見出し画像

絶滅危惧立ちション

 大学生だった頃、一人旅で地方の電車に揺られていたんです。遠くまで広がる田園風景は収穫を待つ稲穂が風で波立っていました。

 ボーっと黄金の田んぼを眺めていると、景色の一番手前である線路わきに初老の男性がひとり、こちらを向いて立っているのが視界に入ってきました。男性は一瞬で視界から消えてゆきましたが、格好だけで何をしていたのかすぐに分かりました。立ちションです。思い切り線路に向かって放尿していたんです。

 線路にするなよ、とも思いましたけれども、立ちションする人がまだいたのか、とも思いました。私の地元は田舎だったこともあり、子供だった頃は外で遊ぶついでに藪へ向かってみんなで立ちションしていましたし、大人がしている姿も時々見たことがありました。そんな我が故郷も私が大学へ進学する頃には衛生観念がだいぶ変わったのか、立ちションする人は滅多に見なくなりました。

 だから旅先で男性の立ちションを目撃して面食らったんです。思うに、その男性が子供だった頃は、私の子供時代よりも更に衛生観念がとんでもないことになっていたでしょう。立ちションなんて何の抵抗もなくしまくっていた青春時代だったに違いない。そして、青春時代の解放感が忘れられないのか、男性は線路わきで一発決めたと、そういうことでしょう。でも、線路なんて電車が通るに決まってんだから、そんなとこでしないほうがいいに決まってます。

 大学卒業、私は上京して働くようになりました。「立ちション」という単語が長らく頭に浮かばないくらい、道端で用を足す人を見なくなりました。何しろ人も建物もいっぱいなのが東京です。そこかしこで放尿して回ったら、下手すれば逮捕とかそういう裁判沙汰になりかねません。そんなわけで、不意打ちで見たくもない放尿シーンを見させられる危険のない生活を送っていました。

 しかし、そんなある日のことです。私がジョギングで川に沿った道を走っておりますと、明らかに変なところに立っている初老の男性がいたんです。道からちょっと外れた茂みにいて、しかもこちらに背を向けている。私は走りながら「何をしているんだろう」と横目で見ていたんですが、両手を下腹部の辺りに置いていて、しかもズボンがちょっと下にずれているのが分かった時点で察しました。これは立ちションだと。

 上京してから初めて見ましたよ立ちション。というか、茂みとは言え、数メートル先は民家なんです。にもかかわらず、バンバン立ちションをしている。きっと幼少期にはその辺でバリバリやっていた方なんでしょう。もちろん、「いいのか?」という疑問は湧きましたが、こんな住宅街でもカマすレベルまでくるともう逆にすごいというか、私が教えることはもう何もないというか、まあスルーするしかありませんでした。

 それから10年くらいして、ジョギング中にもう1度だけ他人の立ちションを目撃してしまいました。今度は茂みどころか住宅地のど真ん中、民家のブロック塀に真昼間からカマしていたんです。しかも、車の中から下腹部を外に突き出してワンショットかますスタイルです。助手席と後部座席のドアを開け、周囲から見えないようにしながらの放尿です。

 そんな様子を離れた場所からぼんやり見ていると、放尿の主は私に気づいたのか慌てた様子で車のドアを閉め、そのまま走り去ってゆきました。当然、ブロック塀にはハッキリと立ちションの跡が見てとれます。

 数十メートル先には公園があり、そこには公衆トイレもあります。こんなところでどうして立ちションなどするのか。嫌がらせか、はたまたマーキングか。そう思いながら、公園の方へ走って行って初めて気づきました。公園のトイレがたまたま工事中で使えなかったんです。

 恐らく、放尿の主はそこにトイレがあると知っていて、ものすごい我慢をしながらどうにか公園に辿り着こうとしていたんでしょう。しかし、トイレは絶賛工事中だった。別の公衆トイレを探すには尿意が爆発寸前な上、知らない人の家に行ってトイレを借りるなんて芸当ができる性格でもなかった。だからと言って車内でおもらしは絶対に嫌だ。

 絶望に打ちひしがれながらも放尿の主が必死で考えた末、灰色のブロック塀にやるしかないと覚悟を決めたのでしょう。そして、ようやく放尿しているときに私が現れた。

 そう考えると「なんかごめんなさい」という感想まで出てくるから不思議です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?