタル強強の安定した人間になれると思います?
結論から言えば、私はなれなかった。
20代の若く楽しい時間のほとんどを入退院と通院と薬漬けで過ごしたのが私という人間です。
カウンセリングもたくさん受けたし病院も色々通ったけど、数えきれないぐらいの自傷行為と自殺未遂をやらかしたし、私が親からつけられた心の傷は消えることは無かった。今も当時を思い出すと胸が張り裂けそうになる。生きるのがただひたすらに辛かった。親に愛されなかった自分を認められなかったから。
幼少期の世界って人生の根本だと思う。
三つ子の魂百までと言うぐらいに人格形成に大切な時期だ。その時期に虐待で命の危機に晒されたり、自分を否定されながら過ごしてしまったら、きっと一生ガタガタの人生を過ごすしかないのだと思う。現に私は今、ガタガタの人生を過ごしている。

母に謝られたところで私の傷や歪みは消えないし、今は優しい母と決別したいわけでもない。
ただ、母と接する度に尋常じゃないぐらい苦しくなる。「どうして」って気持ちが消えなくて、仕方ないことだったと何度割り切っても苦しくなって、母の優しさに応えられなくなる。
本当になにが正解なんだろう。

私の母も被虐待児だった。母から直接聞いたわけじゃないけど、周囲の話を総合すると、母は自分が親にされてきた扱いをそっくりそのまま私にしてきたこともわかっている。
母の親である祖母も親子関係が良くなかったことも知っている。見事に親子3代虐待の連鎖を成し遂げたのが我が家だ。嬉しくない。
母は父と結婚して虐待から逃れると、今度は嫁イビリにさらされた。父は常に祖父母の味方で、家庭に居場所のない人だった。男尊女卑家庭に嫁いだので、第一子である私が女だったことで随分虐められたようだ。(その事で私も母に「お前が女だったせいで私が責められた」と随分恨まれた)

子供が親の虐待を乗り越えて、虐待の連鎖を断ち切ることは本当に難しいと思う。私はきっとできないから自分の子供をもつことを諦めた。そのぐらい、難しいことだとわかる。
与えられなかったものを他者に与えることができる人間がどれだけいるだろう?
持ってないものを想像で補って渡すことの難しさ。それがわかるから、私は親にならなかった。

私の母は私のことを心身ともに傷付け続けた。だけどその一方で、母は自分を虐待した母親を丁寧に見送って、嫁イビリした義母の介護をやり遂げた人である。そのことについては母を尊敬している。自分を虐め抜いた人を許して見送ることの難しさも知っているからだ。
そんな母だから報われて欲しいと思うけど、感情が追いつかなくて現状私は苦しんでる。

母が私を攻撃した要因に父や祖父母や社会の男尊女卑が確実にあって、そういう社会的な被害者である母がやっと色々乗り越えて娘を大切にしようと踏み出したことを祝福したいし、嬉しく思う。
なのに私はずっと苦しくて、母と楽しく会話した夜に母に罵られた記憶がフラッシュバックしたりしてる。
母と関わるたびに感情が不安定になって、怯えたり、食事がとれなくなったり、眠れなくなったりしてる。それらは全部過去の母が与えた影響で、今の優しい母が与えたわけじゃない。わかってるのに苦しんでる自分がわからない。
母と仲良くできるなら仲良くしたいと思っているのに、出来ない自分が歯痒い。苦しい。

母はあまり私に暴力は振るわなかった。ただ、ストレスが溜まってメンタルが振り切れると突然キレて感情を抑えられなくなる人だった。子供の顔面に刃物を投げつけたり、病気で意識が朦朧としている子供を放置して出かけて帰って来なくなったり、子供を乗せた車を運転していて壁に突っ込んだり、他にも色々あったけど、少なくともこの3回は私が本当に死にかけたエピソードだ。
母は冷静になると「全て私が悪いんです」と言いながらさめざめと泣くタイプの人間だったから、周囲の大人も「あんまり思い詰め過ぎないでね」という感じで母の味方だった。私に「お母さんを支えてあげてね」とか言ってくる人までいたから、私は本当に逃げ場がなかったし、助けを求める発想もなかった。
私が保護入院した時も毎日病院に通っては面談スペースで「お母さんがごめんね」と泣き続けるので、私は自分を追い詰めて病院内で自傷行為をして私物全部没収されたこともあった。
そういうひとつひとつのエピソードが色々な場面でフラッシュバックとして襲ってくる。
これら全てが私の妄想ならいいのに、といつも思う。

自分の親と夫の親を見送ってから、母は随分穏やかになった。電話で話していてもこちらを気遣うし、感情的になることが減ったように思う。私が体調を崩す度に「本当になんの役にも立たない」と冷たい声で罵っていた母が「身体が大事だから無理しないで」と優しく言ってくるようになった。私を「失敗作」だと吐き捨てた母が「元気でいてくれるならなによりだ」と笑ってくれるようになった。なにより私の呼び方が「お前」から「名前呼び」に変わった。名前を呼ばれて、大切なのだとわかる声で話してくれるようになった。
母がそう変わるまでに乗り越えたものたちを思えば、母の変化に私もこたえたいと思う。今はただただ優しくて私の尊厳を大切にしてくれる母と仲良くしたいと本当に思ってるんだ。
決別するのは簡単かもしれないけど、歩み寄りたい。

じゃあ、歩み寄るためにはどうしたらいいんだろう。
母を責めたくない。自分も傷付きたくない。わがままだけど、本気でそう思う。
人を憎まず罪や業を恨みたい。母と一緒に救われたい。
毒親だった母と被虐待児の私が歩み寄り仲良く生きる方法が知りたい。

母と和解したいとか、そんな悩みを持つ自分は随分恵まれていると思う。贅沢で報われない悩みだ。でも考えてしまう。母を恨み切れなかったから。

恨んだり憎んだり許さない方がずっと楽だ。わかっている。
わかっているけど、私の体調を心から心配して、色々しようとしてくれている今の母を切り捨てられない。
「二人でディズニーランドに行きたい」と私に申し訳なさそうに言ってきた母の願いを叶えてあげたいと心から思う。
母と仲良く二人でディズニーランドに行って、ただ「楽しかったね」と笑い合いたい。

強い心があったら、母との苦しい思い出を綺麗に昇華できるのだろうか。
親を大切にする事が、ちゃんとできるのだろうか。
たくさんの呪いの言葉たちを忘れて、新しい自分をスタートできるのだろうか。

どうしたら少なくとも3回は私を殺そうとした母と二人でディズニーランドに行って心から楽しめるのか、私は母と約束した日からずっと悩んでいる。

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