私のキャリアはわらしべ長者④パワハラに遭う
40までに7回転職、50前で独立した私のキャリアをたどっています。
展開だけは「わらしべ長者」のようですが
成功者の物語ではありません。
でも懸命に、目の前の仕事や関わる相手、自分自身と向き合った、私の足跡です。
これまでの内容
【第1回】「何か」を探し求めてさまよい、28歳までに3回の転職をする
【第2回】4社目のコンビニ店長で「何か」を見つけてステップアップする
【第3回】5社目のコンサルで充実期を過ごすも、仕事を通じて新たにやりたいことを見つける
今回は、学ばせてもらおうと思っていた
「人事総務のプロ」と言われる人から
「パワハラ」を受ける
という思わぬ事故に遭ったお話です。
トップ画像「ライフラインチャート」 の、赤で囲った部分になります。
※ライフラインチャート:キャリアの充実度 (詳しくはコチラ)。
6社目:物流会社(35歳)
5回目、6社目の転職先は、卸売物流の会社です。
アパレルメーカーから服を仕入れ、商品タグ等をつけ販売できる状態にしてショップに出荷する業務を請け負っています。
都内に大きな倉庫を4つ持ち、100名以上の従業員がいました。
私の配属は、総務や人事・経理機能を担う、本社の管理本部という部署です。
前職のコンサルで多くの現場を回る中、好きな仕事を楽しくやりたいのにできない人がいる、できない環境があることを知り、働きやすい環境づくりや風土改善、それを支える人事制度や組織運営などを学びたい、と志しました。
そのような経験が豊富な「人事総務のプロ」の元で勉強させてもらいながら、実際に取り組む経験ができるということで、今回転職したのでした。
幸運にもそのような機会に恵まれ、新たな挑戦に張り切っていました。
ところが何と・・・
「人事総務のプロ」と言われる人から
「パワハラ」を受けたのです。
その頃のことは、記憶の景色にモヤがかかっているようで、なかなか思い出すことができません。身体が拒否しているのか。
当時の日記を読み返しても、詳しい記述はほとんどありませんでした。
それでも何とか思い出してみます。
支配されていく日々
パワハラをしてきた「人事総務のプロ」は管理本部の部長で、私の上司です。
席は隣。打合せや訪問先などでもほとんど一緒で、様々なことを教えてくれました。
「人事総務のプロ」と言われるだけあって、様々な知識と経験があります。人事や労務、労働問題の対応から、文書・規定管理、資産・備品管理、保安や防災、会社法・取締役会関連、官公庁対応、係争の解決・・・と多方面に渡るものでした。
人事や組織のことを学びたかった私は、嬉々として話に聞き入り、懸命にメモを取ります。
部長は、入社して半年あまりで社内において絶対的な影響力を持つ存在となっていました。そうなれるように仕向けてきた、とのこと。物事を進めるためとはいえ、何でもコントロールしようとする姿勢が少し気になっていました。
入社して2ヶ月くらい経ったでしょうか。
ある日、こう言われました。
「おざわさん、元コンサルなんだよね。
おれ、コンサルが嫌いなんだわ」
定かでない記憶をたどる限り、この日のこの言葉が境目だったように思います。何がきっかけだったかは分かりません。
以来、彼は私を自分の支配下に置こうとし始めました。
たとえば、作業指示を出す際
「いつでもいいから」
と言っておきながら、まだ何日も経っていないのに
だいたいできていたので、
あわてて仕上げて提出すると
といって、彼が過去に手がけた仕事の資料などを大量に送りつけてきました。
ありがたかったのですが、とにかく量がすごい。内容を把握するだけでも大変です。
しかし、また何日も経たないうちに、こう言って私を追い込んでいきます。
で、何かにつけて
と言いながら、言葉遣いから行動にいたるまですべてを細かく指摘し、矯正してくるようになりました。
人前で、イントラネット上で、みんなに見せつけるように。
意見は聞いてくれません。反論しようものなら何十倍にもなって返ってきます。ましてや私の得意なことや長所など見ようともしない。すべて自分のやり方に合わせるよう強要されました。
昼休みは強制的に車で外に連れ出されます。
車内で、行った飲食店で、説教、演説、過去の武勇伝など、言葉のシャワーを1時間浴び続けます。
今思えば、拉致・洗脳のよう。
他部署の手伝いも自由にさせない
ある日、各倉庫の現場と一緒に業務管理をしている部署の人が、私が前職で業務改善のコンサルをしていたことを知って、相談に来ました。
取引先から「効率を高めて料金を抑えつつ、ミスを減らしてくれ」という要求があったものの、どうしたらいいか分からないので教えてくれないか、とのこと。
日々に息苦しさを感じていた私は、よろこんで引き受けました。
ところが、上司はその話に断りを入れようとしたのです。
相談に来た部署の役職者と現場の責任者が頼み込んで、何とか話は実現しました。
でも今度は、業務改善の定例会議がある日に予定を入れてきます。
さらに、こう言ってきました。
自分の部下を使われるのがイヤだったのか。
嫌いなコンサル経験者が重宝がられるのが気に入らなかったのか。
もしかしたら、彼は業務のことを詳しく知らないので、自分以上の影響力を私が持つようになるのを恐れていたのかも知れません。
いま振り返ると、ですが。
とにかく、そんな状態が続き、気が滅入ってしまいました。
常に胃が痛く、肌は荒れ放題。
寝つきが悪く、目覚めも悪い。
やがて体調を崩しがちになりました。
これがパワハラだったのか
私には、以前からお世話になっているキャリアカウンセラーがいます。苦しくて仕方がなかったので、今の状況を聞いてもらうことにしました。
そこで言われたのが
「パワハラ」という言葉がまだ一般的でなかった10年以上前のこと。知識としてはありましたが、言われるまでは
「自分がパワハラを受けている」
という認識がありませんでした。
パワハラを受けると、自覚を奪うほどに追い詰められるのか。
気づかせてくれて助かった。
というひとことを受けて、
今いる場所から避難することにしました。
仮に他部署に異動したとしても、彼の影響力はどこにでも及ぶ。それに相手は管理部門の長なので、社員である以上、関わりを持たないのは困難。
会社を辞めるしかないのか。
また転職・・・
でも仕方ない。身を守ることが最優先だ。
とにかく、転職活動ができるように元気を取り戻そう。
まずは、昼休みに拘束されないよう、弁当を持参して社内で昼食をとることに。
これを手始めに、受ける影響を減らすアクションを始めていきました。
社長の引き留めと、涙
前のコンサル会社に、社会人大学院で経営を学びながらアルバイトとして在籍する同年代の人がいました。何度か一緒に仕事をして意気投合し、退職後も何度かやりとりをしていました。その彼から
「最近大学院を卒業・起業して人材紹介をしているんだけど、いい人がいたら教えて欲しい」という連絡が。
さっそく会って今の状況を話し、転職を考えていることを伝えると
と言ってくれて、幸いすぐに転職先が決まりました。
退職届を出すと、社長が「話がしたい」とのこと。
社長は2代目で、私と同年代です。
明るいスポーツマンタイプで、苦労とは無縁な感じ。パワハラ部長は「能天気なボンボン息子。2代目の典型だ」とよく批判していましたが、前向きな感じが私は好きでした。
少し前に社長から
「これから会社を新たなステージに進めたいから、それに向けて会社のビジョンを一緒につくってくれないか」
と言われ、取り組み始めたところでした。
社長室に入ると、社長はしばらく黙ってうつむいています。
重い口を開いて出てきた言葉は
ありがたい提案でしたが、異動しても関わりを持たないのは困難なこと、もう次が決まっていることを伝えます。
すると社長は、またしばらく黙ったあと、
とだけ言いました。
顔を見ると、涙を流していました。
会社を辞めるのは5回目ですが、
泣かれたのは初めて。正直うれしかった。
おいおい泣くのかよ、とは思わなかった。
応援したくなる、いい人だな。
うれしい言葉に救われる
この会社に在籍したのはわずか7ヶ月でしたが、他部署や各倉庫の人たちは、私が辞めるのを残念がってくれました。
特に、一緒に業務改善に取り組んだ人たち。
取引先の要求に応えながら部門の利益を守り、かつ従業員が疲弊しないように知恵を出し合いました。
上司の監視と行動制限がある中で、しばし解放された時間を過ごさせてくれた。
そして、上司が見ようともしなかった私の得意なことを、ありがたがって求めてくれた。
そんな存在です。
開いてくれた送別会では、このようなことを言ってくれました。
また、各倉庫で一番人望のある親分肌の責任者からは
グッときました。
お別れは残念ですが、短い期間でこんなことを言ってくれる関係になれたのが、たまらなくうれしかったですね。
学ばせてもらおうと思っていた
「人事総務のプロ」から
「パワハラ」を受ける
という思わぬ事故に遭ったけれど、
最後にいいこともあった。
救われる思いでした。
つづく
次回は、パワハラに遭ったのをきっかけにカウンセラーの資格を取り、それを活かそうとしたお話です。
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