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父親

一昨年の9月に父親が癌で亡くなりました。

父親は最初に癌宣告をされてから10ヶ月ほどで亡くなりました。

その10ヶ月間は日に日に弱っていく父親を目の当たりにして「父親の死」がもう目前に迫ってきていることに怯え、毎日のように枕を濡らしました。

亡くなった日はいうまでもなく、死後1ヶ月ほどは

ただただ辛い、イヤだ、受け入れたくない

と感じ電車やバスのなかでさえすすり泣きしていました。

それからしばらく経って、気持ちがだいぶ落ち着いてきたところで気づきました。

生活にほとんど変化がない
そもそも何でそんなに悲しかったのだろう

父親は典型的な仕事人間で私が物心つく頃から週6.5で働いている人でした。

なので会話したことは両手で数えられるくらいしかしたことがなく、自分の思い出を振り返ってもそこに父親がいたことはほぼありません。

自分にとって父親って何だったんだろう?

それまで人前で
「父さんがもう死ぬ寸前」
「辛い」

だとか、思いの丈らしきものを吐露して泣いていたのがものすごく恥ずかしく感じました。

自分にとって父親がどんな存在だったかもあやふやなのに、よくもそんな泣けたもんだと、

自分だけが悲劇の主人公だと思い込んでいたんです。

「実の父が亡くなったのだから当たり前」
「家族が亡くなってるのにその自己批判はいらないんじゃない?」

みたいな声が聞こえてきそうですが、冷静に自分の気持ちを見つめてみると、父親が亡くなったことを言い訳にして同情してもらおうとしていた自分がそこには居ました。

それから、父親がどんな人だったかを法事や帰省の際に親戚や職場の人から教えてもらいました。

「息子の話をするときはいつも自慢げだった。」
「実はあのときも陰でこっそり見ていた」

みたいなありがちな話も聞きました。

ただ、父の私に対する愛情みたいな話は私の知りたいことではありませんでした。

亡くなったあとでそんなことを聞かされても何の現実味も無いし、むしろ悲しくなるだけだったからです。

私は父親がどんな人だったのかを知りたかったのです。

家族、仕事、趣味、これまでの人生etc...

父親はどんな考えを持っていたのか、何がしたかったのか。

そういうことを知ることの方がよほど今の自分にとっての父親像が見えてくると思いました。

けれど、

「何考えてるのかよくわからない人」
「真面目だったと思う」

そんな答えしか得られませんでした。

あまり母親と話すのは好きじゃないのですが、最終手段で母親から父親の人生年表を教えてもらいました。

母親でさえ

「何考えてるのかわからない人」

と言っていた人間の人生はまぁまぁ普通でした。

高校卒業後、実家を飛び出し東京に出てきて建築を学び、とあるブラック建築会社に入社。

働きまくって身につけた知識で専門学校の先生になったり、独立を考えたり。(独立は母親に止められたらしい)

最終的に生前最後の会社(中小企業)に入社して役立たずの社長の代わりに仕事の大半を受け持つように。
(「なるほど、だからほとんど会う機会が無かったのか」)

とまぁ、ひととおりの人生年表を聞きましたが何となくうっすらと人物像が見えてきただけに留まりました。

今、改めて考えてみてもやっぱり答えは出ません。

なのでこれを機に、答えの出ない父親探しはやめようと思います。

「天国で見守ってくれてる」
「見えないけれどずっとそばにいる」

とかまったく思わないですが、

とりあえず「屍を越えていくべき存在」としてこのnoteに刻み、父親とは本当の意味でお別れしたいと思います。

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