リンカーンのうつ病ーー話し言葉と書き言葉の間

▼前号で飯間浩明氏の指摘を紹介して思い出したのだが、「話し言葉」と「書き言葉」の関係について、深く考えさせられた文章を紹介しておきたい。

数年前に日本語訳が出た、アメリカの大統領リンカーンの評伝である。(ジョシュア・ウルフ・シェンク『リンカーン』越智道雄訳、明石書店、2013年、原著は2005年)

副題は「うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領」。副題のとおりの画期的な内容である。この本の冒頭は、今まで筆者が読んだ評伝、伝記のなかで屈指のものだった。

その素晴らしさはぜひ本文にあたっていただくとして、「言葉」の問題。

下記のリンカーン研究小史を読むと、「話し言葉」よりも「書き言葉」が優位になっていく流れの中で、人間の研究が歪(ゆが)められていく経緯がわかる。ものの見方が、ものの姿を変えてしまう一つの好例だ。適宜改行。

〈……(情緒的な)この手の低級な解釈に対して、急速に増えてきた学位論文研究プログラムの学者らが、自らを「科学的歴史学者」と称して、歴史の実証こそ至上命題だと反駁した。

彼らは一人称で語られた、いわば口承の歴史(オーラル・ヒストリー)を否定、裁判記録、国勢調査データその他の「ハードな」証拠をよしとしたのである。 こういう新たな権威者の最たる者がJ・G・ランドルで、彼こそは同時代で一流のリンカーン学者となるのである。彼は共同研究者だった妻のルース・ペインター・ランドルともども、1940年代半ば、リンカーンのメランコリーの証拠を足切りしてしまったのだ。ランドル夫婁は、若き日のリンカーンの自殺未遂の生の史料をただの「ゴシップ」かそれに類するものと決めつけてしまった。

この影響は深刻だった。1960年代から70年代、院生らはリンカーンの最初の自殺的な落ち込みは「根拠のない作り話」だったと教わるようになっていったのである。リンカーンの危機に際して起きた魅力的な2つ目のエピソードに至っては、本格的な伝記ですらほんの数行で片づけられるようになっていった。リンカーン研究者は、リンカーンの内面の追求はほぼ放棄していたのである。

(中略)1980年代と1990年代のリンカーン研究の領域では、リンカーンをじかに知っていた男女が残した彼についての大もとの話を新たな目で見直そうとする者たちが、師弟関係抜きのばらばらな形で登場してきた。(中略)いずれも主な口述歴史が、デイヴィスに言わせると、「核廃棄物並みの」扱われ方をしていた時代に大人になっていたのである[ランドル主導の歴史観下で育ったこと]。

ところが、彼らはそういう史料こそ封印され、未探査のまま放置されてきた肥沃な鉱脈だと分かって驚いた。 まずは日記、次いで書籍と、彼らは最も重要なリンカーンの逸話の幾つかを改めて評価し始めたのである。その過程で、彼らは幾多の枢要なロ述歴史を他の学者らに気づかせ、これらの史料で極めて頻繁に論じられていた話題を、リンカーンのメランゴリーも含めて、再び取り上げたのだ。〉(19ー20頁)

▼この小史は「科学的」という言葉の盲点をよく示している。「総合」という知恵を失った知識の断片は、かえって目を曇らせて、知りたいものの全貌を隠してしまう場合がある。

「話し言葉」が軽んじられ、「書き言葉」至上主義ともいえる態度が蔓延していくのは、人類史のなかでそれほど昔のことではない。俯瞰してみると、この「話し言葉」と「書き言葉」との関係史は、「声」と「文字」との関係史に含まれる。そのことについて書かれた『声の文化と文字の文化』(ウォルター・J・オング、藤原書店)という滅法面白い本があるのだが、それについてはまたの機会に。

▼『リンカーン』の目次を紹介しておこう。

第1部
 第1章 世間はあいつはクレイジーだと言った
 第2章 ものすさまじき天与の才能
 第3章 今生きている人間の中で、私ほど惨めな人間はいない
第2部
 第4章 セルフ=メイド・マン
 第5章 欠陥? いや不運だ
 第6章 理性の統治
 第7章 わが気塞ぎとうつのはけ口
第3部
 第8章 その正確な形と色
 第9章 われらが潜り抜ける炎の裁き
 第10章 われらにも智慧は浮かぶ

(2018年11月12日)

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