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映画評論会 ~『ジョーカー』~

これは映画ジョーカー』を見終わって、感想を話し合ってたら思いのほか盛り上がったので、せっかくだからと映画評論会を文字起こしてみたというものです。
基本的に、その場での発言をそのまま掲載しているので、誤りもあると思いますが、ご了承下さい。

近くのマックで、夜の1時くらいから2時くらいまでだべった内容。

参加者

無色 アニメとアイドルと現代思想が好き。定期的に2ちゃんねるにアカウントを晒される。
はせたこ 映画と音楽とファッションが好き。変な服に数万円・数十万掛けてる。
痩せた金正恩bot 政治と歴史とBLが好き。好きな言葉は「スタバなう」。

はせ ジョーカーは二か月前から、具体的には予告編が出た時から期待していて、とても楽しみにしていた映画で、予告編の映像が良くて、本編の映像もキレイで良かった。色がいい。

痩せた金正恩bot 二か月前から楽しみにしてたよね。

無色 二つ返事で、ついて来てしまったから、映画の内容を全く知らないし、予告も見たことなくて、てっきり『ジョーカー』を『IT』みたいなホラー映画だと思っていたから、『ジョーカー』が社会性・政治性の強い映画でびっくりしたよ。

痩せた金正恩bot 俺自身、底辺だとして見下されているインセル・キモオタへのシンパシーを感じているから、主人公のアーサー・フレックが母親と「マーレー・フランクリンショー」を観ているときに、番組にアーサーが自分を投影しているところなんかは、自分と重ねてしまったよ。

はせ ソフィーとかいう女性とランデブー、リア充しているアーサーをみて羨ましいと思っちゃったけど、ソフィーと付き合っているというのも妄想だったね。

痩せた金正恩bot 頭にピストルを撃ち込むマネが妄想のはじまりとおわりを暗示しているのかなと思ったんだけど。

はせ ソフィーとのエレベーターでの出会いのシーンとソフィーと付き合っていた事実はなく、すべてアーサーの妄想だったと明かされるシーンでは、頭にピストルを撃ち込むマネをするシーンが共通してるね。これは、ジョーカーを演じるロバート・デ・ニーロが『タクシードライバー』で魅せたロシアン・ルーレットのシーンを思い出したし、デ・ニーロの笑顔とジョーカーの笑顔を重ねてしまったよ。

痩せた金正恩bot ただ、『タクシードライバー』とは違って、インセル・非モテは主題ではなかった。

はせ チャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』で、エンディング曲として使われた「スマイル」が流れたのも喜劇王とよばれたチャップリンとアーサーの交差点という感じがしたよね。あと、「悲しみのクラウン」なんかも流れていて、オマージュとしても面白いし、何度観ても面白いスルメ映画だと思ったよ。チャップリンの映画で、『街の灯』という作品があるんだけど、浮浪者の主人公と金持ちの富豪と花売りの娘の三人が主軸となる話で、金持ちは落ちぶれた時しか浮浪者と同じ立場に立つ、言い換えればその時しか友人となることが出来なくて、さらに、浮浪者の主人公が花売りの娘を助けるんだけど、花売りの娘は浮浪者の事を金持ちだと誤解していて、浮浪者の主人公は花売りの娘を助けるために刑務所まで行って、シャバに出た時に、花売りの娘とまた再開したけど、浮浪者と花売りの娘は住む世界が違っていて、浮浪者の恋は実らないという映画があって、金持ちと貧乏人、成功者と落伍者は分かり合えるのかというのがテーマで、結論としては分かり合えないっていう映画があるんだよね。

無色 二人の元仕事仲間がアーサーの家に来た時に、小人症の人だけを逃がすシーンなんかは、弱者と分かり合えるのは弱者だけってことを伝えてくれるよね。

痩せた金正恩bot 『モダン・タイムス』は小学生の時に観たけど、内容忘れちゃったなあ。ただ、ジョーカーはグロいシーンとかも多かったし、もう一度観たいとは思わないなかあ。

無色 痩せた金正恩botみたいなリベラル系の人にはウケが悪いよね。アメリカのリベラル系の映画評論家やメディアは、ジョーカーに対して否定的な評価を下しているし、オルタナ右翼やトランプ大統領が嫌いな人たちからは基本的にウケが悪いよね。水島治郎が『ポピュリズムとは何か』で、ポピュリズムのことを左右ではなく、下からの運動と定義していて、ジョーカーはまさに下からの反逆的なポピュリズムだよね。暴徒化し、無秩序になった黄色いベスト運動を想起させるような映像が続いたし。ポスト・マルクス主義者のラクラウとムフの夫婦が唱えたマルクス主義的なポピュリズム理論は、ことごとく左派ではなく、むしろ右派が成功をおさめているように感じるし、プロレタリアート革命やマルチチュードのリアルな姿こそジョーカーに描かれた反エスタブリッシュメント・エリートを掲げる暴動だと思う。加速主義の代表的な人物であるニック・ランドがリベラルを<大聖堂>と呼んで、批判したのが『ジョーカー』を観た後だと重みを増すよ。ジョーカー自身が徹底してニヒリズムな態度を貫いて、世界の破壊を望んでいるのも現代的だなあと思ったよ。

はせ チャップリンは悲劇を喜劇として昇華してしまうんだよね。チャップリンの名言で、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」というのがあるんだけど、本人にとっては悲劇でも、周りから見ると喜劇として捉えられる事柄ってコメディで多いよね。例えば、バナナの皮で、滑るのは本人にとっては悲劇だけど、周りからは喜劇として受け止められるし。トッド・フィリップスっていうコメディ映画を多く作っている監督が『ジョーカー』を作ったのも皮肉っぽくて面白いよね。ヨハン・ヨハンソンの弟子であるヒドゥル・グドナドッティルがジョーカーの楽曲を担当しているのも良いセンスしてる。

痩せた金正恩bot 『万引き家族』は感動ポルノとして消費されちゃったけど、ジョーカーはそうする事が出来ないね。

はせ 確かに、ジョーカーをみてシンパシーを感じている人をさらに嘲笑っているような感じだ。皮肉というかなんというか。

痩せた金正恩bot 『モダンタイムス』を見続けていた富裕層とジョーカーを観ている私たちが重なるところも良い感じに皮肉が聞いてて面白いよね。本当の貧困層は映画を観に行く余裕はないし。

無色 アーサーは薬物もお酒もやっていないし、映画にも薬物やお酒は出てこなくて、アーサーは一応仕事をしていたからリアルな貧困層、アクチュアルな相対的貧困を描いていたと思うよ。

はせ 『天気の子』もそうだけど、最近は格差問題をテーマにしたの多い。天気の子はスポンサー企業をディスりまくっているのも反権力的な感じがする。

無色 ピエロの仮面被って暴動を起こしているのは、アノニマスのガイ・フォークスの仮面を被った人が「We are the 99%」を掲げるオキュパイ運動に参加している現実を考えると凄いリアリティあるよね。

はせ 香港のデモでもガイ・フォークスの仮面が使われてるよね。あと、思ったんだけど、アーサーのジョークって面白くないよね、メモ帳に書かれたものをみると下ネタとかそんな感じのネタっぽいし(笑)

痩せた金正恩bot 笑いのタイミングも周囲とズレているよね。

無色 ミシェル・フーコーが『臨床医学の誕生』や『狂気の歴史』で、扱った理性/非理性(狂気)の分類で、アーサーやアーサーの母親は世間・社会によって狂人として規定されて、母親と同じようにアーサーも統合失調症にみられる典型的な誇大妄想への走っているよね。それと、ドゥルーズとガタリが『アンチ・オディプス』で、フロイトやラカンらのエディプス・コンプレックスという精神分析の概念を批判したように、『ジョーカー』ではアーサーが母親を殺し、父親を殺害せずに父親に愛を求めたことによりをエディプス・コンプレックスという精神分析の枠組みで、アーサーを理解する事を拒絶しているのも面白いよね。

痩せた金正恩bot 『ジョーカー』を観た一つの結論として、俺は「人をバカにしてはいけない」と改めて痛感したよ。人それぞれ落ちぶれたり貧困になる背景は異なるし、むしろ俺たち自身がジョーカーを生んでいるんじゃないかと思ったよ。人間は自分の存在を無視されたり、傷付けられたりされる事が一番嫌なんじゃないかって思ったよ。究極的には<無敵の人>に行きついてしまうわけだし。

無色 綾辻行人の『Another』で、クラスメイトを<いないもの>として扱う話があるけど、似たようないじめもあるし、根本的な存在を否定されるのは人間にとって精神的ダメージが大きいのは明白だよね。

はせ インディジブルな人たちとどう向き合うかは現代的な課題だよね。『万引き家族』もみえない人たちを描いたものだよね。

無色 ネットでもいわゆる底辺の人たちがコンテンツとして人気を博してたりするよね。こういうサバルタンと対話するには、デリダやスピヴァクが指摘するような自らの積み上げてきた知識を忘却する事が大事なんだろうけど、西洋的な知識、理性に基づくリベラル的な知識を忘れ去るような事をしている人はほとんどいないよね。

無色 そういえば、前のジョーカーとは何が違うの?

はせ クリストファー・ノーランの『ダークナイト』のジョーカーとは行動原理が全然違うね。前作のジョーカーは犯行の動機みたいなのがなくて、目的や理由がないんだよね。『ダークナイト』のジョーカーは口が裂けているんだけど、口が裂けている理由を二回聞かれて、二回とも彼の説明した理由が違ってて、まあ、要はデタラメって話だね。

痩せた金正恩bot 逆に、『ジョーカー』のアーサーは泣いてたりといかにも人間ぽさがあったよね。

無色 アーサーは幼少期に、母親からも虐待とネグレクトを受けてたみたいだし、背中の火傷跡や笑い続けて感情のコントロールが出来ないのはその後遺症っぽいよね。

はせ 『ジョーカー』のポスターでも泣いているよね。アーサーはトゥレット障害で、笑っちゃいけない状況で笑っちゃうのもだし、足を小刻みに震わせているのもチック症状の典型って感じだよね。

痩せた金正恩bot アーサーがこうなったのは自己責任とは言いづらいよね。アーサーが悪いとも思えないし。れいわ新選組の件もあったし、現代的なテーマだよね。アーサーみたいな人たちを否定せずに、尊重して社会の一員として認めていく事がまずは大事なんじゃないかと思うよ。

はせ もはや自己責任論では片づけられない問題だよね。トーマス・ウェインがいっている社会保障も貧困層のことは考えていないしね。作中でも社会保障が実際に削られていくシーンがあるし。

痩せた金正恩bot その社会保障削減の煽りを受けて、アーサーは薬をもらえなくなったよね。列車で三人を撃ち殺すシーンがターニングポイントになったと思うんだけど、まどまぎで、さやかが魔女になってしまうシーンと心なしか似たように感じたんだよね。アーサーが「俺が道端に倒れていても誰も助けてくれないのに、(エリートである)三人が死んだらみんな悲しむ」と絶叫するシーンがあるけど、まさに、社会の構成員として認められずに疎外されている事を象徴する発言だよね。

痩せた金正恩bot 無敵の人といえば京アニ放火事件や川崎市通り魔事件が記憶に新しいよね。

はせ 「川崎区で有名になりたきゃ人殺すかラッパーになるか」だよね(笑)

無色 最初アーサーは自殺を選ぶのかと思ってたけど……

痩せた金正恩bot 最後は本当にコメディ映画の終わりみたいだったね。

はせ 最後の閉鎖病棟でのシーンを入れたことで、アーサーの妄想っぽさが出たけど、ブルース・ウェイン、バットマンの子供時代が描写されたことで、妄想ではなくリアルであるとの立場に一気に引き戻されたし、ジョーカーはDCコミックスから距離を置いて、続編も作らない予定らしいけど、ゆるく関連性を感じさせるよね。マーベルのアベンジャーズみたいな続編、続編と何作にも渡って続く映画は映画じゃないという感じのMCUへのアンチテーゼとしても受け取れるよね。最近は、そういう作品を作りたい映画監督はドラマの方に行くのが多いよね。マインドハンターがシリアルキラーの本質に迫っていくのとかはまさにドラマだからこその成功事例だと思うよ。

痩せた金正恩bot BTKは妻もいるし、子供もいるんだよ。

はせ アーサーの披露したネタである「小さい頃、将来はコメディアンになりたいといったら笑われたけど、今は誰も笑ってくれない」をデニー・ローがバカにした事で、アーサーは酷く傷ついていたよね。

痩せた金正恩bot ジョーカーと呼んだことをデニー・ロー自身が覚えてなかったしね。

無色 とりあえず、そろそろ締めにはいるとして、何か他に感想ある?

はせ 映画が美しかった 笑

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