なぜ私は「理」を考えるのか④

感情を分解することで、「理」を取り出す

 嫌だ、嬉しい、悲しいと言った感情には「理」が存在する。しかし人間がいわゆる、”感じる”感情は純粋ではない。様々な要素が組み合わさっている。それを分解するには、前回述べた事象の分解が必須になる。

一つの事象に対しての感情は一つだけ

 大前提として、事象に対応する感情は一つだけだ。必ず一対一対応にな る。この理由は後に述べる。
 再び例を考えてみよう。
 「自分の前にケーキが置かれた」「嫌な人の前にケーキが置かれた」というもの。前回はこれを、


「自分の前にケーキが置かれた」→”自分の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
「嫌な人の前にケーキが置かれた」→”嫌な人の”+”前に”+”ケーキが置かれた”

 と事象を分解した。 

 そして見ている事象はケーキが置かれたというものなのに、「嬉しい」と「ムカつく」という相反する感情が生まれている。この差異はどこからくるのか。
 ここで私達が感じるとした感情「嬉しい」「ムカつく」は、全容ではない。つまり省略されている部分が大半である。
 「嬉しい」は「(ケーキが置かれて美味しそう、食べたい。それが自分のものになって)嬉しい」である。
 「ムカつく」は「(ケーキが置かれて美味しそう、食べたい。それが自分のものではなくて)ムカつく」である。
 つまり
「自分の前にケーキが置かれた」→”自分の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
「嫌な人の前にケーキが置かれた」→”嫌な人の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
 という「自分の前に」と「嫌な人の前に」の事象に対する感情が前に出てきてしまい、「ケーキが置かれた」という事象への感情が省略されてしまっている。
 そして「理」が存在する事象に対する感情は「ケーキが食べたい」なのである。実際には、この感情にすら省略された部分があるが、例として考えていただくと幸いだ。

自分の感情の省略した部分に気づくのが「理」を得るための方法

 我々が持つ感情には「理」があるが、気が付かずに省略をしている。自身の感情の省略部分を見つけていくことで、少しずつ「理」に近づくことができるのである。

 さて”事象に対応する感情は一つだけだ。必ず一対一対応になる。”に関しては次回述べる。

今回はここまで。適宜理論の穴などがあれば指摘いただければ幸いである。


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