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「自殺=生への執着の断ち切り」と捉えてみる

昨日、三島由紀夫氏のことについて書いたのだが、
語りそびれたことを思い出したので、
ここに付言しようと思う。

昨日の記事 『三島由紀夫に見た死の美しさ

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彼は45歳にして自決するに至ったのだが、
やはり、もし生きて執筆を続けていたら、
どんなに素晴らしい作品を完成させたか期待せずにはいられないのだが、

その期待こそ、
彼がこの世に残した客観的価値であり、
また、その死に一層のインパクトを与えるものでもあった。

だが、彼は「早く死んでおくべきだった」という発言からも分かるように、
生きることへの執着を断ち切るべきだという思想を抱いていたと推し量れる。

少なからず私はそのような人物像を描いている。

仏教では生は四苦の一つに数えられ、
生の輪廻から解脱し無の境地ヘ至ることが仏教の究極的目的であるが、

彼が人生で目的したこともそのようなものではないかと思うのである。

無そのものを描くこと出来ない。
描けば、それは有になる。

つまり、
無を希求し、それをその身に実現せんとするならば、
執筆をも辞めざるを得ないのである。

仏陀は悟りを開いた後、
言葉によってその方法を伝えたが、

三島氏の自殺は、
それを行為によって表そうとしたのではないか?

そう私は捉えてみたいのである。

(ちなみに、仏典には自害した高僧の話があるのだが、
 それには否定的な解釈が与えられている。)

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三島由紀夫氏は、死を描いた物語を創作したが、
今や、彼の人生そのものが、
物語として私には眺められるのである。

【日日是考日 2020/11/26 #044

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