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ふどうのこころ 読書感想文『自省録』

 先日、実家の掃除をしていた際、大学時代の部活の文集を見つけ、読み返したところ、下級生から私自身へのイメージについて、3分の1ほど「ストイック」という言葉で評されているのが見受けられた。

 ストイック。自身を厳しく律し、禁欲的に己を持すること。

 振り返ると、不器用で人より努力しないと人並みレベルになれないため、鍛錬に必死だったので、遊び心のない人物に思われていたのかもしれない。一方で、物凄く爛れたあれこれもあったし、欲の赴くまま二郎系ラーメンを食べていたし、とてもではないが「己を持する」こととは程遠い部分の方が多かったように思う。

 それはさておき、ストイックとは、ヘレニズム時代に生まれたストア派哲学から派生した言葉だ。私はエッセイが好きなので、ストア派を信奉したローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが記した『自省録』をしばしば読む。意外と私の日常に近しいこの哲学について、あらためて探ってみようと思う。

 ストア派哲学の発生は、アレクサンドロス大王がペルシア帝国を倒し、ギリシアとオリエントが融合した巨大帝国を築いた紀元前3世紀ごろで、ギリシアのゼノンによって提唱された。

 この哲学が基調とするのは、「自然にかなった生活」である。この「自然」とは、人間に存在する「理性」を指す。「理性」は宇宙を支配する唯一の神的なものの分身であって、人間を人間たらしめるものとされ、理性によって思念を統御し、客観的事実をあるがままの姿で認識することが重要視される。

 さらに、人間の果たす義務として、①神=宇宙を支配する理性に対する敬虔、②他者に対する社会性、③自己に対する自律自足という観念が導かれる。

 ここから、マルクス・アウレリウスの考えはざっくり下記の通り要約できる。

①すべての生命はその創られた目的を果たす義務がある。

 人間はすべからく理性的に創られているから、肉体による衝動や、事物に対する誤った観念や意見に囚われず、理性=自然に従って生きれば、自分の創られた目的を果たすことができる。

②すべて理性をもつものは同胞である。

 理性=自然という共通項をもつ人間は、すべて宇宙という国家の市民であり、運命共同体であるため、互いに協力して安寧と繁栄に貢献するべきだ。たとえ悪いことをする者がいても、善意を持ち続け、過ちを正してやるべきだ。

③何物にも動かされぬ「不動心」に到達せよ。

 人は、人間の中にある動物性に打克ち、事物を無差別に受け入れるのではなく、印象や、判断や意見をよく吟味して、分析し、その真偽を確かめるべきだ。

 要は、人間には必ず理性というポテンシャルがある。これをフル活用して、他者と強調し、自己を律し、互いに善い方向へ邁進していこうというものだ。

 マルクス・アウレリウスは、「パックス・ロマーナ」を実現した五賢帝最後の一人だった。彼の治世には、東のパルティア、北のゲルマン人の侵攻が激しくなり、その対応に追われ、彼自ら出征を繰り返し、ドナウ川河畔で没した。そんな混乱の中で吐き出されたのが『自省録』だ。皇帝である彼が、ひとりの人間として、理想を求めながらも、苦悩し、吐き出した言葉の塊だ。だからこそ、2000年近くを経た時代に生きる私にも生の熱量をもって届く。

 彼は、死や健康といった自分の意志ではどうにもならないことは、できないことはできねぇんだ!と開き直って、方向転換することをよしとしているのが味わい深い。「理性」は崇高なものだけれど、個人の「理性」にはどうしたって範囲があることを自覚するべきだということで、単なる根性論に陥らない合理性が時代を超えても共感を呼ぶ所以なのだと思う。

 『自省録』は随想であるため、高潔な言葉のなかに時折、「まじでなんなん?ほんまなんなん?まじでもう沢山やねんけど!!」とぷりぷりキレている文章もあって、かなり人間味を感じられて面白い。

 ここで、私が最も好きな部分を引用する。

外的な要因によって生ずることにはたいして動ぜぬこと。君の中から来る原因によっておこなわれることには正しくあること。これはとりもなおさず公益的な行為に帰する衝動と行動である。なぜならこれが君にとって自然にかなったことなのだから。(『自省録』8-31)
すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがよい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。(『自省録』12-22)

 ストイックときくと、むやみに自分を痛めつけ、追い込むところを連想してしまう。そう評されたかつての自分は、たしかにストア派的な行動原理では動いていなかったと思う。

 しかし、マルクス・アウレリウスの語る哲学は、己の意志を信じ、迷いや雑念を振り払って行動する勇気と知性を与えてくれるとともに、「ひとりで背負いすぎるなよ」と手を差し伸べてくれる。

 私は、「理性」の所有者として、それを磨き、自分の属する世界に責任を果たしていきたい。壁にぶちあったったら、また哲人に教えを乞おうと思う。


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