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見えないところを見る

コロ日4 22日目
2024年1月30日(火)

もう1月が終わる。お風呂で浴槽に浸かりながらRadioheadのcreepを聴く夜。疲れた夜にこういう曲が沁みる。アイマーウィアードォーオオーなどと口ずさむ声が浴室にこだまする。ふと自分を省みる。

 そういえば、私は自分のことを頭が良いとは一度も思ったことがないなと思う。周りからはなんだか頭が良さそうに見えるみたいで、そういう評価を下されることもまあまあある。でも本当に自分ではそう思ったことはなくて、まじで私って運がいいんだな、としか思ったことがない。あとたぶん、めちゃくちゃ「フリ」が上手いだけ。

 せっかくなので、もうちょっと解像度を上げてみようと思う。

運が良いこと

 確かに客観的にみても主観的にみても、たぶんそれなりに順風満帆な人生を送ってきていて、それなりに名の知れた大学を出ているし、今もそこそこ楽しく仕事ができているとは思う。けれど、それは別に私の頭が良かったからとかそういうことではなく、純粋にツイているだけだ。そう、私は全体的になんだかツイてる。ゆっくりではあるけれど、なんとなくうまく歯車が噛み合って人生が進んでいるような気がする。

 そもそも人生って、色々な要素が重なり合って紡ぎ出されるものだと思うけれど、私の場合、その色々な要素が上手い具合に絡まり合って成り立っている感じである。家庭環境という点と、そこから生み出された私の性格、そこから派生した人間関係、学校生活、受験、留学、就活、社会生活といった点がそこそこいい感じに繋がりあって私という線が出来上がっている。もちろん、うまく行かずに線にならなかったこともたくさんある。小学校時代とか受験とか就活とか就活とか就活とか。

 でも何だかんだ、この運の良さを作り上げているのは家庭環境に起因しているような気もする。自分で言うのも何だが、私は最高の母の元に生まれてきたと思う。これは全く覚えてないけれど、2歳の自分の発言曰くお空から自分で母親を選んだらしいので、我ながら人生史上最高の選択だったかもと思っている。ナイス、生まれる前の私。

 確かに、ウチは離婚してるし一人っ子で寂しい幼少期を送っていたし一家離散してたし決して側から見れば良い家庭環境とは言えなかったけれど、なんだかんだでこうして廃れず成長出来たのは紛れもなく母パワーのおかげだと思っている。人間社会に馴染めてない感じのちょっと変わった母ではあるけれど、色んな目に見えない大切なことを教えてくれる。直接感謝はあんまり伝えられてはいないけれど、実は本当に感謝している。ありがとうマッマ。いつかいなくなってしまう前に、きちんと感謝は伝えないとですね。

 こんな自慢みたいなこと書いて何になるねん、と言う感じですが、やはり家庭環境、育つ環境というのはその後の人生や考え方に大きく影響するものなので本当に大切だな…とこの歳になりしみじみ。お金持ちか貧乏かという点よりも、どんなに貧乏でもお金持ちでも、どんな生き様の、どんな親の背中を見て育つか、どれだけ親の愛を感じられる環境で育つか、で人生観が大きく異なる気がする。数えきれないほどたくさんの苦労をしながらも、ほぼシングルマザーでここまで育ててくれた母にはいつか恩返しがしたいです、今のところ脛しか齧れていなくてごめんなさい。精進します。親ってホント、すごいよね。今の私には人を1人育てる自信なんて1ミリもないよ。

 あれ、何の話をしていたっけ。そうだ、運が良い話。まあ要するに何が言いたいかというと、私は別に頭がいいわけではなく、いろんな場面で器用に生きていくことをそれとなく強いられた家庭環境に起因する「うまく世渡りするスキル」により、なんとなく上手く全てをスムーズにこなしてきているように感じられるだけであって、それが結果的に「自分、ツイてるな」とポジティブに感じられるのだ、ということです。

 自分ってラッキー、と心底思ってると本当にそれが継続しているような気がするので、たとえ今全然ツイてなかったとしてもそう思い込むことで運を呼び寄せられる気がします。病は気から。

「フリ」が上手いこと

 それから、おそらく私はそれっぽく振る舞うのが上手い。ズルい私は、すぐ人のマネから入る。守破離って言うし間違いではないよね。全然出来ねぇ〜〜ということも上手い人を見てなんとなく要領を掴んでそこそこ程度に出来てる風に見せられる。もちろん、出来ないこともたくさんあるしやりたくないこともたくさんある。まあたぶん、やれるけどやってないことの方が多いだろうけれど。食わず嫌いも多い。

 大学を卒業して最初に就いた仕事で、自閉症など重度の障害を持った方々の就職活動の支援のようなことをしていた時に、この「人の真似をする」ということが絶対的に出来ないことが、彼らの能力を大幅に下げているのだ、ということを知って愕然とした記憶がある。

 私が毎日何となく人のふり見て我がふり直せていることが、彼らは出来ない。したくても、出来ないし理解できないのだ。心が揺さぶられた。そういう当たり前に思っていたことが、自分はできる。この事に初めて気がつくことができて、自分は恵まれているのだと理解した。今まで、他人の真似をしながら何となく生きている自分にどこか引け目を感じていたけれど、そんな自分も誇っても良いのだと少し自己を肯定できるようになった。別に大したことをしていなくても自分を褒めていいのだ、と気がつけた部分もある。

 ただ、別に彼らと比べて自分はまだマシだフフン、などと優位性を感じたわけではない。むしろ、他人に頼らず自己を確立していることが凄いしリスペクト、などと思った。通常、人は社会の中で他人を意識する事で自己を認識し、他者の中の自分を作っていくものだと感じているけれど、他者を意識しすぎて弊害となる事も多々ある。逆に他人のことなど気にせずありのままで生きられるというのは、ある意味幸せであると言えるのではないかなと思った。でもそれも家族など周りの支えのおかげであるということを、忘れてはいけない。結局人は、どんな人でも、外側だけではわからない。

 また何の話をしていたか忘れてしまった。そうだ、フリが上手い話。とりあえず、私はズル賢さはあり元来怠け者なので、できるだけ楽して生きてゆきたいと思っている。そのためにはまず、うまく生きている(ように見える)人の真似から始めて、何となくのらりくらりとこなしていけばある程度は上手くいくのだ。そういう感じで、上手な「フリ」をするのが上手いので、結果的に私もそのように周りから見えているのかもしれない、と思う。無論、私から見て凄いな〜と思う人でも、もしかしたら私のような人間かもしれない。それはそれで、面白いね。

 結局何が言いたかったんだっけ。何だか自分語りで書き過ぎてしまった。まあ日記なんて全部自分語りのオナニーか、などと自己完結して今夜は終わろう。

 結論なんてないけれど、そういう時がたくさんあってもいいよね。と思える人を増やしていけたらいいなと思う。ゴールゴールと目標ばかり立てさせられる世の中に愛はあるんか?今を生きないでどないすんねん、と。

 自分のご機嫌を取って今日を生きれる、そんな明日にしていこう。毎日エラいよ。

 おやすみ。

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