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民主主義の根幹

絵本「おしまいバナンヌ」を描きました。フランスの友人が何気なく言っていたフレーズを子供に言ったら「おしまいバナンヌって何?」と聞かれたので絵本にしてみました。お子さんに読み聞かせるときは「ヌ⁉️」のところで感情を込めてとぼけると笑いを誘うことが出来るかもしれません。

 さて、今回のテーマは「民主主義の根幹」である。多くの人はそれを「多数決」と思っているかもしれない。多数決こそ正義であり、選挙とは多数決そのものであり、民主主義とは多数決主義なのだと。なるほど、そう言われると正しい様に感じるかもしれないが、実はそうではない、というのが今回のテーマである。ほとんど誰もみていないと思うから見ている人にだけ真理を伝えたい。
 実は民主主義の根幹は「根本的、基本的人権」なのである。17条の憲法の話でも少し触れたが日本人はとかく根本を忘れがちである。そもそも、民が主になれたのは民に「根本的、基本的人権」があればこそなのだ。その権利を有すものが前提であるから、要するに大きなコンセンサスが国民にとれているから、多数決が機能するのである。そうでなければ、容易に少数派は弾圧されてしまうだろう。極端な少数派がそもそも少なくなる前提としてのコンセンサスでもあるし、少数派が殺されない論理の根拠が「根本的、基本的人権」の存在なのである。
 多数決で誰かが理由もなく殺されることがない根拠が根本的、基本的人権であるわけだし、多数決で「人は死ない」と決めたとしても人は死ぬのであるから多数決で決められるのは多くの人の気持ちの方向だけで、根幹ではないのである。
 さて、多数決で決めても覆らないものといえば「理 ことわり」である。人が変えられない自然法則のことであるが、これが基本的人権の根拠となっていると言ったら理解が進まないかもしれないが、民主主義の成り立ちから言えばそう考えられる。これは歴史の話だが、前回の説明でもあるが、民主主義の成り立ちには深く宗教が関係している。唯一絶対神の話である。これを理としているからこそ現在の西洋民主主義社会は成り立っている。多くの日本人はつゆほども考えもしていないが日本国憲法もその成立にアメリカが強く関与しているのであるからしてその影響下にあるのだ。要するにキリスト教である。創造主がいるから、それに比べたら人間は皆平等な存在だ、という論理で民主主義は成り立っているわけだ。選挙権があるのもその派生だし、1人一票に平等にあるのもその派生だ。
 ちなみに日本でも麻生元財務大臣はクリスチャンだし、皇室もクリスチャンである理由にそれがあるかもしれない。日本ではクリスチャンは少ないが、民主主義を名乗るなら論理的にはクリスチャンじゃなくても一神教徒でないと論理的整合性は取れない。本来は。
 しかし、日本人は何も考えないで民主主義を受け入れている、いや、元来その思想が流れているとしかいえない価値観で生きているのだから興味深いが、その一つの理由はやはり17条憲法の存在があるのだろう。
 とにかく、統一教会と政治家の関係が取り沙汰され、政教分離の議論がなんとなく進んでいるが、今の民主主義であるならば政教分離などできないのは当たり前なのである。なぜなら、民主主義の根幹である基本的人権の成り立ちに「創造主=宗教」があるのだから。これを理解している人がどれくらいいるだろうか?

 ここで考えて欲しいのは、もっと根本的なことを考えなければ物事は見えてこないということである。それが哲学というものではないだろうか?しかし、今を生きる人にはそんな時間も余裕もないのである。そんなことを考えているのはアホな敗金主義者だけなのである。
 ただ、多くの人がアホの敗金主義者になればその国はアホで利益を産まない者だらけになるのだからあまりいいとはいえないだろう。しかし、それが哲学をよく考えて国の未来を作っていく糧にするに必要となるならば、その国にとってはいいのかもしれない。
 この矛盾に敗金主義者はまた二度笑ってしまうのであった。


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