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「一番欲しいものを取りに行ってるようで、わざわざ遠ざけてるんだよ」の話

 私がデンマークにいたのは、もうずいぶん昔の話になる。その中でも、印象に残っているのが、デンマークのアートコレクターさんに会った時の話だ。コペンハーゲンの中心部にあるマンションの一室が彼の部屋で、部屋には小さなアート作品がたくさん飾られていた。
 小さい作品をたくさん飾るのが好きなんだ。部屋に飾られたコレクションについて、彼はそう言っていた。

「自分の理想を把握している人は、意外と少ないのかもしれないね」

 創るという行為は、とても時間がかかる。膨大な時間と労力を費やして、完成品以外の成果が得られなかった時、自分はなんだかとても落ち込んでしまう。そう話した時に、老人から返ってきた答えは意外なものだった。

 制限なく、自分の理想を書きまくる、というのは、何度もやったことがある。その中で、叶ったものはどれだけあるだろう。理想を書いても書いても、どうせすぐに忘れてしまうだけだ。そうしていつも、変わらない現実に落胆する。

 どこがいけなかったんだろう。
 何を変えればよかったのか。

 いつの間にか、ずいぶん年を取ってしまった気がする。だから弱気になっているのか。十代の頃の自分が予想していた人生は、もっと普通で穏やかな物だった気がする。

「弱った時は、わざわざ理想から遠ざかってないかを確かめてみるのもいいかもしれないよ」
 老人は淹れ直した紅茶を運びながら私に言った。
「わざわざ遠ざかってる?」
「そう。理想を叶えるためって言いながら、遠ざかることを選んでしまってるってこと。たとえば、海の絵を描きたいのに、青い色を研究することから始めてしまうとか」
 海の絵を描きたいなら、まずは海の絵を描くべきだ。なのに、海に適した青色とは何かを勉強したり、どんな海がいいかを調べるのに時間を使ってしまったりする。
「ああ、思い当たることがあります。何かを創りたいけど、まだそんな実力がないから、まずはここからみたいな」
 やりたいことが見えているなら、最初からそれを取りに行くべきだ。なのに、なぜか遠くのことから始めてしまう。
「自信がないのかな。あるいは、叶わないかもしれない現実を知りたくないのかも」
 挑戦しなければ、それが叶わない現実を、永遠に知らなくて済む。

「そうだね。でもそうして距離を置いているうちに、自分も年を取るし、心は弱っていく。遠ざかることが悪いとは思わないんだ。いつも全力で理想を追ってると疲れてしまうからね。たまには遠ざかって休んだ方がいい。
 だから、気を付けるべきは順序なんだ。海の絵を描きたいと決めたら、最初に海の絵を描く。そこで疲れてきたら、休みながら青い色の研究でもすればいい。そしたらまた、ちゃんと海の絵に戻れるだろう?」
 老人は話しながら、ゆっくりと紅茶を飲む。老人が淹れ直してくれた紅茶にはミルクが入っていて、強いフルーツの香りがミルクで優しく包まれる気がした。

「遠ざかることから入らないで、当たり前に理想に手を伸ばすところから始めたらいい。それでも休みたい時が必ずくる。いや、必ずとは言えないけど、だいたいくる。そうなった時に、ちゃんと遠ざかって休めばいいんだよ」

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