ぱだ

StrayKidsとNewJeansの🐱が好き /INFP/ 20代

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StrayKidsとNewJeansの🐱が好き /INFP/ 20代

最近の記事

推しの話をしよう(ナムジャグル編)

Stray Kids LeeKnowです、イケメンです。 こんなかっこいい人いるの?ってくらいの美形。 それなのに、性格はちょっと曲あり。 それも含めてめちゃくちゃかわいい。 🐱←本当にこれ。 リノの良さは言葉に表すのは難しい。 顔面!性格!全て!!! オフラインイベントに参加したときに、 お見送り会に参加した時、 「애교 해줘」って手に描いて見せたらルダハートしてくれた。 一瞬だけど顔を見たらこの世のものとは思えませんでした。 ダンスもうまいんですよ…歌もうまいん

    • 推しの話をしよう(ヨジャグル編)

      NewJeans Haerin、すっごく可愛くないですか? そもそもNewJeansメンバー全員可愛いのに 私のドドドタイプ過ぎるヘリンさん。 「この顔になりたい!」 そう思って、ロールモデルにして黒髪で伸ばしてみている途中。 6月のペンミもなんとか当たってプレミアム席で行けることになりました! 初の生ヘリンにワクワクドキドキ☺ これまで女の子のアイドルをガッツリ推すことは少なかったけど 女の子のアイドルを見ていると自分の美意識も上がる。 ということで、ダイエットも始

      • 子どものお金を使う母親

        この年齢になって、あれ、おかしいんじゃないかなと思います。 たしか小学生だった頃 私は親が作ってくれてお年玉とかを貯金する口座があった。 子どもだからそんな気にしていなくて お金を使うこともなかったから気づかなかった。 でもある時… 「あれ、引き落とされてる」 何十万くらい溜まっていた貯金が100円台までなくなっていた。 「なんで?」 小学生ながら不信感を抱いたのを鮮明に覚えている。 そして、こんなことをするのは1人しかいない。 母である 通帳のパスワードも知って

        • 認知症の祖母

          前兆は感じていた。 さっき話したことを何度も聞いてくる。 大学生でバイトに明け暮れる日々。 バイトは23時終わりで、私は祖父母の家に行かなくなった。 祖母と話すのが苦痛になったから。 バイトを言い訳に、こんなひどい孫である。 祖母は私といとこを比べた。 いとこは誰とでも社交的に話すのに、私は物静か。 それが私の中で気づかぬうちに「呪い」になっていた 社交的ではない、自分でもわかっている。 人の顔色を伺うし、これを言ったら傷ついちゃうかもと思う。 人の顔色を伺うように

        推しの話をしよう(ナムジャグル編)

          関西ジャニーズJr.

          小学生、中学生、高校生で「嵐」にハマった。 櫻井くんがとてもかっこよかった。 大学生で、「ジャニーズWEST」「関西ジャニーズJr.」にハマった。 「関西ジャニーズJr.」通称、関ジュが季節ごとに松竹座で舞台をやっていた。 当時はチケットも当たったし、 なにわ男子がないどころか、関ジュにユニットというものが存在しなかった。 夏松竹、冬松竹 1ヶ月の公演で月に4回東京から大阪に通っていた。 移動はもっぱら夜行バス。 だいたい2000円くらいで大阪まで行けた。 当時はそれ

          関西ジャニーズJr.

          アルバイト

          高校卒業と同時にアルバイトを始めた。 駅ビルの中のお蕎麦屋さん。キッチンで料理をした。 このバイトは大学在住中4年間続けた。 今でもこの時のバイト仲間は飲みに行ったりする。 お金を稼ぐことで、自分の時間を自由に使うようになった。 そして、アイドルに使うようになる。 平均で月8万円を稼ぎ、 その殆どを遠征費とチケット代に費やした。 アルバイトの店長は、 いまだから言えるがほぼセクハラ人間だった。 顔が良かったから何も言わなかったが。 そういえば、アルバイト初日 21時

          アルバイト

          20歳、淡い期待

          一足先に20歳になった兄が、父からメールで「20歳おめでとう」と 連絡が来たことを聞いた。 その時、私は淡い期待を胸にいだいた。 当時、父は私のことを大好きでいてくれた自信があったから。 「私が20歳になったら、パパから祝ってもらえるはず」 そうやって10年、顔も合わせていない父に思いを寄せていた。 そして、誕生日当日。大学に通っていた私。 帰りの電車で気づいた。 「まだパパから連絡がない」 当たり前だ。 父は私の連絡先を知らない。 でも兄から聞いて連絡してくれると思っ

          20歳、淡い期待

          学校生活と食事

          小学校と中学校が近かったこともあり、 ほぼほぼメンバーが変わらぬまま中学生になった。 小学5年生で名字が変わり、 配慮のない男子生徒に名字が変わったことをいじられ泣いたこと以外は 全く不自由もなく、周りの友人達は優しかった。 中学生になると 部活動で忙しくなり、家には寝る以外で帰らなくなった。 学校→祖父母の家(夜ご飯)→実家→学校の繰り返し。 今考えると変だと感じるが実家には食料が殆どなかった。 あったのかもしれないが、私にはそれを食べる権利がなかった。 土日の部活

          学校生活と食事

          家での居場所

          これぐらいの時から再婚相手の嫌悪感が兄に向くようになった。 思春期、自分の息子でもない兄を可愛がれなかったのだろう。 後から聞いた話だが、本当は兄は実の父が連れて行くと話していたらしい。 それを祖母が全力で止めた。 祖母は10何年後、認知症を患ったが、この時のことは鮮明に覚えているようで。 兄には悪いことをしたとずっと悔いていた。 兄が直接暴力を受けたのは、 再婚相手からではなく、実の母からだった。 母は、兄を椅子で殴り、寒空の中、家から追い出した。 私は、何も出来なか

          家での居場所

          アルコールと自殺未遂

          母の再婚相手は、お酒を飲むと手を上げる人間だった。 母も再婚相手には服従していた。 見ていられなくて、私は自分の部屋にいることが増えた。 再婚相手に怒られ、泣きわめく母の声は私の部屋にも届いていた。 ある日の夜。兄が再婚相手に「母が首を吊っている」と言った。 母は2階のバルコニーでヒモを使って首をしめていたのだ。 どこまで自己中心的な母なのだろうか。 勝手に離婚をして勝手に再婚して、勝手に私達をおいて死のうとした。 救急車と警察がきて、怖くて部屋にこもっていた そっと

          アルコールと自殺未遂

          母の鬱と、再婚

          母が鬱になった。 女手1つで私と兄を育てる重圧に耐えられなかったらしい。 私達は、ほとんどを祖父母の家で過ごし、母との時間をおろそかにした。 11歳、小学5年生の時、母に連れられ知らない男の人と出掛けた。 江の島の水族館だった。 兄は17歳、多感な時期。嫌悪感が私にまで伝わってきた。 そして、帰りの車の中で「大事な話がある」と切り出された。 なんとなく察していた。 私の「大事な話がある」という言葉が嫌いになった瞬間。 母が再婚した。 名字は選んでいいと言われたのに、こ

          母の鬱と、再婚

          10歳で人生初めての不幸、毒親の始まり

          両親は共働き。6個上のお兄ちゃんがいて、ごく一般的な家庭だった。 家の近くには祖父母の家もあって、可愛がられ、 この時が多分人生で一番何も知らない幸せな時期だった。 いつからか、夫婦喧嘩が始まり毎日繰り広げられた。 その時は理由もわからなかったが、後から聞いた話「父の浮気」が理由だった。 1階で両親が大喧嘩。 母のヒステリックな甲高い声が2階の私の部屋まで鳴り響いていた。 怖くて仕方なかった。やめてほしかった。 何回も「私がいるよ」「聞こえてるよ」「やめて」 そう思いな

          10歳で人生初めての不幸、毒親の始まり

          自己紹介

          はじめまして、27歳独身女のぱだです。🐱 MBTIはINFP、時々ISTPのどっちに転んでも内向的な人間。 一応、会社員として自立は出来ているはずです。 これから私のちょっと不幸な人生をつづっていきたいと思います。 もっと不幸な人はいるだろうし、そんなことで、と思うかもしれませんが 私にとっては今のちょっと曲がってしまった性格を形成した出来事たちです。 少しでも誰かのちょっとしたエンタメになればと思います☺ 依存してしまいがちな人生、 好きなアイドルについても投稿するか

          自己紹介

          LINE365日は1秒にも満たない

          入社した年の夏、先輩にご飯に誘われた。 最初は仕事終わり。 翌日の休日も同じ先輩に誘われてた。 なんとなく、この人私のこと好きなんだろうなと。 何度かご飯を行って、帰りは「送る」の言葉。 最初は駅まで、次は家の前まで。 学生時代に遊ぶだけ遊んでいたし ましてや、次の日も会う先輩とそんな気にならなかった 何度か家の前まで送って 「いつになったら入れてくれるの?」 焦った。今日ではないことは確実。 数日前から家の中で異臭が止まらなかった。 放置された玉ねぎだったことは次の

          LINE365日は1秒にも満たない