2024/05/08
昨日はほぼ同時に記事を書き上げた。そう書く私は途中で主語が抜けていることに気付いて、無視した。主語が抜けたなら、補うのではなく、「主語が抜けた」を提示することが大切だと思ったからだ。「主語が抜けた」なら、「主語が抜けた」を読者や自分自身と共有し、“「主語が抜けた」ね。これ、なんなんだろね。”をやることが、私にとっての“書く”なんだろう……少し、もっともらしい感じに違和感を覚える。まとめすぎたんだろう。まとめることの利点を否定するわけではないが、こと執筆においては、“ここぞ”