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老いていく親、諦められない自分

これから書くのは、わたしにとって晒したくない部分であり、読む人にとっても気持ちのよいものではないだろう。それでも、老いる親とどう向き合うのか、悩みながら書いていこうと思う。最初に断っておくので、続きを読む前に判断していただきたい。


90歳の誕生日を祝うつもりの電話は、腹立たしく絶望的な終わり方で、切なさより悲しみが強く残った。その10日前、一足早くお祝いしていた。外食好きの母には残念なことだったが、大腸の病気を持つ母のため、極力好きなものを揃えて自宅で食事した。老いた母と1週間ともに暮らすことはわたしにとって簡単なことではなかったが、絶対に怒らないよう自制し、聞き流すことを心掛けた。リモート会議の途中に突然母から声をかけられた時も、丁寧に対応したつもりだった。母がテレビドラマを見ている時には、別の狭い部屋に籠り、辛い姿勢でPCに向かった。母の昼寝中には怪しいほどの小声で話した。とんでもないボリュームのテレビにもひたすら耐えた。

この1週間はお母さんの90歳記念だから、と自分に何度も念を押し、プレゼントも先に渡し、誕生日当日には一緒にいられないことを伝えた。涙を流しながら喜んでくれていた。誕生日になった瞬間の夜中12時に、電話とメールで90歳おめでとうと伝えたら、大層喜んでくれた。

朝を迎え、6時を過ぎ、何度も電話がなったが、サイレントになっていたので気が付かなかった。8時過ぎ、また電話がなったが、すでに会議が始まっていたので、電話を取らなかった。ひと段落して、こちらから電話してみると、母の第一声は怒りに満ちていた。

今日は誕生日だが何が届くのか。
お花が届くのか、現金書留が届くのか、温泉に行けるのか、そわそわして待っているのに、一向に何も届く気配がない。親戚の人から電話でお祝いの言葉をもらったが、娘からはなしのつぶてだ。自分は育て方を間違った。朝一番に電話してくれるような普通の人間に育てることができなかった。親の面倒を看るのは子どもとして当然なのに、自分はひどい仕打ちを受けている。いつからそんな偉そうな人間になったのか。隣の〇〇さんはお花をもらっていたし、向かいの〇〇さんは旅行に連れていってもらってた。わたしはお菓子を食べることすら嫌味を言われている。これでは何のためにお前を生んだのかわからない。

延々と聞かされているうちに、次第に自制心がなくなっていった。これから何年間も続くのだろうか。もうわたしの知っている母ではない、と思う時期だろうか。施設に入ってもらう段取りをすべきだろうか。人は鏡だと聞くからわたしに問題があったということだろうか。
冷静を装いつつ逃避した思考をめぐらせていたが、同時に胃のあたりが熱くなるのを感じていた。怒りに変わっていく自分を抑えるため、大きく深呼吸をしたが、その息遣いは耳の遠い母に聞こえなかった。

もうそろそろ無理かもしれない。そう思いながら電話を切った。

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