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三遊亭円楽の訃報と落語界の今後について

などと大袈裟なタイトルにしてみたはいいがそんなに中身のあることは書かない(つもり)

三遊亭円楽師匠(以下敬称略)がこの世を去った。当代円楽は笑点メンバーとしての活躍はもちろんのことだが円楽一門に所属していながら落語芸術協会の寄席に出たり福岡で多流派寄席をやったりと落語界で大きな存在感を放っていた。

また、三遊亭円楽というと三遊亭圓生の名跡についても取り扱わないといけないだろう。圓生の名跡がどういう経緯を経たのか、その詳細はこちらが分かりやすいと思う。

自分も圓生が生きていた頃には生まれていないし書物等でしか情報は入れてないのではっきり断定系で言い切れるわけではないのだが六代目の三遊亭圓生という落語家は上手すぎたが故にストイックすぎたという印象はある。圓生が落語協会の会長だった頃は圓生が芸に厳しいが故に真打の昇進が少なく多くの二つ目が停滞していたと聞いたことがある。

そのストイックさもあってか実際に先代の林家正蔵(林家彦六)をはじめとして圓生を嫌っていた落語家は一定数いたらしい。そんな中でリンク先にもあるように落語協会内で内部分裂が起きて円楽一門と立川流ができて圓生襲名問題に至るといった感じだろうか(だいぶはしょったが)

そんな中で他協会にも顔がきく円楽の死というのは落語会にとっては大きな影響があると考えている。

円楽一門と立川流は表向きは落語の主要5団体となっているが離脱した落語協会との溝など様々な事情で主要な演芸場で寄席を行うことができない。そんな中で円楽が落語芸術協会に客員という形ではあったが新たな道を作ろうとしてきたことは各落語団体がまとまるチャンスだったのかも知れない。

しかし、結局それも叶わぬ夢となってしまった。もし、健康であったなら円楽一門が芸術協会と一つになって満を持して馬の円楽でお馴染みだった先代円楽も目指していた(であろう)圓生襲名となっていたルートも可能性の一つとしてあり得ただろう。

圓生の名跡にしても「候補」に挙がっていた三遊亭円丈、三遊亭円窓がこの世を去ってしまった。存命なのは三遊亭鳳楽ただ一人となってしまったが年齢や実績等からだろうか襲名には至っていない。おそらくこの先も圓生の孫弟子のことを考えると圓生の名跡は重すぎて宙ぶらりん、塩漬けのままかも知れない。

話は逸れるが古今亭は名跡に大きな動きがあるらしい。自分もゴシップ記者ではないので襲名の噂はそこまで興味がないのだが古今亭で稼いでいる落語家が襲名するのではないかと小耳に挟んだことがある。その襲名が落語界にどう影響を与えるかはまだ何とも言えないが。

長々と書いてきたが最後に改めまして円楽師匠のご冥福をお祈り申し上げます。

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