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新型コロナとアフリカーー人口1800万人の国に集中治療室が25床しかない件

▼アフリカと関係が深いのは、フランスと中国である。

フランスには「ジュンヌ・アフリック」という雑誌があり、アフリカについてくわしい。アフリカの感染の様子がわかる地図が載っていた。

▼中国は新華社。これも、やはり英語版よりもフランス語版のほうが、アフリカ関連に強い。

▼アフリカ各国の動向までくわしく報じる海外のメディアと比べると、日本語のマスメディアはどうしても総論的なものが多くなる。かといって、よくフォローしている小さなメディアがあるのかといえば、なかなか見当たらない。現時点で信頼が置けるのは、やはり新聞である。

▼2020年4月6日付の読売新聞から。ヨハネスブルクの深沢亮爾記者。

〈コロナ猛威 アフリカ危機/7400人超 感染/人口密集、医療品不足〉

〈世界保健機関(WHO)の4日の集計によると、アフリカ54か国のうち50か国で感染が確認されており、感染者は計7405人に上る。〉

▼2020年4月27日配信のAFPによると、アフリカ全体の感染者数は3万人を超えた。3週間ほどで7400人から3万人へ、じつに4倍以上も増えている。

▼読売記事の続き。

〈南アフリカの大都市ケープタウンでも全世帯の1割で上下水道がなく、十分な手洗いすらできない状況だ。〉

▼まず、南アフリカですら、ケープタウンですら、水道が普及していない。他国については、ましてや中小の都市群については、推して知るべしである。マスクをする、石鹸で手を洗う、という公衆衛生上の「戦いの基本」を徹底しようにも、そもそもマスクもなければ石鹸もない地域が多いのだ。

〈AP通信によると、人口460万人の中央アフリカには、人工呼吸器は3台しかない。

マラウイには、人口1800万人に対し、重篤症状者用の集中治療室は25床だけだ。

ジンバブエでは、公立病院の医師や看護師がコロナ対策用の防護服の不足を理由にストライキを宣言するなど、既に医療崩壊が始まっている。〉

▼アフリカについては、これから報道量が多くなるかもしれない。しかし、いかんせん、人手が足りない。

▼ジンバブエの医療従事者たちがストライキするのは無理もないと思う。よく日本でストライキが起きないものだと思う。

▼誰でも「なによりも自分の命が一番大切」である。これはもちろんジンバブエにかぎらない。「戦後日本」の社会、いわば「近代以降」の社会を貫く大原則になっている。これは、人類の歴史を省みると、とても新しい原則であることがわかる。

しかし、世界中の医療従事者は毎日、この大原則に反した行動を続けている。どの大陸でも、例外はない。これは、社会の側が、医療従事者に、そうした日々を強(し)いている、ともいえる。

ストライキをしても、違法ではないし、何の罪にも問われない。しかし、彼らは働き続けている。なぜだろう? そこにはさまざまな理由がある。これについては稿を改めねばならない。

今号は、命がけの仕事を強(し)いられる側ではなく、強いている側から少し考える。筆者は、強いている側にいるからだ。

▼いまから9年前、東日本大震災の直後の、原発で働く人々は、2020年の医療従事者と同じ要求を強いられた。今、当時と同じ疑問が起こっている。それはまだ、声高(こわだか)に問われてはいないが、「もしかして、私たちの生活は間違っていたのではないか」という疑問だ。

▼今年のゴールデンウィークは「緊急事態宣言」が続いているが、医療従事者を「やつら」の範疇(はんちゅう)に分けて、つまり「人間扱いしない」ことによって、安心したがる人が増えている。

想像力を捨てれば、世の中はともあれ、少なくとも自分は楽になれる、という思い違いは、その瞬間、じつは自分も人でなしになってしまう、という成り行きへの想像力すら殺してしまう。

また、無責任な「自己責任論」を使って、感情ポルノを他人にまき散らす、百害あって一利なしの人たちも増えている。

「正義」を主張したがり、他人を罰したがり、結果的に自分の首をしめる、こうした人たちについては、何度かメモしてきた。たとえばこのメモ。

▼そうした差別に、SNSが大きな役割を果たしている。人間の「心」は、まだSNSという「技術の進歩」に追いついていないことがよくわかる。

差別する人たち、差別によって安心したがる人たちは、SNSにいいように弄(もてあそ)ばれている場合がある。画面を指先で器用に操っているつもりで、じつは自分が機械に操られているわけだ。

その場合、肝心なことは、弄ばれている本人が、そのことに気づいていない、ということだ。

新型コロナウイルスは、人の心の動きを、じつに巧みに利用している。

▼赤の他人の命を救うために、自分の命を危険にさらす人が、こんなにたくさんいるということ。その現実に、筆者は感謝する。どれほど感謝しても感謝し尽せないと思うが、だからといって、医療従事者を差別する人たちを攻撃する気にはなれない。これまでも、そういう人たちがいるという事実を指摘するにとどめている。

それは、一つには、差別を減らしたいからであり、二つには、彼らと「同じ穴の狢(むじな)」になりたくないからだ。

(2020年5月1日)

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