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「安心して表現できるということ」

明けましておめでとうございます。本年も皆様にとって楽しい劇場体験をして頂けるよう努力して参ります。どうぞ宜しくお願い致します。

12月28日~31日まで、妻の実家・島根県益田市に行っておりました。

2ヶ月の娘を連れてはじめての長旅ということもあり、まだ3時間ごとの授乳をしなくてはならない状況だったので正直不安でしたがそれも杞憂でした。

今回の市川~羽田空港までの電車内、羽田~島根県益田までの合計5時間程度の移動の行き帰りも特にグズることなく、ずっと眠りについていました。

もともと僕は大学の専行は社会学・心理学・教育・福祉を取っていたので、娘への接し方は、基本的に対等であるという前提のもと“幼少期はまだ何もわからない”という発想ではなく“感情は大人と変わらずに持っているがアウトプットが上手く出来ていないだけ”という心理学者のアドラー的思考に重きを置いて接してきました。脳が経験パターンを測る段階なので、0歳~3歳までの間の記憶はほとんど忘れてしまいますが、ここで大切なことは思考パターンを形成し、人生の判断材料の一部になっているということです。

人が自分の行動でどう動くのか分析し、出来る限りのあらゆる表現を駆使して、どうなると喜んでもらえるのか、逆に何をすると相手を困らせることなのかと繰り返してパターン化することで学んでる状態です。
ネガティブな出来事は記憶に残りやすいので、マズローの五大欲求のピラミッドバランスを形勢されているのは正にこの時期なのではないでしょうか。
(マズローの五大欲求 https://jibun-compass.com/maslow)

何度も娘と外出してみましたが、外でグズッて大変だった事がありません。安心できる場所が確保出来た時に、ようやく泣き叫び始めるのです。それはもう火山の噴火のように、あるいは獣の雄叫びのように・・・笑

ここまででようやく本題である「安心して表現できるということ」という事に繋がってきます。僕が出会った深い傷を持った人たちがこぞって言うのは「安心して喋れる場所が欲しい」が必要ということ。それは安心して発信できていなかった幼い記憶から発生していて、それを上手く上書き出来ず大人になったということが大きな理由の一因ではないかと思いました。

妻の実家では、娘がお義父さんお義母さんを喜ばせる表現は何か考えながら様々な表情と声を発するというパフォーマンスを目の当たりにしました。

計3日間、お義父さんの家とおばあちゃんの家に滞在させてもらいましたが、親戚の方が抱っこすればそれに応じて笑顔を見せたり、言葉を発したりして喜ばせている様子を見て誇らしい気持ちになったものです。そろそろ寝かしつけようと布団に入る段階で、ようやく泣き始めるのです。まるで今まで空気を読んで頑張ってきたんだと言わんばかりに。そんな娘の姿を見て僕は自分らしくいれる環境、安心できる居場所の有難さを痛感したのです。

大人だって泣き叫びたい時も、ハグしてもらいたい時も、ただ我儘に笑ってほしい時も、痛みから傷付けたい時も、きっとある。それは決して悪い事じゃない。家族によって傷付いた心は塗り替えられること、または生まれ変われるという事を僕自身証明していきたい。そして等身大の自分らしくなれる場所、人と出会えるよう素敵な日々を過ごしてもらえればいいと思う。

元旦を迎えて、娘が産まれてから3ヵ月が経ちました。子育てのリズムに慣れてきた部分、成長するにつれ驚きや発見が沢山見つけられる愛しい日々。ただ泣ける、ただ笑える、ただ過ごすという事への命の尊さを感じます。

産まれてきてありがとうね、ダメなお父さんだけど君を笑わせて生きたい。

(画像は娘の服の中から出てきた島根の葉っぱだよ)

2019年1月1日 和田浩章

#子育て #ネグレスト #家族 #グリーフ

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