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つらかった海外転職の話

2023年12月に現地採用の仕事を得て台湾に移住しました。1ヶ月の有休消化期間を終えて2日後から初出勤です。私の約半年(広義では3年)に及ぶ海外転職の記録です。


「いつか海外で生活したい」

海外移住を考えるようになったきっかけは、高校2年生の夏休みに3週間アメリカへ語学留学させてもらったことでした。地元すら出たことのない17歳の私に世界の広さは眩しく、人生観は180度変わりました。
たった3週間でこれだけ変わるなら、もし海外で長く生活すれば人生や価値観はどれだけ大きく変わるのだろう
憧れにも夢にも満たない淡い好奇心は、気づけば「いつか海外で働きたい」という人生かけて成し遂げたい目標になっていました。その国に根を張って生活するためには、まず現地で安定した仕事を見つけなければ。そのためにはちゃんとした仕事ができるようなスキルを身につけなければ。そうして少しずつ準備を始めていきました。
大学を卒業する頃にはなんとなく「私は中国語圏で転職した方が良さそうだな」という感覚がありました。理由は2つあって、そもそも私は英語がそれほど得意ではなく、かつ世界中には英語を上手に話せる人は無数に存在します。そこで戦って勝てる未来が見えなかった。そして在学中に中国に1年交換留学をして、それほど強い違和感を感じなかったこと。英語を話すより中国語を話す方が、欧米の留学生よりアジアの留学生の方が、自分の文化に近いからか自然体に近い状態で話せている感覚がありました。旅行ではなく生活をするなら、なるべく息がしやすい場所がいい。
各言語話者の市場における優位性と、文化背景による生活のしやすさから、中国語による転職を意識し始めました。

「失敗」した最初の転職

新卒で入社した会社では様々なチャンスを与えてもらい、貴重な経験もさせてもらいました。移住の夢も後回しにするくらい、シンプルに仕事をするのが楽しかったし、今振り返っても私には勿体無い環境だったと思います。けれど3年目に入って仕事に慣れた頃に、少しだけ飽きてしまった。そして会社が新たに求めたミッションと私のやりたいことの方向性があわなかった。海外事業部もあったけれど年々規模が縮小していて私の携わりたいプロジェクトはなくなっていた。
「このまま進んでいいんだっけ?いつか海外いきたいんじゃなかったっけ?ここにいてそれが叶うんだっけ?」そう思って海外転職を始めました。
しかし時代は奇しくも2020年、コロナ禍真っ只中。どの国も国境を閉じ都市のロックダウンも行われており、外国人の新規採用どころではなかった。まして当時新卒3年目のスキルも実績もない語学も微妙なぺーぺーに、わざわざビザを発行して雇ってくれる会社はありませんでした。

結局都内にある中華系の企業に転職。いずれ海外転職するために少しでも中国語で業務する経験が積めれば・・・と入社しました。ただ実態はほとんど日系と変わらず、経営者含めて日本人ばかりの環境。それでも外資が入っている分、在職中はニュージーランドと台湾に出張に行かせてもらったり、中国語の会議したり(死ぬほど緊張した)、本社提出資料の翻訳をしたりと、最初の会社よりは海外に触れる機会も増えました。

けれどこの転職を振り返り「成功」か「失敗」かラベルをつけるとすると、私は「失敗」だったと思っています。もちろん貴重な経験もさせてもらいました。今後のキャリアの礎になる大切なことを学ばせてもらったり、「仲間」や「戦友」とも呼べる素晴らしい同僚たちとも出会えました。在職した2年間で中国語もぐっと伸びました。量は多くなくても仕事で中国語を使った経験は自信になった。そもそも外国語での業務経験を得る際に、このゼロイチを生む環境が大きな難関だから。
無駄ではなかった。そもそもコロナ禍に中華圏に関わる仕事への転職なんて選べる選択肢も多くなかった。それでも「失敗」だったと思うのは、しなくていい嫌な経験が多すぎた。パワハラやセクハラ、感情的な処遇、利己的な人たち。中心となって進めて一定の成果もあげた大きなプロジェクトから、社長との本当に些細な意見の相違から気に入らないからと干される。プロジェクトから外すという話し合いすらなく、ある日突然全ての情報が入らなくなりました。
企業としての成長戦略もなく、全てが場当たり的に進み、毎回誰かが責任者という名の生贄となり振り回された挙句、いつか応えきれなくなった瞬間に精神潰れて退職する・・・これが何度も繰り返される。私もその大きなスパイラルの中のひとりだったのでしょう。
経営者の理不尽だけでなく直属の先輩上司という一番近いところにいる人たちが等しくトキシックで激しく精神が消耗していたのも理由でした。別に経営者がクソでも普段一緒に仕事する人たちがいい人なら、それなりにやっていけるものだと思います。でもある時仕事中の自分が気づかないうちに彼らと同じように歪み始めている、シンプルにいえば、性格が悪くなったことに気づいて、怖くなりました。このままここにいてはいけない。

そもそも海外との仕事といっても、本質的な「ビジネス」ではなく、場当たり的で単発の「作業」ばかりだったことも大きかった。ほとんどの仕事が「プロジェクト」の体すら成していなかった。たとえ人間関係が劣悪でも、仕事を通じた成長が見込めるのであれば続ける選択もあったかもしれないけれど、業務も人間関係も成長につながらないどころか、時間や精神、人格すら軽視され消耗させるだけであれば、早く離れた方が良い。23年5月ごろから少しずつ転職活動を再開させました。

遅々として進まない転職活動

前回の転職で少しだけ海外転職もしたので、勝手はなんとなくわかっていました。海外エージェントに登録し、面談で自分の希望を伝え、それに基づいた仕事を紹介してもらう。気に入ったら書類選考に進む。けれど最初の4ヶ月くらいは遅々として進みませんでした。理由はすべて私の問題で、そもそも希望する職種の募集数が限られていたことと、今思えば転職の覚悟ができていなかったこと。

理系職や技術職のようなポータブルスキルがある場合を別として、語学のできない(その言葉でのビジネス経験のない)外国人が応募できる職種はそれほど多くありません。大抵はその国で働くことを優先して下積み的にある程度妥協した職に就くことになります。けれども私はどうしてもそれはしたくなかった。コロナですでに2年の回り道をしてしまっていて、キャリアもそろそろ6年目。本来なら面白い仕事ができるようになっておかしくない時期。これ以上の回り道をしている時間はどうしてもなかった。それは許せなかった。なんなら2社目がその下積みと言えるのではないか、これ以上の下積みになんの意味があるのか。
海外に行くこと、キャリアを積み上げること、どちらかを選んだほうがいいといろんな人に言われた。けれどどうしてもそれだけは受け入れられなかった。
同じような理由で日本の企業の海外事業部や駐在員を狙うポストも応募しませんでした。とにかくすぐに海外に行きたい。時間がないと思っていて、早く仕事を決めたい、人生が止まってしまっているような焦燥感に駆られていました

けれども、焦る気持ちとは裏腹に覚悟は全く決まっていなかった。結局企業へ書類を出し始めたのは9月頃、転職活動を始めてエージェントに登録してから4ヶ月後のことでした。
書類を出してしまえば、順調にいけば1ヶ月以内には内定がでて、その1−2ヶ月後には新しい会社で仕事が始まっている。始まってしまう。正直ぴんとこなかったし、心のどこかでそれが怖かった。そして本当に内定をもらえる自信もなくて不採用になるのも怖かった。ただでさえ少ない応募したい企業。不合格になれば手持ちのリストがどんどんなくなってしまう。もし1件も応募できる企業がなくなったら…?そんな不安もあった。
不思議なもので求人票を見ていても、なんとなく内定圏内と思う仕事は魅力的に映らなくて、逆に興味を惹かれる求人に心ときめいても、次の瞬間には「どうせ私なんか無理だ」という声に我に帰る。ずっとそれの繰り返しでした。

企業に応募を始めるようになったきっかけは本当に些細なことで、職場の先輩の八つ当たり。別にいつものことで、いつも通り不快になって、いつも通り自分のメンタルを安定させるために深呼吸して、そのとき「いつまでこんなこと続けるんだろう」「早くここから逃げ出さないといけない」と思ってしまった。多分ギリギリまで水の溜まったコップから、最後の1滴で水が溢れ出すような、そんな状態だったのだと思う。
今振り返れば、結局最後まで覚悟なんてできていなくて、ただ今の環境から抜け出したい気持ちが原動力だったように思います。それでも、理由がなんであれハラスメントという動力で私を台湾まで連れてきてくれた職場の人たちには感謝しないといけませんね。(皮肉)

転機となるエージェントとの出会い

一般的に転職は「企業との縁」と言いますが、私にとって海外転職は「エージェントの担当者との縁」でした。結局面談したエージェントは20近くになりました。中国大陸、台湾、シンガポールで探していて、同じグループでも各国で都度登録が必要だったりしたためというのもありますが、なかなか希望する仕事を紹介してもらえず(募集数が少ないので)手当たり次第にいろんな会社に登録しました。
9月くらいになると中国語の語学チェックも全く怖くなくなり、自分の希望をどんな言葉で伝えたら良いのかもなんとなく掴めてきました。この頃になると数社良い求人や、現在募集していない企業に逆紹介してくれるエージェントに出会えるようになりました。流れ作業のように求人を紹介され音信不通になる最悪のエージェントもいた中で、私は私で、私自身のスキルも経歴も全然変わらないのに、エージェントに自分の経歴をどうアピールするかで転職活動がこんなに変わるのかというのを身を持って体験しました。

結局内定をいただいた会社を紹介してくれたエージェントは104経由で出会った日系の台湾エージェントでした。大手ですが中国での対応があまりよくなく、台湾ではそもそも登録すらしていなかったのですが、あまりによい求人に出会えなかったので、ものはためしと中国語での登録が面倒で後回しにしていた104に登録したところ繋がることができました。

エージェント面談で担当者とウマがあったのか「ぜひ台湾で働いてほしい!」と熱い想いを頂き、良い求人を探してもらいました。中でも当時求人だしていなかった、新卒時代第一志望だった企業に私を逆紹介していただき、本当にほんとうに嬉しかったです。(ここ以外にも募集していない企業への逆紹介してくださったエージェントが2社ほどありました。やはりエージェント面談は転職の行方を左右するくらい大切です)
内定をいただいた会社は、そもそも業界の志望度が低かったのとかなりハイレベルな求人票の内容だったので「一応書類だしてみるか、どうせダメなら縁がないってことだよね」と軽い気持ちで応募しましたが、「ほんとに内定だしちゃっていいんですか??」私から聞いてしまうくらいとんとん拍子で内定がでました。日本本社だといくつも選考ステップがあるはずなのですが、現地採用だと選考フローも異なるのかもしれません。決まる時はすぐ決まるものだなあと思いました。
理想100%の仕事ではないし、未経験のキャリアチェンジ転職になる、中国語公用語で日本人1人しかいない環境・・・と私にやっていけるのか、今正直とてつもなく不安です。でも、ここでしっかり働けば自分のキャリアに間違いなくプラスになるいい会社であり、あまり多くない選択肢の中では申し分のないオファーだというのはわかっていたので内定承諾を決めました

手当たり次第応募するのでなく働きたいと思える求人を厳選して応募するスタイルだったので、応募した企業自体は10社もありません。そのうちほとんどが書類落ち、面接に進んだのは内定いただいた会社含めて2社だけでした。
書類落ちしたのはシンガポールが軒並みビザ要件が厳しかったため、1社が5年で3社目という転職回数を倦厭されて、そのほか別の人に採用が決まった、返事なし、などなどでした。
実際転職進めてみると、書類に落ちても納得できる理由がほとんどだったので、それほど傷つくことはありませんでした。流石に転職回数で落とされた時は、第一志望に近い求人だったこともあり、エージェントにちゃんと転職の中身説明した?と聞きたくなりましたが。

中国、台湾、シンガポールという希望の中で、シンガポールは月給60万以上ないとビザが降りないことが分かり、早々に候補から外れました。中国と台湾で希望は特になかったものの、給与水準やマーケットの規模が大きく比較的求人数のあった中国に転職するんだろうなとなんとなく思っていたので、この新しい業界で、しかも台湾で働くことになるとは内定もらうまで想像すらしませんでした。縁とはとても面白いものですし、こうして私の可能性を信じてチャンスをくださり、ここまで引き上げてくださったエージェントの担当者には感謝してもしきれません。
エージェントには企業と求職者の担当を分ける会社(180度型)と1人の担当者が両方みる企業(360度型)がありますが私は360度型のエージェントをお勧めします。後者のエージェントの方が対応が良かったですし、紹介してくれる企業のマッチング度合いも個人的にはよかったです。求人が絞られるのがネックですが、海外転職はそもそも市場が小さいので360度型でも可能性がものすごく閉ざされることはないように感じました。前者はおそらく求人データベースから条件やキーワードで検索してヒットしたものを紹介されているな、という感覚でちょっとピントがずれている求人紹介が多かった気がしました。

つらかった海外転職

最終的にはいいエージェントとの出会いにより納得できる内定を頂くことができました。それでもこの半年間はとてもつらい時期でした。
会社に行ってもそもそも仕事を干されているのでやることがあまりありません。先輩からは八つ当たりされたり蔑ろに扱われたり、社長からは無視されたりして、自己肯定感が地に堕ちます。かろうじて仲良くしてくれている別チームの人たちとの仕事と、それでも必要だからといくつかの企画を立ち上げ社長に直談判し予算を勝ち取り(あのときはとても怖かったけど、我ながらよく乗り切ったと思う)その仕事を細々とやっていました。他の人が忙しそうにしているなかひとり暇なのも申し訳なかったし、暇だから思考がどんどん悪いほうへぐるぐるしてしまうのもつらかった。

仕事がつらかったのでプライベートの充実に力を入れて、それをこつこつこなすことでなんとか自己肯定感を保っていました。幸いにも暇で時間はたくさんあったので、仕事に関係する大学講座に通ったり、パーソナルジムに通ったり、中国語の勉強に打ち込んだり、タイに旅行に行ったりして、最終的にそれぞれ一定の成果をあげることもできたので結果オーライですね。というか、結果オーライにまで持ち込まないと私が私を許せなかった。

そんな状態でいつ内定がもらえるかもわからない、そもそも夏頃まではどこに向かうべきかも何がしたい、何ができて何がすべきなのかも全くわからない。海外でこういう仕事をしたいとうなんとなくの方針が決まった後も、求人の数が少なすぎてどうしたらそこに至れるのかもわからない。
職場にはほんとうは1秒たりともいたくない、早くここから抜け出したい、辞めたい。毎朝「今日は何事もなく平穏に1日が終わりますように」と祈りながら会社に向かっていた。そんな状態で先の見えない半年間はとてもとてもつらかった。

だからその分迷走や失敗もしました。何か少しでもヒントがつかめればと、藁にもすがる思いでNewsPicksの海外転職特集の番組にも出演して、ローランドとパソコン越しに夢の共演も果たしました(笑)
当時はキャリアも海外も妥協したくなくて悩んでいたけれど「両方追うのは難しいからまず日本でキャリアを重ねること」というアドバイスに対して、反射的に「いやだ、海外に行きたい」と強く思った自分がいた。 真摯に考えてくださったアドバイスに申し訳ない気持ちはあったけど、だからこそ結果的にキャリアは多少妥協してでも海外転職を優先したいという自分の想いを認識することができた有意義な時間だったし、最終的には業界を大きく変えるという今の選択への納得感に繋がっている(動画は45分くらいから)

失敗したのは海外転職支援コミュニティ。高い入会費を支払ったけれど、私にとってはあまりその価値を感じられませんでした。エージェントではない利害関係のない専門家からの意見も欲しかったし、進みたい道が明確かつ特殊だったので、多くの海外転職を見ている人なら、どうすべきかのアドバイスもらえるのではないかと思ったけれど、彼らの得意分野と私の求める分野にずれがあった。こういう人対人のサービスは、相性や得意分野のマッチングが大切なのでできれば、合わないと思ったらやめられる月額課金制のサービスのほうが良いなと学んだ高い勉強代でした。悪徳サービスだとは思っていません、ただ私には合わなかった。こういうサービスはネガティブな口コミは出回らないので、もし入会検討していて悩む人がいたらDMいただければ、私の体験談と合わないと思った理由、おすすめする人しない人をお話しします。

「いつか」が「いま」になった今この時に。

転職はあくまでスタートであり、これからが本番です。ただ、未経験業界なのでこれから何が起こるのかさっぱりわかりません。わからないことを悩んでも仕方ないので目標とかやりたいことは全く考えていないのですが、一生懸命はたらいてこれまで停滞してしまっていたキャリアを少しずつ前に進めていきたいと考えています。
「いつか海外で働きたい」。その「いつか」が「いま」になったときに、人生かけて成し遂げたい夢のスタートラインに立ったときに、未来は驚くほどまっさらです。なにも見えません、なにも分かりません、ただ無限の白です。進んでいけば少しずつ周りの風景が見えてくるのでしょう。

海外転職を通じて学んだのは、人生そう理想通りの選択肢を選べることなんてないこと。コロナで人生がストップしてしまった2年間。「失敗」した最初の転職。応募したいと思える求人があまりにもなかった海外転職。タイミングや縁という外的要因で私たちの人生は簡単に左右されてしまう。きっと、自分でコントロールできる部分なんてたかが知れていて、コントロールできない部分すら味方につけるくらいの気概で世間の波に飛び込んで初めて人生は楽しくなるのかも知れない
だからこそ、周りにいる人やつらい時期を支えてくれた人、私を信じてチャンスを与え、ここまで引き上げてくれた人たちに精一杯感謝したい。私もそういう大人になりたい。
2023年止まっていた人生がようやく進みだし、いくつかの人生の目標にくぎりがついたので、とりあえず2024年は大成功や目標達成は望まず、目の前のことをこつこつやりながら置かれた環境で100%の実力を発揮できるようになること、次の人生のステップに向けて、空っぽの自分に新しい何かをどんどん注ぎ込んで吸収していく年にします。

2024年の目標:健やかな心身でいっしょうけんめいはたらく。

それではみなさま良いお年を。

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