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ひとりごと

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気の向くままに。毎日の学びをつらつらとメモ。
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「おわり」との向き合い方

春が、嫌いだった。人との別れ、馴染んだ場所を離れること、あたらしい生活、そのすべてがわたしにとって耐え難かった。 2021年の春も例外ではなく、これから新しい生活がはじまることにワクワクしながらも、今の日常がなくなることに寂しさが募っている。明日の夜、3年ほど住んだ東京を離れ、地元の福島に戻ることになったのだ。(正確には、福島と東京の二拠点生活をする予定なのだけれど。) 理由はたくさんあるけれど、一番は大学以来ずっと離れて住んでいた家族との時間を増やしたいと思ったこと、だ

「自分の心が動く瞬間」を見たくて、生きている

「誰かの人生を、ちょっとでも前向きにできたらな。そんな仕事がしたいな」 わたしは、いつだって嬉しかった。誰かが笑うこと、誰かが嬉しくて涙を流すこと、目の前の人が喜ぶこと、目の前の人の心が揺れ動くこと。 * そうわたしにおもわせた、原体験がある。大学2年生の夏に行った、沖縄・古宇利島でのボランティアだ。福島の田舎からでてきたわたしは、あの小さな南の島での、日本中から、世界中からきた人々との出会いに衝撃を受けた。 「まだまだ自分の知らないことが、世界には溢れている」 あ

変わったこと、変わらないこと

この前、ベトナム時代の上司から急にLINE電話がかかってきた。天真爛漫という言葉がぴったりの、明るくて面白くて素直で、話すとたちまち元気になる、大好きな人。もうすぐ、二人目の子どもが生まれるらしい。こんな状況じゃなかったら、一目散に会いにいっていたのに。はやく、会いにいきたいな。 このところ東京は、外に出ると人の数が前と比べて圧倒的に多い。日常が、戻りつつあるのかもしれない、と思う。2月の末からずっと家にいて、自分の内へと向き合う時間が増えて、変わったこと、変わらないこと、

「器用にテンプレートをつくる自分」からの脱却

日本で今の仕事をする前、あれはベトナムにいたときだ。「社交的で人と完璧に接するあなたの“ほんとう”がわからない」と、言われたことがある。大学を卒業して、はじめて社会に出て、1年ほどたった頃、だ。 大学時代からわたしは、「誰かのために働きたい」「誰かを幸せにしたい」と、事あるごとに口にしてはホスピタリティについての本を読み漁り、「ホスピタリティといえば」の、結婚式場や塚田農場でバイトしたり、客室乗務員に憧れてインターンのために毎朝5時に起きて(それも寒い冬の2月に)羽田空港ま

文章は、生きている

文章は、生きている。そうおもうときがある。 朝起きて、スマホをチェックする。noteの記事に、大量のいいねが付いていた。おなじ人が、わたしのnoteの記事を遡って読んでくれたようだ。最後の通知は、コメントだった。 「とみえりさんの文章が好きです。」 知らない誰かが、夜中にわたしの文章を読んで、なにかを感じてくれて、それを言葉にして届けてくれたのだ。 わたしが眠っているときにも、わたしの文章は起きていて、誰かと対話してくれていたのだ。 それは、たとえわたしが落ち込んで

「人生の最高の出来事は、人と出会い深く知り合うことだ」

自分が自分じゃなくても、無条件に受け入れてくれる居場所というのは、なんとも尊いものだ。仕事ができたとかできてないとか、優秀だとか優秀でないとか(そもそも"優秀"ってなんだ)、そんなことを一切抜きにして自分が自分でいられる場所。 休日に、渋谷を歩いていた私は、たまたま見つけたカフェに入った。その店は人気店だったのか少し混んでいて、数人並んでいたので「帰ろう」、とおもった。(わたしは、よっぽどのことがない限り並ばない。) 「ごめんね、ちょっとだけ、待てる?」と、数秒前に初めて

私はなぜ、文章を書くのか

「はい、コレ」 ある朝、隣に座る上司に本を渡された。それが田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」だった。年間1,000冊の本を読むというその上司は、私が尊敬する上司だ。ロジカルシンキングが皆無な私の悩みに、いつも超ロジカルで、的確な答えをくれる。 ちなみに「本当の自分がわからなくなるときがある」と、私が漏らした悩みに、貸してくれた本はこれだった。 大人は、さまざまな役割を演じ分けながら生きている。夫/妻という役割、父親/母親という役割、会社員という役割、親と同居

ベトナムから学ぶ「幸せ」を、日本でおもう

ベトナムのホーチミンで、久しぶりにハノイ時代に一緒に働いていたハーさんと、朝のコーヒーの時間を共にした。近況を聞くと、最近会社を辞めて、転職活動中だと言う。ハーさんは前の会社に7年も勤め、明るくとても優秀で、誰からも愛されていた。 そんなハーさんが会社を辞めたと言うのだから驚いて理由を尋ねると「忙しくなりすぎて土日も仕事をしなければならず、体調を崩してしまった。前の会社は大好きだけど、もう続けられないと思った」と、話す。 そんなハーさんはいま、2か月ほど休養中とのこと。イ

言葉には賞味期限があるという話

Twitterやnoteの下書きにいちど眠った言葉や文章は、ふたたび電子レンジであたためても、どうやったってもう美味しくはならない。そんなふうに、もう美味しく食べられなくなってしまった文章は、わたしの中にたくさん、たくさんある。 だからこそ忘れてしまわぬように、感動したり切なくなったり楽しいと思うことは文章に書いて残したいと思うし、誰かに伝えたいことがあれば、すぐにでもメッセージを飛ばしたり、時には長文の手紙を書いて渡したりもする。 文章を書くとき、私は想いのすべてを書く

東京の街の“寂しさ”が、東京を愛するわたしをつくった

「東京にいる君は、なんだか大人になったね」。久しぶりに会ったその人は、わたしにそう言った。 もしかしたら“大人になってしまったね”と、訳するほうが正しいのかもしれないな。 その人とは、わたしがまだ社会人になる前に浅草のゲストハウスで出会った。まだまだ社会のことも何も知らずにヘラヘラしているわたしに「君はいつも幸せそうだからずっとそのままでいてね」と、笑顔で言ってくれた人だ。ベトナムに住んでいたとき、隣のタイに住む彼は、わたしのことをいつも楽しさの渦に巻き込んでくれた。そし

2019年「省エネモード」は解除したままで【ベトナム・ホーチミン】

人生で、出会える人の数はもうすでに決まっているのではないかと思うときがある。 わたしは人が好きだ。「ひとりでは生きてはいけない」と心の底からの好奇心とともに本気でそう考える。かと思えば、誰とも会いたくなくて、「ひとりが一番だ」なんてノートを広げてひたすら自分の頭の中を整理する根暗な自分もいる。 好奇心旺盛で「ひたすら人に会いたい期」が半年続くとしたら、その後半年くらいは「人に出会うのを控えたい期」が訪れる。うまく調節はできないものかとも思うけれど、調節して100パーセント

「なりたい自分があって、それを演じようとすることは、自分を偽ることになるの?」

「心が満たされないとき、どうしたらいいの?」女の子が言いました。誰かがこう答えました。「自分自身でなにかを、つくりだすといいよ」。 「好奇心がなくなってしまったのだけれど、どうしたらいい?」 「やりたいことがなくなってしまったのだけれど、どうしたらいい?」 女の子が、続けて聞きました。誰かが、うむ、と考えて、口を開きました。 「昔、君が好奇心にあふれていたとき。人への興味がつきなかったとき。そのときなにをもっていて、なにをもっていなかったかを、思い出してごらん」。

わたしは好きな人の100を知らない

「君はかなり外向的な人間で、僕はかなり内向的な人間だ」。今は海の向こうにいるその人がわたしに、そう言った。 「内向的な人間はただ、自分の信念に向かい、ただ自分を知り、目標を達成することだけに時間をつかうんだよ。」 そう自信満々に言う内向的な彼に、「外向的」と言われる自分がただ、空っぽだと言われているような気がした。 わたしがベトナムに住んでいた頃その人は、ひとりで本を読むのが好きだと言うわたしに、(だからわたしは自分を外向的だとはあまり思わない)会うたびに本のプレゼント

ベトナムから日本に帰ってきて、思うこと①

「自分が今、ベトナムに住んでいることを思い出して、将来の自分は何を想うのだろう」と、ハノイのカフェで西湖をぼんやりと見ながらよく考えていた。 それは何年後になるのか、あのときの自分は知り得なかったし、予想もできなかった。けれどわたしは今こうして小さな決断の延長線上で、東京で働いている。 わたしが東京でほどよく混み合った通勤電車に乗っている間も、ベトナムのある人はGrabバイクで通勤しているし、わたしがOLをしている間も、ベトナムのある人はカフェをのらりくらりと経営していて