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色覚特性(異常)といらない配慮について

こんにちは!おやまのようちえんの酒井です。
前々回、私のユニークな色覚と多様性について書いた記事が好評だったので、今回も色覚の話題をベースに多様性について少し踏み込んで書いていきます。

百害あって一利なし!変な配慮はいらない

先にひとつ訂正しておきます。

「色弱」や「色盲」という言葉はいまは使わなくなり、「先天性色覚異常」と呼ぶそうです。

前回このように書きましたが、「色覚異常」という言葉も使わなくなり、いまは「色覚特性」と呼ぶそうです。視能訓練士をしている友人から教えてもらいました。

「名前って何?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」

シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』(小田島雄志訳)の台詞

常人(マジョリティー)と異なるという意味では「異常」で間違いないと思うんですけど、特性って言葉のチョイスがなんというか、時代ですね。
言葉狩りは配慮をしているようで、理解から逃げているだけかな、と思います。
本人としては呼び方なんてなんでもいいんですけど、こういう障害の話題にしてもジェンダーの話題にしても、呼び方や表記の問題にすり替えず、本人と触れ合い、本質を感じてよく知れば、皆個性を持った普通の人間なので、腫れ物に触れないような変な配慮はせず、普通に接していけばいいんじゃないかな?と思います。

同じ存在として付き合う

私は色覚特性(色覚異常)であることをオープンにしています。
なので、焼肉で肉が焼けてるか確認するときや、大きなショッピングモールの駐車場で空車の緑ランプと満車の赤ランプの区別がつかないときなど、日常で色に関して困ったことがあれば人を頼るし、頼られた人は私を自然にサポートしてくれます。
だから私は色に関して困ることはほとんどありません。

配慮してほしいとも思ってないです。だって困ってないですから。

「子どもだから」「大人だから」に隠れた配慮と違和感

大人は子どもを子どもとして扱います。
子どもも大人を大人として扱います。
そりゃそうだろう、と思いますか?
だって子どもは大人と違って未熟だから、知識も思考力も体格も筋力も育っていないから、育っている大人がサポートすることは大人の務めだから。
いやいや、その配慮、いらんでしょう!

いらんは言い過ぎかもしれませんが、大人もできることとできないことあるでしょう。得意なことも苦手なこともあるでしょう。
全ての大人の全ての部分が子どものサポートに適してるわけじゃないでしょう。
子どもも大人も好きも嫌いも得意も苦手も個性もあります。
「子どもだから」、その子を「大人だから」サポートしなきゃいけないって、子どもを子ども扱いして、その大人はその子をどうしたいんだろう?って違和感持ったりします。

「色覚特性(異常)」に置き換えると、こうです。
×この人は「色覚特性(異常)」だからサポートする。
◯本人が色に関してサポートしてほしいことがあって、本人が求めて、自分はサポートできる能力とサポートしたい気持ちがあるからサポートする。

それでは、今日はこのへんで!


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