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つまり、私が書く理由

小さい頃から、書くことが好きだった。具体的には小学6年生の頃からだったと思う。博学な父と、国語の教師のもとに生まれた家には、無数の本があり、日常的に本を読む環境と、合わせて読書感想文を書くという習慣があったのを覚えている。

どんなに分厚い本を読む時にも、本を開くと自分の中にピアノのようにリズムが降りてきて、それに合わせて読んでいた。

小学6年の時に学校で、物語を書くという宿題が出た。私はとてもドキドキした。今でも覚えている。私の初の書き下ろしタイトルは「空色のソラ」。空が大好きな少女ソラが、空を見上げると不思議なことが起きて、色々な世界に旅に出るといった話だった。その物語の記憶は、書き上げた達成感でいっぱいの瞬間で時が止まっている。なぜなら、その物語は、初めてそれを手渡した担任の先生からの「何を書いているのが全くわからない」の一言で、灰色と、化してしまったからだ。

自分には能力がなかったんだ、ということをその時強烈に感じ取ったまま、私は大人になった。

私は中学生になってから、本を全く読まなくなった。あれほど読んでいたのに、興味がなくなった。その理由が、あの一件にあったのかはわからないのだけど、活字を読むことが退屈に感じたし、無駄に感じたのだ。思春期に入ったのもあるかもしれない。私は本と決別した。

だけど私は、ずっと手紙が好きだった。友達や好きな人と大切な想いを伝える時はいつも手紙だった。私の宝物はずっと、レターボックス。文房具屋さんや雑貨屋さんでいつも買ってしまうのはレターセットだった。母になった今でも、私のその箱は好きな紙に更新されていっている。

大学生になり、江國香織さんの本と出会い、私はまた活字の世界へ帰って来れた。江國香織さんの文章は、私が小さい頃本を読む時に刻んでいたリズムにピッタリあって、居心地が良かった。

社会人になってから、休日に私が足を運ぶところは、都内の本屋。そこで、見たこともないような圧倒的な本の世界に、時間を忘れて一日をすごした。
特に好きだったのは、六本木の芦屋書店。

私は本当はずっと、書いてみたかった。心が震えるような本に出会う度に、とてつもなく嫉妬した。私もこんなことを、書いてみたいと。でもその心は、「私には無理」という考え方によって蓋をされ、言葉に出ることさえなかった。

「書くことはお金を生み出さない」
「書いても得がない」
「書くことは芸術、才能、選び抜かれた人がやること」
⁡たくさんの心のブロックを積み上げていた。


そんな私に、神様から「最後のチャンスだよ」と言わんばかりに、再び書く楽しさを教えてくれる時がきた。それは今年の春、セルフコーチングという自分の心の学びを受講している時。毎日、机に向かって自分の心を書き出す作業を3ヶ月続けた。書きながら、自分の持っている考え方を俯瞰して、潜在意識に潜り本当の気持ちを表に出していく時間。その時間、とにかく夢中だった。時間が許すならずっとしていられると感じた。食事を忘れて書いていたこともあった。書きあげた時、全身が達成感で満たされて、また明日も書きたいと思った。自分にこんなエネルギーがあったのかと知った。

そして私は気がつく。
私はその時、小さい時に夢中で本を読んでいた時に感じていた、「あのリズム」を刻んで書いているということを。⁡あのリズムはまだ私の中にずっと、続いていた。このリズムは、消そうとしても消そうとしても決して消えない、私の情熱。

私の本当にやりたいことは、つまり、このリズムにのって書くことだと。


書いてみよう。
もういい加減、書こう。
自分の心からやりたいことに、許可を出そう。
誰にどんな風に思われたっていいじゃない。
そもそも書くことを禁止していたのは、他人じゃなくて私なのだ。
能力も、経験も、自信もいらない。
あのリズムさえあれば。
あの情熱さえあれば。

弱い自分を受け入れたなら、もう私にはたくさんのものがあると気が付く。

⁡私はその決断を泣きながらした。
その日、日記にはこう書いている。
「私は泣きたいほど、エッセイストになりたい」と。

私は小学6年の時に夢中で物語を書いた私と、また手をつないでみる。

大丈夫、あなたならできる。

それがつまり、私の書く理由。



おわり


追記:
私が書くことができるようになった最後の一手は、
私の友人幸子さんからの一言。
「ゆうちゃん、エッセイ書いてみなよ!」でした。
2023年7月21日、私はあの暑い夏の日のことを忘れません。



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