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【ウモ星人からの書簡】 D33-1 T6-17/20 不確定性と自由意志

#OOMO
#UMMO

手紙の題名:不確定性と自由意志
日付:1966年3月23日(書かれた日付、受け取った日付は不明)
宛先:フェルナンド・セスマ氏
原語:スペイン語
備考: 4ページの書簡。全22ページの3通の書簡の最初のもの。

ページ番号は、通常右上に手書きでページ番号を付けるのに対し、左側の余白の中央に付けられている。



AELEWE
言語:英語
部数:1
1966年3月23日

セスマ・マンザーノ教授
マドリッド


337. WAAM(宇宙)の中でOEMMII(人体)が生成された理由についての推測。

WAAM(宇宙)における人間の存在といった人智を超えるテーマは、間違いなく私たちの注意を喚起するでしょう。

しかし、UMMOの人類とOOYAGAA(私たちはあなた方の惑星「地球」をそう呼んでいます)の人類の精神的欲求の間には著しい違いがあることを、私たちは観察しています。

私たちの思考は常に、地球の哲学者ジョン・デューイのプラグマティズムにおぼろげに似た方針に導かれてきました。
私たちはすべての知識を、機能性を最高レベルとする尺度で評価します。

UMMOの哲学にとって機能とは、原理的には次のようなものです。

AIOOYA OEMII=人間は存在する
AIOOYA AMMIE WOA=WOAは存在する。
AIOOYA AMMIE BUUAWA=魂は存在する

「WHY(なぜ)」は経験科学的な手法では解明できないので(この先を読み進める前に、このレポートの最後にある「註1」をご参照ください)、私たちは独断専行を控えます。

もちろん私たちは、あなた方地球人と同じように憶測を巡らせますが、特筆すべき違いがあるのです。

あなた方の思想家の一人が哲学的理論を展開すると、それと並行して、何千、何百万という人々が狂信的かつ無批判に、あたかも反論の余地のない真理であるかのように、その学説や定説を信奉する学派が生まれます。

私たちは逆に、学説を発表する前に穏やかで思慮深いUBOO(不可知論者)の立場をとります。
この不可知論が、WOAは私たちの科学的経験に何らかの形である程度のアクセスができないというあなたの判断にまでは行かないことが、よくご理解いただけるでしょう。

私たちは学説を作りますが、それを信じるほど単純ではありません。

そのような態度は矛盾しているように見えるでしょう。
仮説を立てておいて、それを軽視するのは愚かなことのように思えます。

そのような仮説が真理に近づく可能性があり、実際に真理と一致することもあることは分かっています。
私たちは、ある種の人智を超えた謎に、少なくとも説明が(そのときは述べられていなくても)あるかもしれないことを示すのであり、最終的に、このような推測は、最悪の場合、遅かれ早かれ実を結ぶ、優れた頭の体操となるのです。

この前置きの後に、私たちはWAAM(宇宙)におけるOEMMIIの存在を説明するために、実に骨の折れる仮説を立てたことをお知らせ致します。

それを長々と述べることは不可能ですので、限定的なまとめは稚拙で深みに掛ける様に見えてしまうのですが、いくつかの短い段落にまとめざるを得ません。


334. WOA(神)の擬人的概念:その危険性。

不注意にも神や創造主について擬人化した概念を抱いてしまうというのは、ある種の地球の思想家が常々犯す過ちです。

あなたの惑星の多くの人々が、次のような疑問に対する人智を超えた説明を求めて苦悩しています。

「なぜ神は悪を容認するのでしょうか?」

「その行為は神にとって何の役に立つのでしょうか?」

彼は無意識のうちに、人間のようなAAIODI(存在)にのみ帰属する動詞を使っています。

思考する架空の動物を想像してみてください。
OEMIIについて言及するとき、彼もまたこの様に問うでしょう。

「人間はなぜ雨を降らせるのでしょうか?」

「プラチナや硫黄をどのように消化し、瞑想するのでしょうか?」

人間の属性を他の存在に当てはめる、この投影の心理現象は、時間の次元をBUUAWAやWOAに割り当てる傾向と同様に、あなた方によく見られるものであり、絶え間ない間違いの原因となるほかに、別の疎外効果、つまり精神障害に繋がっています。
なぜなら、このような根本的に間違った質問に対して、論理的に首尾一貫した答えを見つけることができず、神や、この誤った機能を帰属させる存在の実在そのものを疑って結論を下し、同時にある種の神経症的な不安状態を引き起こすからです。

近年、あなたは数学的論理学の基礎を築いたのに、いまだにこのような粗雑な詭弁に陥るのは不思議です。


337. 宇宙におけるOEMII(人間)の卓越した機能の可能性。

WOAの機能のひとつは生成することです。
その本質と相容れないもの以外の全ての観念は、必然的に排出、つまり形作られ、実現されなければなりません。

私たちがWAAM WAAM仮説(多元宇宙)を指摘するのは、私たちの宇宙とUWAAM(逆電荷の相補宇宙)には、EAAIODI GOO(存在論)的な存在の可能性がごく僅かにあることを観察しているからです。

実際、私たちは宇宙を支配する物理法則や生物法則のいくつかを知っています。
では、これらの法則はもっと違った形で記述できたのでしょうか?
もしその答えが肯定的なら、そのような法則は別のWAAM(宇宙)にも存在するでしょう。

したがって、別の次元の存在を形成する自由で無次元の存在という考えが、WOAの本質と矛盾しないのであれば、そのような存在は生成されなければなりません。

WOAが人間を生成する動機は、私たちがWOAの手の中の単なる操り人形として、痛みと喜びの間で引き裂かれている様を見て慰めを得る という、WOAの 「気晴らし」への抑え難い欲望から来る「娯楽」的な理由ではありません。
このような解釈は幼稚であり、擬人的です。

なぜ彼はこのような、2本足で、神経皮質構造で、性的傾向を持つ私たちを生み出したのでしょうか?
そしてなぜそうではない存在にはならないのでしょうか?

この質問は狡猾です。
というのも、この問いは前項で述べた原則に反して、WOAがこのような生理学的構造を持つ人間だけを生み出したという、先入観に基づく肯定を暗黙のうちに含んでいるからです。

確かにそうです。
このWAAM(宇宙)において、その中で一般的な生物学的法則に適応して、人間(すなわち、BUUAWA<魂>の所有者)だけがこのような生理学的形態を持つということはあり得ます(そして、経験から得た知識が私たちを裏付けています)。
しかし、これが障害となって、WOAが他の多くのWAAMにおいて多くの多様で自由な生物を生成しなかったということではありません。

最後にもう一点だけ取り上げます。

宇宙における人間の機能主義は存在するのでしょうか?

つまり、OEMMIIはWAAMの中でなんらかの使命を果たしているのでしょうか?
もちろん、そのような機能主義は、その生成の必然性と共存するでしょう。
少なくとも納得のいく説明をしようとするなら、WAAM(宇宙)の構成要素が2つの次元のカテゴリーに分かれることを忘れてはなりません。

ミクロ物理的なものは、それゆえ、無限の原理を享受しています。
つまり、いかなる法則にも従いません。

マクロ物理的なものは、数学的・統計的法則に従います。

いったん質量-空間-時間の連続体である宇宙が生成されると、WOAには、その構造的な硬直性、つまり決定論的な柔軟性のなさを修正する2つの手段があります。

A)それを支配する法則を修正します。
論理的に考えて、いったん法則がWAAMのために制定されれば、それはおそらく矛盾を意味するでしょう。

B) 自由な存在を生み出すことによって、ミクロ物理的要素の自由を利用し、その要素を介してマクロ物理的要素に作用し、その因果的あるいは決定論的な服従を打ち破ることができます。

これがWOAが人間を、WOAの創造したWAAMと結びつける作用因子として利用する方法です。
こうしてWOAはUAA(法則)を指示し、人間はそれを満たすことによって、それらと宇宙をつなぐ役割を果たします。

もし人間がそれらに従わないなら、AAIODIWOA(WOAの生成した次元的・無次元的存在の創造、結合と訳すことができます)での機能を人間から奪うことによって、明らかに調和が破れるのです。

その場合、その奪取の原因を作ったBUUAWAは、自分の精神構造をWOAの考えに適合させなければなりません。そのような再変換を、私たちは「罰」(あなたにとっては「浄化」)と呼びます(UMMO語ではAMMIEYISAIA BUUAWAです)。

現実には、本当の理由はもっと複雑で、おそらく人間の限られた知性では理解できないものであろうと信じるに足る理由が私たちにはあります。

しかし、これらの議論は、私たちの存在という人智を超えた未知なるものに対して、少なくとも何らかの説明が存在することを証明するものです。
こうすることで、その存在に妥当性を見いだせず、論証の欠如をWOAの非存在の証明として利用しようとする唯物論的な反論の可能性を克服することができるのです。

註1.短い追加レポートの中で、無次元のAAIODI(有形、無形の存在)の想定される要因が科学的にアクセスが不可能であることを中心に私たちの理論を展開します。このメモは、あなたに先のレポートを理解する時間があると私たちが判断したときに、直ちにあなたに送ります。


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