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スカイクロラ/ THE SKY CRAWLERS

『映画が好きというより、映画が好きな自分が好き』な自分というのが本格的に開花(?)したのは、一人暮らしを始めてからで、もともと家族を含めた人付き合いというか、そういうことが苦手だった僕が、親元を離れて一人の時間を思う存分使えるようになって、そこにピッタリとハマるべくしてハマった趣味が映画鑑賞だった。何も一人暮らしを始めてから急にそういう自分が生まれたわけではなく、振り返れば中学生くらいから、過剰な自意識を持て余していて(でもそれは誰しもあることでしょう?)、ただ当時は時間的にも金銭的にも大量に映画を観ることができなかったけれど、そのころから、なんとなく背伸びをして、本格的(?)な映画を観てみようと息巻いていたように思う。

 そんな時期に出会ったのが押井守で、たしかそのころ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が海外でも話題になり、ニュースでも取り上げられていたから、中学生の僕でも知ることができたのだと思う。それこそ『めざましテレビ』くらいのニュース番組でも取り上げられていた。
 例によって判らないなりに、押井守作品をいくつか観た。判らないなりにも作品の重厚さみたいなものに惹かれて、なんとなく押井守作品を好きになったというか、正直に言えば『好きということにしよう』というような、自己暗示みたいなものだったのかもしれないけれど。

 高校三年生のとき、受験などいろいろとあったから、『イノセンス』を劇場でみることが叶わなくて、次の作品は必ず映画館で見るぞ、と思っていた。そして二〇〇八年に公開された『スカイ・クロラ』でそれが叶った。結論からいうと、初回を観た翌週に、また劇場に足を運んだ。多分、初めて劇場で二回観た映画だった思う。その価値があると確信を持てるほど、自分の中の何かと、ピッタリとハマった。何がそこまで? と思われるかもしれない。自分でもよく判らない。判らないけれど、クライマックス付近のとあるシーンで鳥肌が立ってしまった。初めての経験だった。

“いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。
いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。
それだけでは、いけないのか? それだけのことだから、いけないのか”

 このモノローグに、雷に打たれたような衝撃を受けた。同時に、自分がいつも通る道の情景がフラッシュバックし、自分の足が地面を踏む幾千もの場面と、同じ場所の季節や時間で移り変わる景色のイメージがオーバーフローして、大げさではなく本当に、『生きている意味』が存在するんだと、直感した。理論や理屈ではなく。

 だから、僕がこの映画を好きだというのも、作品としてどうこうではなく、この体験が主たるものだから、そうじゃない人にとっては、まぁ色々と言いたいことがあるのも判るというか、劇場公開された映画に対する感想としてはあまりフェアではないのかもしれない。ただただ個人的な体験だったに過ぎないのだから。でも宇多丸さんの感想も、ご本人もそこは一応、控えめに弁解していたけれど、やっぱりフェアじゃないような気もする。別に良いのだけれど。あと、僕が二回も劇場に足を運んだことを伝えたら、恋人とこの映画を観に行った当時の同僚にも悪いことをしたと思う。デートムービーには控えめにいっても適していない。でも、当時の僕はそんなことを慮れなかった。それくらい打ちのめされていた。

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