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フレンチプレスで抱きしめて〜イシケン&ミキティシリーズVol.2 chapter3〜

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気乗りしない。
いや、想像しないではなかった。
あの話の展開から、こうなることは想像しないではなかった。
だが、やはり……。

「美穂子、やっぱりやめませんか?」
「いまさら何を言う。私とて貴重な休日を潰してお前のために一肌脱いでやっているのだ。その厚意を無駄にする気か?」

午後8時。イシケンの職場近くのコンビニから、張り込み刑事状態で私たちは彼の退勤時間を待っていた。
私は、週刊聞旬の若手俳優とJKのスキャンダル記事とイシケンの職場とに、交互に目を走らせていた。美穂子はF1層ターゲットの女性誌、auau恒例の「SEXでキレイになる」特集を舌打ちしながらも割と熟読していた。毒づきながらも、結局は興味があるようだ。
ちょっとアレな層の男子とはいえ、高校時代はそこそこの数の男子の恋心を喚起した程度には、美穂子の容色は良い。その気になればよりどりミドリちゃんのはずなのだが……。

「もしかして、アレ?」

モスグリーンのプルオーバーのパーカーにブルージーンズ、レザーのキャスケットをかぶったイシケンが事業所から現れる。
この時点で「仕事で遅くなる」の部分は嘘であることが確定した。
イシケンが、私に嘘をついた……衝撃に呆然とする私をよそに、美穂子は伝説の傭兵よろしく壁伝いに尾行を始める。
あー美穂子、匍匐前進は市街地では逆に目立つと思うのだけど……。

最寄り駅から新宿方面行きの電車で4駅。いつもはそこで乗り換えて私の部屋へ来るはず。果たしてイシケンは、降りるべき駅の一つ前の中野駅で下車し、私達も後へ続く。胸が痛くなってくる。信じているはずの気持ちが揺らぐ。

「原町、大丈夫?」
「無問題アルよ!!」

問題だらけだったが、カラ元気でも出さないと折れてしまいそうだ。
北口を降り、サンモールの喧騒を抜け、ブロードウェイの少し手前の路地に入る。イシケンが入っていったのは、今にも倒壊しそうなボロボロのビルの二階だった。狭く暗く、急な階段の入口には、”BLACK&BROWN”と書かれた看板。 お店のロゴの下には、【WED/FRI:SESSION DAY】 の文字。イシケンの帰りが遅い日も、水曜と金曜……。
店内から聞こえるベースとドラムの音が、バンドマンであった父を思い出させ、懐かしい喧騒の予感に、たまらず私は階段を早足に駆け上がる。ドアを開けると、埃と煙草の匂いと共に、「音」が溢れてきた。
ブラシがスネアを擦る粋なリズムに、うねるベース、そのグルーヴの上で、ピアノとギターが踊る。この世界を、私は知っている。大好きな父が居た世界。

「いらっしゃ〜い」

小柄なマスターの声に促され、私は店内に足を踏み入れる。いつの間にか追いついていた美穂子もそれに続く。お店の中ほどのテーブルに着くその間、私の視線はずっと、ステージの上のベーシストに注がれていた。
石田健太郎。
愛すべきクソッタレ。
私の大好きな人。
伝説のバンド「だうん・ほ〜む」のギタリストは、今はベースを吊るし、私の見たことのない顔で、店全体をグルーヴで満たしていた。
曲が終わる。拍手と指笛と歓声の中、私はステージに向かう。

「浮気現場発見」
「バレちゃいましたね」
「とぼけるのはやめてください。『よしみちゃん』ってだれですか!?」

思わず声を荒げると、サキソフォンを磨いていたオッサンが言う。

「マスター、この娘、知り合いかい?」

へっ? マスター?

「吉見さん、すみません、なんだかちょっと行き違いがあったみたいで……」

イシケンも、マスターに言う。
マスターの名前は吉見さん。 吉見……よしみ……よしみちゃん!?

「吉見ちゃんのLINEは若干女の子チックだよなぁ〜。ほら、お嬢さん、あなたが見たのはコレかい?」

サックスのオッサンが、自分のスマホのLINEのタイムラインを見せてくれる。 間違いない! よしみちゃん! ハートマークやら、かっわいいスタンプやらてんこ盛りの!! 紛らわしいというか、もうそんなんわかるかい!
マスターは、はにかんだ笑いを一つ向けると、高い声で名前を読み上げる。

「次、ギター、マスカワさ〜ん! ドラムはブンちゃんからコモリさんに変わってくださ〜い! ケンちゃん、どうする? 今日ベース少ないから、もう2曲くらいいけるよ?」

イシケンは

「はい、おねがいします」
と応える。
ステージ上の奏者が入れ替わる。演奏を終えたオッチャン達が席に戻り、それぞれのグラスをあおる。
ブルースセッション。ブルース好きが集い、即興のバンドを組み、お気に入りの曲をプレイする。ここは、そういう場所だった。
「吉見さん、飛び入り、いいかな?」
イシケンが私を抱き寄せ、マスターに言う。

「その娘? はじめまして〜♪ パートは何?」
「あ! え!? その……え! え!?」

パニクる私をよそに、イシケンが続ける。

「ハープです。彼女、『だうん・ほ〜む』の友川さんの娘さんなんです」

どよっ! と、店内にざわめきが広がる。
プロとはいえ、マイナーもいいとこだった父のバンドは、ここに集うような人びとの間では、特別な存在だったのだ。

「マジか……友川玲二の娘さんか!!」
「しかも友川さんと同じハープか……すげぇ! すげぇよ!」
「若い女の子のハーピストって、それだけで珍しいよなぁ♪」
「なんかオレ、涙でてきた……」

これは……明らかに期待されている空気感ッッ!! 総勢21名、平均年齢42歳といった雰囲気のオッチャン達の二十四……もとい、四十二の瞳に射抜かれ、私の脳内にイヌカレー空間が広がっていく。

「イシケン、無茶振りはできる人にしかしてはいけないのですよ?」
「美樹さんならいけます。僕の直伝ですから」

確かにイシケンの(鬼のような)特訓を受け、吹けるようになった曲は何曲かはある。 けれどもそれは、どこまでもお遊びの域を出ない。
オッチャン達が求めているであろう『友川玲二の娘』らしいプレイなんて、できる自信が全くない。それに……。

「あの、私、今、ハープもってませんよ」
「僕のベースのギグバッグのポケットに何本か。あそこの席にありますので、Aのキーのハープを取ってきてください」
マジか。
ていうかなんで持ってるの? あんたベーシストでしょうに! あうあうしていると、マスターが横から声をかけてきた。

「大丈夫! セッションなんて上手い下手じゃないんだから。楽しんじゃえばいいんだよ♪」

バチコーン! とウィンクをし、カウンターに帰っていくマスター。 えー……。

「キーはEで。フーチーでクーチ―なやつ、いいですかね?」

イシケンが曲とキーを決める。いやまぁ、多分吹ける……けど、この曲なの!? ギターを抱えたオッサンがツッコむ。
「ケンちゃん、えっろ! 若いコにそんなエロい曲演らせちゃダメっしょ〜」
「いや、大丈夫です、そんなに若くないし」

何をぅ!? と、振り返ったイシケンは、軽口とは裏腹の真面目な表情だった。

「それにこのコ。美樹さんは、僕の彼女なので……大丈夫です」

どよぉ! と、オッチャン達のボルテージが、再度上る。

「彼女! 彼女って言った!? 付き合ってるの? ケンちゃん、このコと付き合ってるのぉぉぉ!?」
「遂にあの朴念仁のケンちゃんに彼女が……よしみちゃん! ボトル入れてくれぃ!」
「マジ! マジなんケンちゃん! イヤッホー♪」

キャッキャウフフするオッチャン達に苦笑いしながら、イシケンはかぶっていたキャスケットを脱ぎ、私に目深にかぶらせると、耳元に囁いた。

「隠してて、ごめんなさい。どうしても我慢ができなかったのです」
「別に構わなかったのに」
「すこし、恥ずかしかったのです」
「てっきり浮気かと思いました」
「僕はモテませんよ。壊滅的なまでに」
「信じません」
「ホントですって」
「信じません」

ヒソヒソと話していると、二人の会話をドラムロールが遮る。

「おーい、そろそろいいかい?」

と、苦笑いのマスター。

「イシケン、ヴォーカルは誰がやるのですか? 私は、ちょっと……」

Muddy Watersの代表曲。自分がいかに絶倫でモテるかといった内容その歌は、やはり男でないとしっくりこない。

「ヴォーカルは僕が。美樹さんはハープに専念してください」
「わかりました」
 アイコンタクトしたまま、イシケンのベースが口火を切る。
1.2.3……今!
最初の一音の後は、無我夢中だった。
黒猫の骨も。
魔法の歯も。
いかがわしい植物の根っこも。
そんなものなくても、私とイシケンは絡み合い、一つになれたような気がした。

翌朝。土曜日。二勤一休のイシケンは、久しぶりの土曜日のお休み。カレンダー通りのお休みの私と休日が重なるのは、割と貴重なのだ。
イシケンは、また新しいコーヒー用品を持ち込んできた。

「イシケン、そろそろ私の部屋があなたの持ち込んだコーヒー用品で飽和しそうです」
「大丈夫。これで最後です」

イシケンが持ち込んだのは、Bodumのフレンチプレスだ。 細挽きにした豆を入れ、ポットからお湯を淹れてバースプーンで少しかき混ぜ、すぐに蓋を被せてあとはそのまま。

「フレンチプレスは、淹れるのが一番ラクかもしれません。器具を洗う時以外は

ガラスのシリンダー内をじっと見つめながら、イシケンが言った。
キッチリ4分後、イシケンのスマホのタイマーが鳴った。ゆっくりフィルタを押し下げ、カップに注ぐ。
フレンチプレスのコーヒーは濁っていて、表面にオイルが浮いている。
ペーパードリップのように澄んではいないけれど、豆の油脂分のアロマも、豆自体の持つ味わいも、すべて楽しむことができる。そのかわり、豆の雑味やえぐみのような悪い部分も出やすい。
すぅ、と、カップから立ち上る湯気を鼻腔に吸い込む。
香りが強い。普段は「香ばしい」と感じる深めに焙煎した豆の香りが、少し焦げた香りに感じる。
ストレートで一口。苦味と、少しの渋み。少しザラリとした舌触りと、鼻から抜ける甘い香り。
いつもの豆が、全く違う表情を見せる。良いところも悪いところも、すべてをさらけ出して。

「イシケン?」
「はい」「私のこと、好きですか?」
「はい、とても」
「私は、不安なのです」
「……すみませんでした」
「もっと知りたいのです、あなたのこと。何が好きで、何が嫌いなのか。どんな風に生きてきて、どんな風に生きていきたいのか。良いところも、悪いところもすべて。イシケン? 私は欲張りなのでしょうか?」
「そんなことはないと思いますよ。僕も美樹さんを、もっと知りたいです」

……これが、私達に起きた最初のトラブルの顛末だ。
後日、すっかり呆れて帰ってしまっていた美穂子に事の次第をLINE通話で報告したところ、

「リア充は爆発すればいいと思うよ」

という一言で切られてしまった。 少しだけ沈痛な気持ちでいると、トークのタイムラインにメッセが立て続けに届いた。

『いい男じゃないか……ウホッ!』
『アレなら認めざるを得ない』
『いずれ正式に紹介せよ。貴様の黒歴史を余すことなく暴露してやる』
『ぐぁっ! しかしそれは私の黒歴史も同時に暴かれることを意味するではないか!!』
『……仕方ないので自重してやる』
『お……おめでとうなんて、思ってないんだからねっっ!』
『罪悪感とか感じるなよ! バーカバーカ!』

ツンデレかよ。 美穂子らしいひねくれた気の使い方に安心する。
なんだかなぁ、と苦笑しながら、私はイシケンに、次の土曜日のお休みの予定を空けておいてほしいと、LINEを打つのだった。

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!