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#18 誰とも違う色のわたし

「君はこのクラスにいる誰とも違う色だった。
アイコともユキとも仲が良かったけど、
似た色でもなかった。それがとっても素敵だったよ。そのままでいてね。」

小学校6年生、卒業間近に当時の担任に言われた。
先生は色付きメガネで男性だけど髪がボブくらいあって、スーツじゃなくて白いジーンズを履くような【先生らしくない】先生だった。

地元の中学ではなく少し離れた私立の学校に行く直前の私にとってその言葉の最初のインパクトは
(えっ色が違うって何?そんな異質な存在だったのか、、、?)
と不安を覚えた記憶がある。
だけど、大人になった今なら1億%のとびっきりの褒め言葉だと分かる。

12歳だった私はもうその倍以上生きてる(31歳)けど、先生がくれたこの言葉に私は今だって支えられてる。先生、ありがとう。

どうも、自己肯定感バリ高い系女子です!

自分を表現するキーワードは色々あるけど、
自他共に認める共通ワードはやはりこれである。

だけども、だけど、
なんで私こうなっちゃったの?と振り返ることが今までなかった。
(私は、自己肯定感高いの次のキーワードは【棚卸(振り返り)が嫌い】でおなじみです。笑)

ある日、
「なんでそんな自己肯定感高いんですか?」と仲の良い後輩に聞かれ
「えっーーとぉーーー?」となった。

自己肯定感って最近の流行言葉みたいになってて、
よく「褒めて育てましょう」とか「自分で自分をほめましょう」とか聞くけど、自分はどうだったけ?と。

ちなみに「自分で自分をほめましょう」ってめちゃくちゃ難易度高いよね。
一応できるよ?できるけど、それって自分に刺さらなきゃ意味ないから、
とりあえず「私がんばってる!!」とか言ってみても、自分の言葉に自分が満たされる準備がないと逆に萎えちゃうよねって個人的には思ってます。
そして私の【自己肯定感】は自分をほめるっていうのはほぼないです。
やっぱり私は他者に褒められたいから(笑)

がんばっても「頑張ったね」と言ってくれないペアレンツ

私の両親は、褒めてくれない親でした。
とかいうとすごい厳格にビシバシスパルタされてたというわけでもなく、
何歳になっても友達みたい★な仲良し親子でもない。
親と子、生まれた時から常に別人格として必要な距離をおいている
所謂、「ドライ」な関係だと思っています。

4月生まれの私は幼少期、クラスでも1番か2番目に背が高くて
運動神経もまぁまぁそこそこで、口も達者だったので
運動会の徒競走はぶっちぎり1位だったし、代表の言葉とか読んじゃうようなタイプでした。
つまり、褒めどころが結構あったんです。(笑)

でも、親はあんまり褒めてくれなかった。
大き目な陸上大会で一生懸命ちゃんと走って1位でゴールテープを切ったあと誇らしげに母親の元に行ったら
「もっとできたでしょ~」
と言われたときは12歳ながらズッコケそうになったのを覚えています。

「褒め」にはとことん飢えていました。
特に母親に褒めてもらいたくて、なんかいろいろ頑張った気がする。
でも褒められなかったなぁ。

だけど、なぜか自己肯定感がぶち上る人生。

私、自己肯定感の専門家じゃないんで実際のところ知りませんけど、
とことん褒めない両親(特に母)がずっと貫き続けてくれてることが
「誰とも比較しない」ってことでした。

良いときも悪い時も決して誰とも比べないでいてくれた。
「誰々より上手い」とか「誰々の方が頑張ってる」とか
何者かを引き合いに出さずに、いつも私という一個体に集中してくれていました。

そして同時に、
産みだし育てた親だとしても、どんなに私が幼い時でも
自分(両親)と私は別人格であり、
私を1人の人間として尊重してくれていた。
親の従属物であると一度も感じさせられた記憶がないんです。

「私は誰のものでもなく、私の人生は私のものである」
という根底は間違いなく両親のスタンスが築き上げてくれたものですね。
正直もっと褒めてほしかったけど(根に持ってる)、
自分で自分を大切にする礎を作ってくれたことにはスーパースペシャルサンクス。

承認欲求オバケへと成長する

あまりにも親に褒められない(でも褒められたい!)私は、
承認欲求オバケへと成長をとげます。
自分を褒めてくれそうな人を探す感度がめちゃめちゃ高くなりました。(笑)

【自分で自分の機嫌をとる】っていうのも最近頻繁に目にするけど、
その1つの手法として当時は無意識にやっていたけど、おすすめです。

自分のパワースポットならぬ、パワーパーソンを探す。
人それぞれパワーパーソンの効能は違うと思うんですが、
私のとっては「褒め合える」人。

誰でも褒めてもらえたら確かにうれしいけど、
この人に言われたら格別っていう人がパワーパーソン。
私もその人のこと「素敵だな」って思っているから、
その人に褒められたらミラクルハッピーになれるわけです。

自分の人生を自分の力で漕いでゆくということ

自己肯定感という言葉が一人歩きしている感じがする今日この頃ですが、
私にとっての自己肯定感って「自分大好き!最高!」みたいなのとは
ちょっと違うんですよね。
どちらかというと、
「自分に絶望することがない」が一番近いのかな。
(もちろんたまーにありますよ。私クズだなって思うこと)

どんな私も、私だから
まぁそんなこともあるよねっていうマインドです、高尚なことではなく。

それは紛れもなく、
褒めないけど比較しないペアレンツのおかげです。
比べないから背丈が合ってないものに勝手に自分を合わせて泣くこともないし、無意味な優越感に浸る時間もない。

TOKIOの「宙船」という歌に
「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな」

という歌詞がありますが、
私にとっての自己肯定感の根源を一言で表現するならまさにこれです。
(中島みゆきさんって本当にすごい、、、)

とはいっても学生の時は、やっぱり周りと比べて一喜一憂することも少なからずあったし、無暗に傷ついたり傷つけたりしていたと思います。

ムスメがもう一度向き合うチャンスをくれた

『自分の子ども持つ』という選択は選んでも選ばなくても
どちらでもいいと思っていました。
ご縁があればもちろんチャレンジしてみたいけど、
私の人生にとってのMust to doではないと。
そして、そのマインドは今もさほど変わっていません。

自分以外の人間の人生に深く関わる(ある一定期間までは養育する責任を担う)ことに怖さもあったし、自信もなかったから。

ただ幸運なことにそのチャンスが自分にも回ってきたので、
喜んでその道を進ませてもらっていると思っています。

ムスメを産み、育てているまだまだ少ない時間の中でも
世の中ってとてつもなく余計なお世話の多いことに驚きました。
何度(心の中で、たまに声に出して)、
「しゃらくせーわ」と言ったことか。

人の人生に、良かれと思って・勝手に色んな言葉のシャワーが降りかかる。
(無意識にも私もきっと誰かの大切な人生に余計なお世話をしていることもあるんだろうと反省の意も込めて)

ムスメは私のお腹の中で育った、自分とは全く異なる人間

似ているところもたくさんあるけど、
でもやっぱり全然違う人間なんですよね、当たり前だけど。

そんなムスメの存在は、
「自分の船は自分のオールで舵をとる」という原点にいつも立ち返らせてくれるのです。

ムスメの人生のオールを奪わないと同時に、
私の人生も私のものだということを改めて考えました。

ママだからってオール(主導権)を手放してはいけないと。

1歳になったムスメは、
自分の興味の赴くものに一直線で歩き進むし
好きなものを指さし、嫌いなものに泣き叫ぶ

彼女の人生はどんどん進んでいく
いつか「もう一人でいけるから大丈夫~」と颯爽と楽しく漕いでゆけるまで、隣の船からサポートするよ。


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