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私のキャリアはわらしべ長者⑥部長抜擢~改善推進~伏線回収

40までに7回転職、50前で独立した私のキャリアをたどっています。
展開は「わらしべ長者」のようですが
成功者の物語ではありません。
悩み、さまよい、助けてもらいながら、目の前の仕事や相手、自分自身と向き合った私の足跡です。

これまでの内容

  • 第1回】「何か」を探し求めてさまよい、28歳までに3回の転職をする

  • 第2回】4社目のコンビニ店長で、その「何か」を見つけてステップアップする

  • 第3回】5社目のコンサルで充実期を過ごすも、仕事を通じて新たにやりたいことを見つける

  • 第4回】6社目で、学ばせてもらおうと思っていた人事総務のプロから「パワハラ」を受ける

  • 第5回】7社目で、パワハラをきっかけに得たカウンセリングスキルを活かそうとするも、うまくいかず

今回は、ついに最後の転職先となる8社目(現時点で)、「わらしべ長者」のようなキャリアの集大成となるお話です。

トップ画像「ライフラインチャート※」赤で囲った部分になります。
※キャリアの充実度。詳しくはコチラ


8社目:教育系FC本部(38-47歳)

7回目の転職先は、「ウチに来てくれないか」とお声かけをいただいたコンサル時代のクライアント企業です。

設立して4年。社員は30名弱。
教育系のフランチャイズを新たに展開している、若くて明るい会社です。

配属されたのは法人向けの営業部署でした。
リーダーという肩書はありましたが、
メンバーは1名と、ほぼプレイヤーです。

全国の学習塾に営業をかけ、契約締結まで完結させます。
契約成立後も、担当として引き続き契約先の社内に事業部門を立ち上げる支援を行い、研修から事業開始後の運営までをサポート。
前職のコンサル経験がそのまま活かせる仕事でした。

契約先の企業にとって、新規事業の立ち上げというのは大変な仕事です。1回目のコンサル経験で培った「関わる・支援する」スキルを活かして担当者と伴走。
当時のように、相手によろこばれ頼りにされるのはうれしいことでした。

風土の悪さに嫌気がさす

でも、現場で努力するだけでは、契約先の業績がなかなか上がりません。
当時の商材・宣伝ツールや事業のしくみでは、集客が進まず、業務効率も悪くて、収益性が低いままでした。

その状況を幹部や他部署に訴えても、答えがあいまいだったり、できない理由を並べられたりで、なかなか改善に動いてくれない。

そんな様子から、だんだん社内のことが見えてきました。

会社は5期目にして業績が伸びなくなり、早くも頭打ち。
協力して取り組むべき部署間でいがみ合い、責任を押しつけ合っている。

特に、幹部=各部署の部長が、縄張り意識を持っていました。
幹部たちは全員、中学受験で有名な親会社からの出向です。

長年実績を積んできたベテランが、立ち上げ間もない小さな会社に行けと言われた。
やり方も組織も成熟した会社と違って、自分でつくり、自分で考えて動かないといけない。どうしたらいいか分からないが、そんな心情は悟られたくない。
あるいは「本流」から外れて戻る場所がないのを悟り、自分の部署に口出しをさせないことで、幹部という自分の立場を守り、プライドを保っているーーー

というのは、他の社員たちとよく話していた想像ですが、言動からして見当外れではなかったと思います。

とにかく、面倒なことには手を出そうとしませんでした。

一方、社員は自社採用の「プロパー」です。
大半が30代前半の伸び盛り。
素直な人が多く、目の前の仕事は一生懸命やるし、個別に話をするとやりたいことを持っています。
でも、実行に移せない。幹部の前では大人しく従順になる。
何を言っても変わらない体験を経て「学習性無力感」に陥ったのかもしれない。
あきらめムードが漂う「指示待ち」集団のよう。

コンサルとして担当していた頃は、幹部も社員も明るくて、活気がある会社に見えたのですが、実情は違っていました。
風土がよくない。どんよりしている。

入社して1年。
このような風土に嫌気が差してきました。
必要なことを訴えても動かない。手をつけようとしない。催促しても、先送りや言い逃ればかり・・・。

ストレスからか、身体の調子が悪くなっていきました。
慢性的に胃の働きが悪い。
寝つきも目覚めもよくない。
頭痛が治まらず病院で検査を受けたことも。
いつもどこかしら体調が悪く、イライラしていました。

気分と体調は、行動や態度に表れます。
自分の担当企業への対応は一生懸命やったものの、それ以外のことは適当にこなすようになりました。
あからさまに指示を無視して好きなように行動したり、報告すべきことをしなかったり。
気の合う社員と飲みに行っては、会社や幹部の悪口ばかり。

全社員が集まる場所で、幹部を指して
意思決定なんてしてないじゃん
何もやってない
と大声で批判したこともありました。

仕事のよろこびを思い出す

そんなある日、所属部署の部長から呼び出され、こう言われました。

「自分勝手な行動ばかりするな。
みんなを引っ張っていく立場なんだから」

中心として関わってくれないかと誘われ、
若くて新しい会社に入ったものの、
業績は頭打ちで、風土がよくない。
部署間、幹部どうしでいがみ合い、押し付け合っている。

期待外れのこんな状況を呪い、
投げやりになっていたかもしれない。

そう思った私は、
ちょっと冷静に自分を見つめ始めます。

お世話になっているキャリアカウンセラーから以前教わった「ライフラインチャート」のことを思い出し、取り組んでみることにしました。
これまでのキャリアの中で、うれしかったこと、充実感を味わったときのことを振り返る、というものです。

●コンビニ店長時代
バイトや新入社員が育ち、慕われた

「店長のおかげで仕事が楽しくなった」
「私もおざわさんみたいになりたい」

●コンサル時代
クライアントに喜ばれ、感謝された

「大切にしていることを一緒に守ってくれて、ありがたかった」
「現場に寄り添って、ミッションを果たす以上のことをしてくれた」

●パワハラに遭ってどん底にいたとき、必要としてくれる人たちがいた
「おざわさんは私たちの希望でした」
「残してくれたものを活かしてがんばります」

そうか。
役に立ったり、求められ頼りにされるのが
うれしかったんだ。

対して今は・・・
とりまく状況のせい。
他部署のせい。幹部のせい。

自分から役に立とうとしていない。
頼りにされるようなことをしていない。

本当はそうなりたい、そうしたいのに。

ここにいる人たちの役に立つことをやろう。
ここをよくすることを考えようーーー

そう考えた私は、何か手伝えることはないか、みんなの様子を見て声をかけることにしました。

会社の中心的な存在になる

まずは、悩んだり行き詰まっている人を見つけ、話を聴いて状況を変えるきっかけづくりを一緒に考えることから始めました。
そこから、コンサル時代に培った資料の作り方や分析フレームの使い方などを提供したり。
前職での知識を活かして、契約書の修正や特約・覚書の作成、面倒が対応な事案の解決を手伝うことも。

さらに、これまで
「幹部や他部署が動いてくれない」
と嘆いていたことに対して、自分からアクションを起こしていきました。

  • 集客のパンフレット
    契約先や営業担当から「使いにくい」という声が上がっているのに、現状のものを変えようとしない担当に対して、叩き台を作成して変更を提案し、リニューアルさせる。

  • 契約先の事務作業軽減
    管理部門から一度は拒否された、契約先企業に負担を強いる管理事務の改善を、どんな方法なら可能かヒアリングして改善策を提案し、実現させる。

  • 教材の課題解決
    集客のネックになっている教材の課題を制作部署に伝えて賛同をとりつけ、追加教材の制作を幹部に提案、承認を得る。
    制作部署は今の仕事で手一杯だというので、内容の企画と印刷会社への折衝を引き受けて負担を軽減し、リリースにこぎつける。

他部署に働きかけて一緒に取り組んだり、やりやすくなるように提案したり、困ったことがあればサポートしたり、といった行動を積み重ねて行きました。

すると、みんなからこんな言葉をもらうようになりました。

「おざわさんが2人いればいいのに」
「会社の中で一番頼りになる」
「1人1人のことをちゃんと見てくれる」
「みんなが気持ちよく仕事できるよう配慮してくれる」
「ついつい何でも話しちゃうんだよね」

いつの間にか、会社の中心的な存在となっていたようです。

この様子を見た幹部は
「会社全体のためになることをもっと進めてくれるだろう」
と、私を管理部門の部長に抜擢してくれました。

これまで役に立ちそうなことを取り組んできた中で、やるべきことがたくさん見えてきた。権限が広がれば、もっといろいろなことができるーーー

そう考え、よろこんでお受けしました。

この会社に入って3年目。
ちょうど40歳のことです。

管理部長に抜擢される

管理部門は、総務をはじめ経理財務や人事労務、在庫管理など、バックオフィスといわれる管理系の業務を一手に担っていました。
メンバーは6名。

前任の部長が退職して数年のあいだ空席で、専務が兼任していました。そのせいか、マネジメントの細かいところまで手が回っておらず、なかば放任状態でした。

そんな環境だったせいか、メンバーは自分たちの仕事のしやすさを優先して、自己都合で物事を進めていました。
負担を押しつけられる格好となった社員には、不満がたまっています。
私も営業部時代に不便さを感じていました。

中には、会社の業績に影響し、経営を圧迫するようなことも。気づかないわけがない。見て見ぬふりをしている。

これじゃいけない。管理部門の役割は
「みんなの仕事をやりやすくする」
「営業はじめ他部署の業務をサポートする」
「会社の利益を守る」

自分たちの役割を果たせていないことに気づいてもらわないと。

でも、自分の都合を優先するクセがしみついていたメンバーは、口で説明しても、なかなか動こうとしません。

面談を重ねて話をしてみたものの、出てくるのは仕事のグチや他部署に対する文句、前任の部長への批判、そして自分が楽しようとすることばかり。

確かに、管理部門の仕事は絶対厳守の締切がある一方で、他部署から出てくるのが遅かったり、手間のかかる細々した作業が多かったり、ストレスが多いのは分かる。
だからといって、他部署に負担を押しつけるのは違う。
むしろ、自ら改善して自分たちも含めたみんなを楽にするのが、管理部門の「役割」であり「仕事」。

そこで私は、一緒に取り組むことでそれに気づいてもらおうと考え、自分から主導して業務の改善を進めていくことにしました。

メンバーの意識を変える

あらゆる業務にメスを入れていきます。

  • 経理
    クレームの元である請求ミスの撲滅。
    営業部署に押しつけていたチェックを部署内で完結させ、自らが課題を見つけ改善するサイクルを構築。
    経費申請フローを見直して、社員の負担を軽減。
    月次収支の算出にかかっていた時間を半月以上短縮し、素早い意思決定や対策ができるように。

  • 総務
    欲しい物を探すのもひと苦労で、まだ在庫があるのに発注する有様だった備品キャビネットを断捨離。
    その状態をキープするために管理ルールと帳票を整備。
    社内ネットワークと保存データを整備し、欲しい情報にすぐアクセスできるように。

  • 営業情報
    これまで管理部門の都合で算出基準を決めていた営業速報を、営業部門が欲しい項目とタイミングで算出。
    営業部門が各自でやっていた集計作業を引き受け、いつでも見れるよう随時更新。

  • 基幹システム
    何年も前から契約先と営業担当より出ていた、使いにくさの改善に着手。
    システムから吐き出すデータを活用しやすい形に修正し、経営情報や営業情報等の各種数値を効率的に算出。

  • 新規契約事務の引き取り
    営業担当が各自でやっていた、新規契約から事業立ち上げまでの進捗管理と、必要な手続き・手配等の業務をすべて引き受ける。

  • 広告宣伝
    担当がやろうとしてこなかった、実績集計と効果検証を実施。
    これを元に戦略を営業部署と一緒に考え、営業活動と広告宣伝を連動させる。

こうして、これまで管理部門が自分たちの都合でやっていたこと、または手をつけようとしなかったことを、社員の負担軽減や、成果を出す手助けとなるものに変えていきました。

改善が形となり、効果が見えてくると、みんなから感謝されるようになりました。

すると、最初は不満げな表情を見せていたメンバーは、感謝されるよろこびを知ったのか、やがて自分からみんなの役に立つ行動をとり始めたのです。

口先で人を変えようとしても難しいけれど、
きっかけをつくれば自分から変わるんだ
ということを実感しました。

「わらしべ長者」のようなキャリア

管理部長となり、部署の改善を進めて社内のさまざまな課題解消に取り組んで2年目のこと。

グループ全社で「各社からMVPを選出しよう」というイベントがありました。
取締役が私をMVPに推薦し、推薦理由にこんなコメントをしてくれました。

各部署の横のつながりをしっかりとコントロールしているキーマン。
管理業務から営業サポート、広告宣伝まで、マルチにカバーしてくれる、
なくてはならない存在です。
そしてさらに素晴らしいところは
「それはできない、無理」
という言葉を、彼から聞いたことがない点です。

うれしかったですね。
「役に立とう」と決心し、やってきてよかった。

そして、このコメントの最後の部分は、
5社目のコンサルで教わり身体に染みついた姿勢です。
何年たっても、活きているんだなぁ。

「活きている」といえば、
取り組んできた数々の改善業務。
30代で経験したコンサル2社をはじめ、物流会社や会計事務所、あと思い出したくないですが、パワハラ上司から教わった管理業務のノウハウがつまっています。

たくさん転職を繰り返したものの、様々な職歴で培ってきた経験や得た知識が、40代で部長となったいま、何年もの時を経て活きてきたのです。

まるで【伏線回収】のように。

noteのタイトル
「私のキャリアはわらしべ長者」
は、ここから来ています。

なお、タイトルの理由は
もうひとつありまして。

それは、いままで何年もかけて何社も渡り歩き、回り道をしてきたけれど、やりたかったことにたどり着いた、ということです。

  • コンビニ店長時代、仕事の楽しさを味わってもらおうと志す。

  • コンサルに転職し、仕事の楽しさを味わえない環境があることを知る。

  • 苦しむ人の助けになりたいと思うものの、その次の転職先で自分が苦しむ環境に陥ってしまう。

  • しかし今度は、働く環境をつくることができる立場になる。←イマココ

最後に、この話を書きたいと思います。


▼次回(いったん最終回)



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