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【困窮してみた・再生編 No.6 〜相対的貧困〜】

【『相対的貧困状態』ってこれかぁー!】

 月曜日(2019.6.17)の血液検査で、例の病気が概ね治ったことが判明しました。

 午前中に保険証を取りに行く(区役所は電車で10駅ちかく離れてる。前宅は徒歩でいけたのに……)

 保険証ゲット。病院へ。

 病院の前で保険証を家に置き忘れたことに気づく(一旦帰宅して貴重品を置いたことが仇になった)

およめさまに持ってきてもらう(家から病院までは徒歩30分弱)


 という一大スペクタクルが午前中に一気に発生したもので、先に帰っていたおよめさまに

「全快のご褒美に、なにか食べて帰るよ」

 とメッセーを入れ、めぼしいお店を探していました。


「『てんや』か……久しぶりに天丼もいいな……いやいや、蕎麦付きだと800円超えるやん! 自炊なら2日は余裕でいけるで!」
「おー! 『リンガーハット』か。ちゃんぽんなら野菜も取れるし……いやいや、キャベツ1玉買ったばっかだし、サッポロ一番塩ラーメンでええやん……」
「『ココイチ』……これだけのお金かけたら、牛すじ使ってもっと好みのカレー作れるしな……」
「パスタなぁ……原価厨ではないけれど、この一皿の分のお金で、すごく良いオイルが買えるんだよなぁ……にんにくとあのオイルでたべたら、このパスタ超えるもの楽勝で作れる気がするなぁ……」


 とまぁこんなループを、道々あるきながらやってたんですよ。
 んで、気づいちゃったんです。
 自分の中身が、『相対的貧困』の状態になれてきてしまっている、って。

【「コスパ重視」の先にあるもの】

 いやね、いいんですよ?
 無駄遣いをしないことは、こういう窮状では、正しすぎるくらい正しいことですし。
 でもね、たかだかチェーン店の食事。1,000円もかからないレベルの価格。下手したらワンコインみたいなランチの出費を渋るって、だいぶ貧しくなるんですよ、心が。
 ↑みたいなグルグルをやってる自分を客観的に観測してみての僕の感想は、

「控えめに言ってみみっちい」
「貧乏くさい」

 でした。

 僕は、幼少期から常時貧困状態の家庭で過ごして(そうであったことに気づいたのはつい最近ですが)きましたが、しかしコレについては、我がの家訓のように、あるいは個々の心に座右の銘のように存在し続けていた言葉があります。

「貧乏なのは仕方ない。だが、貧乏くさくなってはいけない」

『それが極まりすぎたから、借金膨らんでこんな状況になったんじゃね?』
 というご指摘は、本当にごもっともで、まさにそれがゆえに親子して背伸びをしすぎて散財してしまって、その結果がコレだよ(;´Д`)!
 ……ではあるんですが、とはいえなにごとも限度ってものがありまして、


 お金がかかるから、一切外食はしない。
 スイーツ的なものはコスパが悪いので、お菓子はディスカウント店で買ったもののみ。
 交通費がかかるから、電車賃やバス代が発生するところには行かない。
 誰かと会うとお金使わざるを得なくなるから、会わない。


 こうなっちゃうとね、さすがに「ちょっとちがくね?」って話になってくるわけですよ。
 こうなっちゃうと、日常が完全にルーティンにだけなります。
 新しい場所にも、新しいなにかが起こる場所にも行かないから、なにも変化が得られない。
「平穏な日々」といえば言えるけれど、極小まで削られた生活の振れ幅は、確実に視野狭窄への一里塚で、「あー……人ってこうやって落っこっていくのかぁ……」と、他人事のように観測していました。

 そんな折、こんなTogetterのまとめがTLに飛び込んできたんですよ。

 もうね、超それな感だったんです。若者じゃないけど、共感しかなかった。
 最近メルカリのクーポンが結構な攻めっぷりで、ホットスナックやらアイスやらが11円やら16円でゲットできるもんで、暇にあかせてメルカリ乞食やってる始末です。

 ていうかね、アイスなんてホント久しぶりに食べましたよ。
 そろそろ暑い頃合いだし、持って帰る間に溶けたらやだなぁー、ってのもありますが、なによりもやっぱり「お金」なんですよ。

 148円のアイスを買うお金があったら、キャベツが一玉買える。
 スタバのラテなんてとんでもない! 3日分の食費だよ!

 そんな風に、徹頭徹尾「コスパ」優先になってきてしまう。
 そうなると、こんな風になってしまうんです。

【どんどん悪くなるセルフイメージ】

 自分をアゲてくれるものや場所、好きな街や飲み物、食べ物。
 そういったものに全くリーチせず、ひたすらコストパフォーマンスだけを追求していくと、悪い意味での現状維持バイアスがかかってきます。
 それは自己肯定感とは似て非なるもので、強化されていくのは「自分が好きじゃない自分」なので、どんどんセルフイメージが悪くなっていきます。

 そんな僅かなお金さえ出し渋るしみったれた自分が、恥ずかしい・情けないと感じる。
 飲み物や食べ物だけではなく、靴やバッグ、服なども、ヨレッヨレだったり毛玉でまくってるのに、「破れていないから」と、ずっと着続けているから、みすぼらしい格好で人前(街中も)に出ることに恥ずかしさや気後れ感を感じてしまう。
 おしゃれなお店や「雰囲気がいい」と言われるお店での居心地が悪くなる。

 等々、「自分」という存在と世界とのギャップに、恥ずかしさや劣等感を感じるような精神状態になってきていました。

 これは、健やかな社会復帰を想定する場合、非常にまずい心の状態です。



【問題はやはり『文化的な』の部分】

 日本は、「健康で文化的な最低限度の生活」を国が保証しています。
 誰しもが飢えることなく、屋根と壁のある家に住めて、布団の中で眠れるんだよ、ということを保証しているわけです。
 もちろんそうはいっても、ストリートに落ちてしまわれた方や、生活保護費以下の給与で働いている人達がいて、それはそれで非常に大きな問題ではあるのですが、今回はそこは割愛します。
 誰もがそういった「基本的な人権」を保証されているという前提でお話をするならば、僕自身を含め、わりと数の多い相対的貧困層の人達はみな、文化的にも問題のない生活を送れているはずです。

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