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基礎を教えること

たとえば、英語の初学者や英語を基礎から学び直したいという学習者を教えるには、そんなに難しい言語学的な知識は要らないのではないか、という疑問を抱く人もいます。しかし、実際はむしろ逆で、基礎を学んでもらおうとするときにこそ言語学的な知識が必要なのです。

これはどういうことなのかというと、ことばを自在に操れる人が無意識に、直感的に感じ取って身につけている知識に、ことばを学ぶのに苦労している人はなかなか気づかないでいるからです。教える側も直感がよく働くタイプの人である場合、言語学的な知識がなければ、学習者がなぜつまずくのかがわからない、ということも当然あり得るわけです。受験勉強で大量の問題演習をこなしているのになかなかできるようにならない人の多くは、この「気づき」を促してくれる教師を必要としているのです。そしてその教師は言語学的な知識(第二言語習得研究の知見も含みます)をもってそうした学習者を支援しなければならないのです。

たとえば、「私はテニスをします。」という日本文を見て、I am play tennis.という英文を言う学習者がいます。これに対して教師が「be動詞と一般動詞をいっしょに使っちゃ駄目だよ」というのは簡単です。しかし、I am playing tennis.は正しい文ですから、この注意喚起はあまり意味を持ちません。学習者はここにたどり着く前に、「私は学生です。」をI am a student.と対応づけています。多くの先生方は「私は=I」「学生=a student」「です=am」と対応づけています。しかし、「おら、悟空」のような文があるのを学習者は経験的に知っていますから、頭の中で「です=am」とは対応付けできないのです。つまり「です」は日本語にとってあってもなくてもいいものだと思っているのです。実際、「この花は美しい」はThis flower is beautiful.ですから、この学習者はよく気づいているわけです。ただし、そうなるとamやisは何なんだろうと学習者は考えるわけで、日本語に共通している「は」と対応づけようとすることも想定されるわけです。こういった対応付けをしてしまっている学習者の、この「対応」を解きほぐすのも、ことばの教師の役目なのです。

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