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ストレンジャーシングス/Stranger Things

 物心ついたときというか、自分がいわゆるカルチャー全般に興味を持ったのが90年代以降で、青春を共に過ごしたのは2000年代(しかしゼロ年代というのは誰の考えた言葉なのだろう)だったから、その直前の80年代というのはダサいもの、というのが無意識的にあった。だから昨今の、というか、少し前からの80年代リバイバル的な雰囲気には正直少し違和感があって、いまひとつ乗れなかったのだけれど、このネットフリックスオリジナルシリーズを観て、まぁ良くも悪くも時代は廻るものだし、なんて負け惜しみみたいなことを思わされてしまったというか、要は結構楽しんだ。万引き騒動以来、お騒がせセレブみたいな扱いを受けてしまっていたウィノナ・ライダーのベテランの底意地を感じた。周りには半狂乱的になってしまったと思われながらも、なりふり構わず、いなくなってしまった息子を想う母親を演じていて、『ナイト・オン・ザ・プラネット』の少女がチラチラと脳裏を掠めつつ、ジョニー・デップの腕に掘られた『ウィノナ・フォーエヴァー』のタトゥ(破局後に“wino forever=アル中よ、永遠に”と描き換えられた)を思い出している自分も些か性格が悪いよな、なんて思いつつ、物語を追っていった。

 しかし、どこかで見聞きしたような要素のオンパレードだ。新しい要素というのは、もしかしたら一つもなかったかもしれない。でもこれは批判じゃない。そんな既視感強めの作品だったけれど、面白かった。既に書いた通り、ウィノナ・ライダーの演技も良いポイントの一つだと個人的には思うし、意地悪な言い方になるけれど、スタンドバイミーの友情、超能力少女、国家の陰謀、80'sポップス、当時流行っていたであろう懐かしいガジェットたち。要はそういった過去の名作の良いとこ取りなのだけれど、その取り方、組み合わせ方が上手い。なんならそれが作品としての新しさすら生み出している。エンタメとして、とてもレベルの高い作品だった。普遍的な面白さを追求するためには、過去の名作に対するリスペクトが大切だと思うのだけれど、それが随所に感じられたのも良かった。多分それは、オーセンティックであることを恐れない、かといって舐めてかかりもしない、という覚悟みたいなものだったのだとも思う。

 でも、そんな感想も、もしかしたら自分が年齢を重ねてしまったからなのかもしれない。少なくとも、昔を知らない若い人たちと同じような感覚や感性で楽しめたのかどうかは疑問だ。別にどちらでも良いのだけれど。ただ、もうすでに90年代再評価の波も押し寄せていて、アップデートした今の自分の感性でそれを受け入れられるのか、はたまた若い世代が自分たちの知らない真新しいものとして、それらを受け入れていくその脇で、単に『懐かしいもの』を有り難がる老いた感性でそれらを受け入れてしまうのか。別にどちらでも良い、という言葉が強がりにならなければ良いのだけれど。

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