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10月の日曜日「すみっコにて」

 朝から生憎の雨予報だったけれど、お昼過ぎから次第に弱くなり、やがて晴れ間も見えるように。今日は妻が歌舞伎だか何かを朝から観に行っていて、娘と二人きり。ホットケーキを焼いて、それを食べながらプリキュアを観る。仮面ライダーを観るでもなく観ながら、身支度をしてキングオージャーをがっつり観る(主に僕が)。部屋の片付けをして掃除機をかけていると、テレビがツマラナイと言って、娘が僕の部屋からiPadを持ってきて我が物顔でYouTubeを観ている。パスコードの解除も手慣れているし、操作ももちろん手慣れている。まだ四歳半である。アップルのインターフェイスの秀逸さ故か。

 お昼も近くなって来て、何が食べたいと聞くと、案の定マックというのでお店に行くことに。相変わらずモバイルオーダーは便利だ。しかしちょうど過渡期なのかハッピーセットはほとんどが品切れで、これといって欲しいものがないときは絵本か図鑑にしているのだけれど、それもないとのこと。プラレールはあったようだけれど、さすがにそれはいらないという。「ハッピーセットのおもちゃ、いらないけど、じゃあ、これたべたら、ほんやさんで、ずかんかって? ちいさいのでいいから」というので、ちゃっかりしてんなぁ、と我が娘ながら思う。少し前から恐竜が好きなので、恐竜の図鑑が欲しいらしい。家には既にお花や野菜・果物、乗り物などの図鑑がある。学研の例のヤツだ。自ら図鑑なんかを欲しがるのも、絵本や図鑑の類は惜しまずに買い与えていた甲斐があるというものだ。

 しかし、いざ本屋さんに着き、図鑑を選んでいると、図鑑コーナーのすみっこにボードゲームのコーナーがひっそりとあって、まぁ別に大丈夫だろうと油断していたら、なんと、すみっコぐらしのスゴロクを発見。「ずかんいらないから、これかう!」となってしまい、結局それを買って、バスで帰って来た。おやつに買った銀だこを食べたあと、さっそく遊ぶ。まぁ、これはこれでいい。実は本屋で欲しがられたものは買う、という方針があるにはある。

 十代のうちに読んでおいた方がいい本、なるものが話題になっているようだ。本に限らず、この手の『〜すべき』または『〜した方がいい』の類は昔からある。その手の知識に多少なりとも自負があると、未熟(と思われる)な人たちにひけらかしたいという気持ちが湧くのはなんとなく判るけれど、気をつけたいのは十中八九、「それ読んだ結果が今のアンタなら俺は読まなくても良いわ」と思われるのがオチだ。少なくとも僕は若いころは、そんな感じに思っていた。偉大な功績がある人物が言うのなら違うのかもしれないが、偉大な功績がある人物は、その手のことは言わない。多分。師弟関係というか、それに準ずる先輩後輩程度の関係性があれば、また違うのかもしれないけれど。

 そもそも敏感な若者なら大人がそんな風に勧めてくるものに対して、反射的に拒否反応を示してしまうものだ。そんなものを素直にありがたがっている若い人というのも、なんだか味気ない。どうしても若者に何かを勧めたいのなら、『十代のうちに読むべき〜』ではなく、『本当の大人にだけ勧めたい本十選』とかの方が良いような気がする。子供や若者は、いわゆる子供騙しに敏感なものだ。『十代のころから丁寧に本を読んできた、ベテラン読書家でも見落としがちな名作〜』とか。うん、まぁ自分で書いておきながら、背中のあたりが痒くなってきてしまうけれど、もちろんジョークとして書いているので、本気にしないように。

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