今秋の僕の世界
最近のしょうもない僕の妄想についていくつか気楽に書きました。
妄想なんでカッチリした文章というよりもイメージ先行の思考です。
みんなはどんな世界を感じているんだろう
コウモリは僕とは違って超音波を感じる事ができるという点で、僕とは違う世界を見ている。
犬とか魚も、僕ら人間とは違った色の見え方をしているらしい。
それは僕の世界よりももっと赤いんでしょうか。
僕とあなたとでは、また、違う世界を見ているかもしれない。
僕は昨日途中までイヤホンを右左逆に付けて音楽を聴いていました。
みんなとは左右逆の世界を聴いていたんです。
このときは体の外で「つなぎ間違い」をしましたが、本当は体の中でもイヤホンみたいなつなぎ間違いがあったらどうでしょうか。
光が目に入ってきて赤、青、緑を感知するセンサー(錐体)と、僕らが脳で赤、青、緑を認識するところの間でつなぎ間違いがあったらどうでしょう。
そしたら、僕が(もしかしたらあなたが)「青い森」を見ている可能性も十分にありそうです。
風景が覚えてくれていたこと
このあいだ夕方に外を歩いていました。
まわりの景色を見ていると、フッと、小学校6年生のときに友達と話しながら学校から帰った記憶が蘇ってきました。
そして凄く懐かしい気分になりました。当時の感覚というか匂いというかなんというか、一瞬で思い出しました。
しかしその瞬間まで当時の事は全く忘れていたし、思い出そうと思っても出来なかったと思います。
そこは当時の帰り道から遠く離れた場所で、なんの繋がりも無い場所でした。
しいて言うなら、夕焼けの感じと山の感じが何となく似てるかなというぐらいです。
僕の頭にも無かった当時の記憶は、僕を離れて、こんなささいな風景の中にずっと記憶されてたんだと思うと感慨深くなって思わず写真を撮りました。
月
このあいだ日本全国で見られた皆既月食を野次馬根性を持っている僕もご多分にもれず見ました。
まわりも何人か立ち止まって見ていました。
一応そのとき写真を撮りました。
まあまあ綺麗でしたが、普段からポケ〜っと空を見ながら歩いてる僕からすると、最近の1番ではありませんでした。
最近で1番綺麗だったのは10月10日の月でした。
月に薄い雲がかかっていて、そこに月光が当たって虹色の円が出来ていました。
皆既月食を見ながら、
「みんなは10月10日に月を見上げることはなかったんだ」
と思うとちょっと嬉しくなりました。
そして、僕はみんなよりも上を向いて歩いていることを再確認しました。
神様と私達の関係
この世界はどうやって動いているのでしょうか。
神様がこの世界を創り、動かしているんでしょうか。
神様が私達の世界を創ったのなら、神はどこに存在していて、どこで創ったのでしょうか?
神様がいる世界というのがあって、その世界の中で私達の世界に影響を与えているのでしょうか?
もしそうだとすると、この「神の世界」には神様は1人しかいないんでしょうか?
いや、私達の世界に生き物がたくさんいるように、神様ももっとたくさんいたっていいと思います。
そうすると、1人の神様だけでなく、「神の世界」全体で「私達の世界」に影響を与えるのでしょうか?
うーん…
そうすると、「神の世界」はどうやって創られたんでしょうか?
神様にとっての神様みたいな人がいて、その人達が「神の神の世界」みたいなところから「神の世界」に影響を与えているのでしょうか?
そうすると、
神の神にも神がいて、
そいつにもまた神がいて、
…
と無限に「上の世界」があるんでしょうか?
無限に神の神の…と続くということは難しそうに感じます。
「私達の世界はゲームやコンピュータの中の情報空間である」みたいな説がありますが、神の神の…と無限に続けば、情報量やメモリ容量も無限に必要になってしまうからです。
そうだとすると、この「世界の連鎖」は途中で止まって、よく分からないけど1番上の世界があるんでしょうか?
そうすると、「1番上の世界はどこで創られたのか問題」をまた考えないといけなくなります。
「1番上の世界はどこで創られたのか問題」を回避して、かつ、無限の連鎖を途切れさせることなく有限の情報量にするにはどうしたらいいのでしょうか?
こうしたらどうでしょう。
「1番上の世界」にとっての「神の世界」はなんと!「私達のいる世界」で、知らず知らずのうちに影響を与えていると考えてみるんです。
こうすると、ぐるぐると無限の連鎖を続けながらいくつかの世界だけですみます。
もしそうだとすると、面白い事がおきます。
私達が元々神だと思って居た人達にグルっと1周して影響を与えることになります。
これは、「神が私達に影響を与えている」と同時に「私達も神に影響を与えている」ということになります。
これによって、どちらが上でどちらが下という事がなくなり、「全ての世界は同じ立場」と考えられそうです。
もしそうであれば、「神の世界」とか「神の神の世界」といったネーミングは少し的を得なくなりますね。
「私達の世界」の他にも似たような「違う世界」がたくさんあってそれらが互いに影響を与えながら存在しているという現代物理の「マルチバース」みたいな考え方に偶然似通ってきます。
まあ、じゃあこれで解決なのかというと全然そんなことはなくて、「円形のすべての世界はどこにあるのか?」というそもそもの問題は残ってしまいそうです。
ただ、「世界がどうやって動いているか?」という問いには、「互いに影響を与えあって動いている」とザックリと言えそうです。
そうなると、「人の意志」みたいなものは何もなくなって、全ての世界は機械仕掛けの歯車のように「世界が決めた動き」しかできなさそうです。
なぜなら、Aさんが違う世界のBさんに影響を与えて、BさんがCさんに、…、YさんがZさんに、ZさんがAさんに影響を与えるとすると、1周回ってAさんがAさんに影響を与えることになります。これはAさんの最初の行動(Aの世界の最初の行動)によって、Aさんの次の動きが決まるということで、まさしく機械仕掛けのようだからです。
こういうロマンみたいなことをたまにはゆっくり考えたいですね。
奇妙な史上初
ときどきショッピングモールとか観光地のはじの方を見て、
「地球が出来てから今まで、あそこに5秒間立った人間はいないんじゃないか…」
「今、僕があのすみっこに行って5秒間立ったら史上初なんじゃないか…!!」
と思うことがあるんです。
そして、中学生の頃、1回そう思って実際にやったことがあります。すると、
「ひょっとしたら、立つぐらいなら誰かした事があるかもしれない…」
という謎の恐怖にかられ、
「よし、この場所で右回り左回りそれぞれ1回転して、更に!片足立ち5秒なら史上初だろ!」
と思って僕はこれを見事に成し遂げました笑
誰かに見られてたら終わりです。
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