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読書で思わぬ恥が発覚する

 読書と一言で申しましても、その目的は状況によって異なっているはずです。知識を得るために本を開く時もあれば、内容を楽しむために読む時もあるでしょう。例えば、前者は専門書であり、後者は小説などがそれにあたります。

 ただ、往々にして本来の目的とは別の部分で得をする場合もございます。単に娯楽目的で小説を読んでいたけれども思わぬ知識が手に入ったりですとか、専門書の隅に書かれたコラムがやたら楽しくてとりあえず先にコラムだけ読みまくるですとか、そんな感じです。もちろん、専門書を読んだら思ったのと違う知識が手に入ったり、暇を潰すために何となく手に取った小説が当たりだったり、みたいな意外性もあるでしょう。

 さて、話は急に父の話になります。高校時代の父はとある大学に行くと吹聴しておりましたが、成績が全く伴っていませんでした。吹聴しまくったこともあってか、父の志望校は担任教師の耳にもすぐ入りました。教師は呆れて父にこう言いました。

「お前がその大学に入ったら逆立ちでグラウンド1周してやるよ」

 負けず嫌いの父は教師の嫌味で奮起したのか、志望校に合格しました。大学に入った父は麻雀という亡国の遊戯にドはまりしてしまい、再び悲惨な成績に戻ったようでございますけれども、それはともかくとして、父は嫌な教師に合格通知書でやり返したわけで、その時の達成感はなかなかのものだったようです。

 それからしばらくして、私は小室直樹さんの本をダラダラと読んでいたんです。

 そうしたら、次のような感じのことが書かれていたんです。「昔から人をからかう表現として『〇〇ができたら逆立ちしてグラウンドを1周してやる」というものがある』。

 著者の小室直樹さんは1932年生まれ。昭和7年です。ウィキペディアで調べたら、総武線の御茶ノ水-両国が開通して中央線と連絡したり、満州国が建国宣言したり、日本初の銀行強盗事件が起きたりと、時代を感じさせる出来事が起きております。そんな小室さんが「昔から」とおっしゃるような表現なんです。

 つまり、父に嫌味を言った教師は、その嫌味自体が手垢ベタベタ、すなわち数多くの人間によって擦り倒されてきたものだったわけです。生徒に嫌味を言う時点で教師としてどうなんだという行為になりかねませんけれども、加えて渾身の嫌味もオリジナリティがゼロだった。

 顔も名前もその他のプロフィールもロクに知らない教師の恥ずかしいところまで時に分かってしまう。読書とは本当に意外な効果があるなあと思った次第です。とりあえず、父にそれを教えたら、ちょっとニヤッとしていました。

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