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哲学との対話:道徳について

道徳はもう死語なのかもしれない。
個人的にだけど、あえて道徳について考えておきたい。

道徳的であることは、「良い人」を目指しているわけではない。
また、道徳的に生きたからといって「良い人」と思われるとは限らない。

多くのヒトが考える利己的な利益は少ないかもしれない。
しかし、あえて道徳について考えるべきだと思う。

日本の人口密度は高い。人と人との生活する距離が近いのだ。そういった環境で生きるには、そうでない環境で生きるより知恵がいる。
他人のことはお構いなしで好き放題やる人もいるが、生きていく上での知恵のなさを感じる。

社会学でいわれる「公共場の悲劇」を思い出すといい。

釣り人が、釣り場で騒ぎ好き放題していると、本人はそれで楽しく間違っていないと思っていても、他人への迷惑によって、その場での釣りそのものが禁止になってしまうという事例で説明できる。

それを防ぐには「マナー」「道徳心」が必要になるのだ。
それは人に対する態度でもあるが、自分を守る態度でもある。
こんな簡単なことを教えられない人が最近多いと聞く。

うまく生き抜くには「知恵」は不可欠だ。実は、好き放題に生きることは、最も生きにくい選択なのだ。

「ウチの旦那は外面ばかりよくて…」と奥様方はよく言う。しかし、男が外で無愛想であれば、その家族に対する評価はどうなるだろう。
想像してほしい。
外面の良さは家族を守るのだ。家族を守るための男の本能だといっていい。良い人だと思われたくてやっているわけではない。

女性はどうだろう。
お母様同士で、やたらと「ごめんよ〰︎」「ごめんな〰︎」を連発しているではないか。
そう言うには子供を守るために意味があるからだ。

これは都会でも田舎でも同じで、子供が大きくなると使わなくなる言葉だ。

ヒトは、うまく生きるための方法を無意識に生み出す傾向があると思っている。

道徳という言葉は死んでしまったのかもしれないが、そうやって生み出されたものだと思う。

道徳は、「良い人」を目指すのではなく、自分が生きやすくするための方法として、重要な意味があるものだと考えている。