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生涯独り身を決めたわけ

むかし、両親と兄と弟がいた。
むかしと言うのは、一切縁が切れているから。

まず自分の身上を。乳児の頃に兄に野球のボールを眉間に叩きつけられ、それ以来、てんかん症を患った。手足をばたつかせた後に硬直する大てんかんを頻繁に起こした。父は「ケチのついたカタワのガキ」と言い、名前で呼ぶことはなかった。ものごころがついたころ、母から「生後3か月の頃に、泣き止まないことに腹を立てたお父さんがおでこを殴りつけた」と聞かされた。


父親は荒くれ者だった。何事も暴力で解決するような人だった。若い頃にヤクザから足を洗って、ドカタの飯場(はんば)に住みついた。

社会のどこにも居場所がない、前科者や乱暴者が集まる飯場を、腕力でまとめあげていた。

かたや母は弱い女で、父からの暴力を無言で耐えて続けた。父の優しさは愛人だけに向けられ、母はそれを知りつつ、辛い日々を過ごして絶望していた。

そしてある時、父と愛人と弟は飯場に残り、母と兄と自分は僻地に追いやられた。弟は父と愛人に愛されて育ったらしい。


子供の頃に学校から帰ると、毎日のように薄暗い部屋で、母が身じろぎもせずに座っていた。そして「今日も水しか飲んでない」と呟く。母は外出しないので、買い物や回覧板、その他、外に出る用事をいつも言いつけられた。
二人きりになると、「お前なんか生まなきゃよかった」「ナースだから毒物でいつでも一家心中できる」と、か細い声で言った。
そして、癌で長い闘病生活を送り、哀れな女のまま死んだ。

母が入院してから、兄との地獄の日々が始まった。
兄は中学で暴走族に入って、高校にあがると県内のチームで構成される暴走族連合のリーダーに成り上がった。舎弟が多く、極真流の黒帯で喧嘩が強かった。

兄と二人の生活が始まると、家事を全部任された。家事のために、中学や高校は休みがちになった。高校は、父に土下座してやっと入学させてもらったのに。

早朝から兄の弁当と朝食づくりと洗濯を同時進行させながら、10分おきに兄を起こす。兄を見送ったら、洗濯物を干す。学校はほぼ毎日遅刻した。
学校が終わるとすぐに夕食の買い出し、洗濯物の取り込み、夕食づくり、掃除機のあと拭き掃除、風呂をピカピカに磨き上げて、兄の帰宅に合わせて食事を仕上げる。
夕食は恐怖だった。コップに指紋が付いているとか、皿が冷たいぞ湯煎しろだの、一汁三菜をバランスよく賄え言わなくても分かれだのと、毎日お小言を言われ、そのあとに罰として極真空手のローキックの練習台にされた。

給湯はボイラーだったので、食器洗いに温水を使うと、シャワーの温度が下がる。兄が長風呂をしているあいだは、手がちぎれそうな冷たい水で食器を洗った。

自分も風呂に入り、洗濯物を畳み、アイロンがけをしているともう深夜になる。

毎日、どうやって父と兄を殺すか考えた。様々な手段を妄想した。
極真流空手の有段者で、喧嘩慣れした兄を刃物で殺すのは無理だ。寝込みを襲って気付かれたら一撃で殺される。
兄よりも強い父においては、どうやっても殺せる気がしなかった。
現実から離れて、妄想の中で何度も父と兄をミンチにした。

家族のだれもが憎らしい敵だった。殺してやりたかった。少しの度胸があれば殺したと思うけど、キッチンドランカーになって、酒に逃げた。

いっそ鬼畜どもから逃げ出して、どこかの施設で安全に保護してもらいたかった。

そして。。。兄は若くして死んだ。父と愛人は籍を入れたけど、父は死んだらしい。継母はどこに住んでいるのか知らない。弟とはほとんど会ったことがない。別の幸せな家庭で育てられた他人の様なものだ。


家族と縁が切れて長い時間が経ち、PTSDはほぼ回復した。フラッシュバックに襲われて、下唇を血が出るほど噛むことがなくなった。

今はただ穏やかに、一人で生きていくことを望んでいる。

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