しばらく経って後悔するようなことを衝動で書く

活動をペースダウンしていたけれど書き記したいことができたので書き記すことにする。久々に書くことが鬱屈としたことになってしまい申し訳ない。ちょっと頭の整理も兼ねて…

今年の1月母が大病を患った。それに伴い実家と東京の往復(実家にいる時間のほうが多いが)をするような生活スタイルになった

母が患う前は実家は母と祖母が2人で暮らしていた。母が患う前、だいたい2,3年前から祖母は脳出血を患った。脳出血の後遺症と老いが重なって祖母は愚痴をこぼしやすくなった。

そして今回の母の大病で祖母はその愚痴っぽさに拍車が掛かってしまった。単純に愚痴の量が増えるだけならまだマシだったのだろうがそれに加えて我儘さにも拍車が掛かってしまった。具体的には多くの人に高い水準のことを求める。祖母の要求に合うリターンができなかったら「ああしろ」「こうしろ」「違う」「嫌だ」「元気なときの母ならもっと上手くやれたはずだ」等々

自分も出来の良い人間ではないので毎回我慢ができるわけもなく時には反論する。すると「どうしてそんな言い方をするの」と返ってくる。自分のことは棚上げないし無自覚なのだろう。更にやり取りを続けると「それが年寄りというものだ(だから諦めろ)」ともっと自分を丁重に扱えといった感じで開き直る

最近病から回復してきた母が自宅復帰の訓練も兼ねて祖母、母、叔母夫婦、自分で試験的に一泊二日の生活をしてみた。母は少なからず病や病にかかった母自身を「罪」だと認識しているように見えた。だからなるべく家族の介助なしで頑張ろうと家の廊下を歩いたら転倒した。転倒して母は泣いた。痛みで泣いたというよりかは病で体を上手く動かせない自身の不甲斐なさに泣いたのだと思う。その母を見て祖母は「泣くんじゃない!」と一喝した。祖母なりの檄なのだろうが追い討ちをかけているようにしか見えなくてただただ辛かった。

医療職に従事していた叔母によれば祖母は母が大病を患ったショックで自分が置かれた環境を受け止められず、全てに怒りを感じている、軽い認知障害の疑いがあると判断した。仮に叔母がそう判断しても祖母を施設に入れて家族と距離をとって精神的衝突を回避することは祖母の我儘、強情がある限りは一筋縄ではいかないだろう

そんな祖母も今月で86歳になる。もう平均寿命近くになる。老いでできなくなることが増えても尚辺鄙な実家に、有象無象のガラクタに、「何でもしてくれる」と本人だけが思っている家族に執着しているように見える。そして「三人で仲良く暮らす」と言う。ここで言う仲良くとは「母と自分が祖母にとって都合の良いイエスマン兼召使いになること」が前提ではないかと思う。もちろんそんな風にはなれない、でも祖母はそれを認識できていない

恥ずかしい話だがそんな自分も生きることに不器用な人間だった。多くの人が見たら根無し草に見えるような生き方をしてきた。そんな人間にああだこうだと文句を言う資格はないのかも知れない。

でも言わせて欲しい

そこまで必死になってまで長生きするもんなのか、と。テレビで見る田舎の元気な長寿老人なんてのはその年齢の集団のごくわずかな一部なんだろうと思う。少なくとも自分は祖母と母を見ていたら長生きは絶対善じゃないししたくないなと思うことがある。しかしながらそれでも国は長生きを煽り、幻想の長寿を見せて早死を絶対悪にしたがる。それが辛い

そういえば各方面の一流の人が一流の人に質問するみたいな番組を最近たまたま見た。そこで脚本家の北川悦吏子が「人はなぜ死なせて欲しいというタイミングで死なせてくれないのか」みたいな質問を鴻上尚史にしていた。彼女自身も大病を患って「もうやり切った、ここで終わってもいい」と思ったことがあるのだそうだ。今回の祖母と置かれている状況は全く違うけれど生の苦しみというところは一緒なのかなみたいなことは思った

自分よりもっと辛い人はいるだろうしそう考えたら苦境に置かれても自分の現状をありがたいと思えないというのは罪なのだろうか?とは言え辛いものは辛い

あーあ嫌な人生


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