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監督インタビュー【音声ガイド制作者の視点から】映画『こちらあみ子』森井勇佑監督へ

Palabraでは、新藤兼人賞金賞を受賞された監督の作品に副賞としてUDCast賞を贈呈しています。日本映画製作者協会が年間No1に選んだ新人監督の作品をさらに多くの観客に楽しんでいただけるよう、2019年に創設されました。第27回新藤兼人賞金賞を受賞されたのは、森井勇佑(もりい・ゆうすけ)監督。監督デビュー作でもある『こちらあみ子』にバリアフリー字幕と音声ガイドを制作しました。制作した字幕と音声ガイドはアプリ『UDCast』に対応しています。

バリアフリー版制作のモニター会に参加し、監修いただいた森井勇佑監督に、音声ガイドを書いた上原紗保里(うえはら・さおり)と音声ガイド監修の松田高加子(まつだ・たかこ)からインタビューをしました。

モニター会で興味深かったところ

森井:タイトルのところでのやり取りがおもしろかったですね。松田さんが引きの画であることに関してスルーしたことが気になって…
 
※補足:庭の引きの画のなかで、縦書きのタイトル「こちらあみ子」が、立っているあみ子の後ろ姿の横に、頭から足の尺の中に表示される。

松田:原稿を提出する前に、上原さんにこの出し方面白いから何かガイドしてみてもいいかも?というような提案をしていたんですね。

見送るあみ子の後ろ姿。
その横にタイトル。縦書きで、「こちらあみ子」。
手書きのタイトルがちょうどあみ子の背丈と並ぶ。

音声ガイド原稿

としていたのですが、来てくれていたモニターさん2人のうち、一人は生まれた時から全盲で、もう一人は幼い頃に少し視力があって色は見たことはあるけど、現在は全盲という方々でした。お二人とも頭ではスクリーンという四角いフレームの中に映像が映し出されていることは分かっているけれど、体感としては分からないので、中に入っている感覚で映画を観ていることが多く、タイトル文字が等身大の人間と同じ大きさでイメージして、かなり大きな文字という感覚で受け取っていました。

音声ガイドモニター会の様子 モニター画面にタイトルの場面

森井:それで、アングルに縛られないということや、被写体との距離が声の大小で分かるのかと思って、モニター会では目を閉じて観たりしました。
 
上原:今回の作品のモニター会で特に印象的だったのは、いくつかのワードに対してモニターさんから「あみ子っぽくない」というご指摘を受けたことです。
私はまだまだタイミングを合わせて収めなくてはという思いにとらわれてしまいがちで、「あみ子っぽさ」まで考えつくせていなくて…。
例えば「一瞥」という言葉を使っていた部分について視覚障害のあるモニターさんから「あみ子っぽくない」とご指摘受けて、5年生のあみ子というキャラに合うように、「ちらっと見る」に修正したり、パジャマを寝間着に修正したり、何箇所か作品に寄り添うワードに変更しました。
監督がガイドの中で引っかかる「言葉」のようなものはありましたか?
 
森井:音声ガイドのモニター会の前にバリアフリー日本語字幕のモニター会(※補足:モニターは聴覚障害のある方々)に参加したのですが、字幕の方が、スクリーンに文字が映し出されるので、強く反応してしまいました。
例えば、“お化け”の音をどういう擬音で、文字で表現するか?とか。
 
松田:確かに、健聴者にとっても聞いたことあるようなないような不思議な音ですし、文字で確定するのが難しいですね…。
(松田注:字幕は「カタカタ… ボコボコ…ザザザ」というような表記になりました)

森井:そういう点では、音声ガイドは意外とすんなり聞けていたかもしれないです。
文字でみる情報の方が気になる点が多かったので、自分は視覚に頼っているということなのだと意識する機会になりました。

新藤兼人賞授賞式で字幕モニターと手話通訳を介して話す森井監督

原作と映画版の話

松田:ちなみに、原作と映画版とのスタンスはどういう感じなのでしょうか?
 
森井:忠実です。基本、今村夏子さんの原作の小説が好きで企画したので、読み込んで読み込んで台本に起こしていきました。
 
上原:モニターのお一人が原作を読んでいらして、「原作であみ子は歯が欠けるけど、映画ではどうするのか気になっていた」とおっしゃって、それに対して監督は「インパクトを出すため、折れた鼻を大きめのガーゼで覆い、バッテンにテープで止めました。ちょっと覆面レスラーっぽいというか…」と答えられました。 
モニター会で読み上げた原稿ではテープのことを言えていなかったのですが、このやり取りをきっかけに描写を変更しました。晴眼の鑑賞者は起きた事件に複雑な思いを抱えながら、あのテープを貼ったユーモラスな顔にくすっとしつつ、切なさのようなものを募らせるようなこのシーンをより伝えられるガイドになったと思います。
原作の大ファンで忠実に映画を作られたとのことですが、この部分を変えた理由はどのようなことなのでしょうか?
 
森井:予算的な問題です。歯を欠けさせる以外の方法としてどうするかといろいろ考えて、鼻が折れたということにして、演出であみ子の顔に大きくバッテンの形にテープを貼りました。脚本の一稿は原作と同じように歯が欠けるパターンで書いて、おばあちゃんの家に行った後のあみ子から始めました。でも、あみ子が欠けた歯を見せてそこから話が始まるから原作は面白いのであって、折れた鼻が治っている状態から始まっていても面白くならないと思い、脚本を直していきました。

気になった「音」の話

上原:音声ガイドは音との関係が大切です。原稿を書きながら、今作は音にもすごくこだわっていらっしゃるのだろうなと感じました。先日行ったガイドナレーションの収録の際に、孔雀の鳴き声を使っているというお話が出て、監督は「そこに関しては青葉さんにお任せしました」とおっしゃっていました。音楽担当の青葉市子さんとはどのようなバランスで今作を進められたのか、伺えますか?

場面写真 お化けたちとピクニックするあみ子

森井:「孔雀の鳴き声」はお化けの行進のシーンで入っていた音ですよね。
青葉さんが「ここに孔雀、どうですかね」って言って、僕は孔雀の鳴き声を知らなかったのでピンとこなかったのですが、スタッフさんが探してくれた音源を聞いてみたら猫の鳴き声にしか聞こえなかったです(笑)(松田注:実は上原さんもニャーニャーと明らかに猫の鳴き声として表記していました)ここは青葉さんのアイディア通りにしました。入れた理由は特に聞いていないですね。
バランスで言うと、青葉さんがデモの断片をいくつも作ってくださって、やりとりしながら進めていったという感じです。例えば川辺の階段のシーンであみ子が階段を降りるのに合わせてポロンポロンと音を入れてくださったのは青葉さんのアイディアです。
 
上原:前半であみ子がオレンジを投げて、落ちて来なくなるときに微かに「ヨイショ」と入っていますが、これも原作にあるものなのでしょうか?
 
森井:原作にはありません。オレンジが落ちてこないのは脚本にもありませんでしたが、撮影当日に追加しました。
「ヨイショ」はなかったのですが、青葉さんからエンディングで流れる主題歌「もしもし」はあみ子をずっと見守っているであろうお母さんの目線で書いてみるのはどうでしょうという話がきて、その後に「ヨイショ」を青葉さんの声で録っていただいて、あのシーンに当ててみたらハマったという感じです。
 
上原:そういった流れがあったのですね。
他にも気になる点がありまして、保健室のシーンでチャイムの音がおかしくなりますよね、あれは元々決まっていたのですが?
 
森井:シーン的にチャイムの音を入れるのは決まっていました。あと、あみ子と保健室の照子先生が揃って上を向いている画も欲しかったんです。現場では普通のチャイムの音だったのですが、撮っていたらあみ子が芝居に戻るのを忘れちゃって、ずっと上を見続けちゃったんです。あみ子の奇跡だと思いました。
 
松田:音声ガイドでは「天井を見上げてキョロキョロするあみ子。」と入ってますね。
照子先生は、マイクを渡してからあみ子の方に体を向けて歌い出すのをじっと見てくれるので、この人はあみ子にちゃんと向き合ってくれる人だ、て思って見てました。
 
森井:保健室にカラオケのマイクやクッキーを忍ばせているくらいだから遊び心があって、どこかあみ子的な人なのでしょうね。
 
上原:あみ子に向き合ってくれる照子先生があの後どうなったのか心配になってしまいました。
 
森井:でもあみ子は保健室で起きたことを誰にも言っていない。あみ子とのり君しか知らないことですから。
「誰にも言うなよ」ってのり君に言われたのでしょうね。のり君はのり君でずっと誰にも言えず背負っていかなきゃいけないからしんどいですよね。
保健室から出てくるのり君の背中も好きなんです。
廊下の端にいる女子たちに気づかれにように手を隠しながら歩いていく姿。失敗し果てたあとの…。
 
上原:保健室のシーンでのり君がソファに乗った瞬間のパン!という音に被せる形でガイドを書いてしまっていて、モニター会で監督にご指摘いただき、慌てました。
改めて、画面に映っていないけど視覚で読み取っていることは何かを整理した上で、肝になる動きに絞って音が活きるようにしました。ガイドが難しかった部分でもあります。
このシーンをあえて足元だけ映したのにはどういった演出意図があるのでしょうか?
 
森井:シンプルに子供同士のバイオレンスな映像は撮りたくなかったですし、大人同士だと当て振りしたりしますが、そうするのは興醒めだろうと思いました。
また、このシーンだけでなく、全編通して四角で切り取った画面の外を感じるものにしたかったのです。多くの映画は役者のアクションを追いかけてカメラも動きますが、今回はカメラを固定して、あみ子が出たり入ったりする撮り方をしています。
保健室のシーンもできないからああ言う風に撮ったのだなとお客さんに受け取られていなかったので、画面外で起きていることを感じさせることができたのかなと思います。
 
松田:2人がセリフを叫び合うところから、のり君が保健室を去っていくところまでのドラマは確かに視覚じゃないところで観てました。
 
上原:画面の外、つまり晴眼者も明確には見てはいないので、視覚を使わなくても音やセリフから理解しているそういうことが音を豊かに感じさせてくれたのかな。
モニターさんたちには音の力でさらに広い世界が見えていたかもしれないですね。

松田:のり君が謝りに来た翌朝の登校シーンの不穏な音楽には、全神経を集中させるような効果を感じました。気だるそうに歩く子ども達から退廃の雰囲気が醸し出されていて。
 
森井:あれは、子ども達には、3倍速の遅さで歩いてもらってました。朝イチでだるいから、と説明して。
不自然にしたかったんですよね。
 
松田:そこにずんずんと前から迫ってくるのり君。怖かったですね(笑)

小道具や衣装について

上原:あみ子の青いランドセルは、大沢さんが選ばれたとお聞きしたのですが…
 
森井:いくつかこちらで選んでからどれがいい?と聞いた感じですね。
 
松田:綺麗な青でしたよね。

場面写真:ランドセルを背負ったあみ子とのり君の登下校の風景

上原:まさに「あみ子っぽい」という感じがしました。
あみ子が保健室から出ていって、帰宅する途中で女性とすれ違います。眩しいほど白い衣装ですが、監督の演出として選ばれたのですか?
 
森井:そうですね、あみ子との対比を際立たせるためですね
 
上原:やっぱりそうなんですね。他の小道具や衣装でなにかこだわったものや印象的なものはありますか?
 
森井:クッキーです、いろいろ探しました。
丸いクッキーで半分だけチョコがついているものとかもあったのですが、うまく行かなそうだなと思って、片面全部がチョコに覆われているクッキーにしました。
結果、あみ子のアクションが今の動きになったので良かったと思います。本当に何か入っているんじゃないかと思うくらい、無心でチョコを舐めるんですよ。
 
松田:はっきり説明しないというのを含めて、はっきり見せなくても伝わるのはすごいことだと思うんですけど、伝わるかどうかという確認はしていたのでしょうか?
 
森井:台本の時点で構造がしっかりしている確信がありました。それは今村さんの小説のすさまじいところですね。だから多少足したりしても大丈夫だとも思っていました。
フランケンシュタイン映画の挿入とか。挿入している映画に意味はないんですけどね。
 
松田:あのシーンは、音声ガイド視点から言うと、カット変わりにいきなりモノクロのフランケンシュタイン映画が始まる。モニター会時点での音声ガイドではフランケンの次のシーンで、窓辺のあみ子のことを説明していて、モニターさん達があみ子がフランケンシュタインと一緒にいるように聞いてしまいました。
じゃあ、分かりやすくするために、カット替わりに「居間のテレビにフランケンのモノクロ映画」と言うのか、ということが検討事項になりました。
カット替わりになんの説明もなくフランケンを見せられているのは晴眼も同じ。
でも、お兄ちゃんが観ていたテレビ映画の中身だ、とも理解している。
それはどのタイミングで何のせいか?を探りました。
そしたら、お兄ちゃんが居間のソファで明らかにテレビを見ているという姿勢で寝転んでいるのを見てそう思うことに気付いたので、晴眼が見ている順番で映像を説明したらすんなり伝わったということがありました。
書き方は色々あるのですが、この映画のように説明しなくても伝わるような作りのものに、説明的なガイドをはめるのはおもしろさを引き出せないな、と。
 
森井:何が映っているのだろうと思いながら観る。
 
松田:監督がそう撮っているからなるべくそこを出したい。
 
森井:おもしろい仕事ですね。翻訳ですね。

あみ子ちゃんという奇跡

場面写真:道で側転をするあみ子

松田:保健室のシーンであみ子ちゃんの奇跡がありましたが、映画全体、とにかくあみ子ちゃんの奇跡みたいなもので埋まっていると思うんですが、食卓でお父さんから引っ越しを切り出された時、鳥の骨をガリガリ食べながら「離婚じゃ」て言う。まぁ、そうだよな、てこちらも思う。でもそれはホントは・・・というところ、やられました。
 
森井:すごかったですね、あの言い方。間の取り方がいいですよね。
 
松田:先生が来た時の勝手口での「やる気ないねぇ」の言い方も絶妙すぎました。
 
森井:カメラの前で焦ったり全然しなくて、独特な間の取り方に繋がるんですよね。
 
松田:個人的には、ラストの手漕ぎボートのシーン、撮影は大変だっただろうなと想像していました。
お客さんとして観ていれば、そこまでの流れがあるから、あのふわっとした感じで現れるのが自然なんですけど、音声ガイド視点で何度も見ている内に、これは結構大変そうだな、と。
 
森井:どえらい早朝から準備して大変でした(笑)
 
松田:でも、すごく重要なお別れのシーンで。
そんなシーンなのにおかしみ満点なのが、文字通り満点!でした。
 
上原:ラストといえば、実は、もともとラストのカットには、表情のガイドを入れていませんでした。
モニター会であみ子の笑顔がイメージできてるか?と確認を入れたら、笑顔じゃないとも思わないけど、あるといいかも、と意見をいただいて。
 
森井:全部書くわけじゃなくて、映画の文脈を掴んで、何を拾って何を書かないかは難しいですね。
 
松田さん:はい。なので、私達としては監督に判断していただかないと、と思うわけです。
 
森井:最後の笑顔に関しては激しく意味があるので、入れてよかったと思います。

松田メモ:
インタビュー現場では上原さんがマジメにインタビューをしてくださり、
そこから引き出される森井監督のお話にどんどん引き込まれて、後半は松田の雑談がたくさん混ざってしまいました。(実はモニター会では松田の進めるスピードについていくのが大変だったことなども…汗)
「こちらあみ子」は観た後に話が弾む映画なのではないかと思います。もちろん、一人で観て、かみしめるのもまたよしですけどね・・・。

映画『こちらあみ子』を音声ガイド付きで観るには

音声ガイドは「UDCastMOVIE」アプリに対応。アプリをインストールしたスマートフォン等の携帯端末に、作品のデータをダウンロードして、イヤホンを接続してお持ちいただければ、全ての上映劇場、上映回でご利用いただけます。

『こちらあみ子』作品情報

こちらあみ子 チラシ画像

広島に住む小学5年生のあみ子はちょっと風変わりな女の子。優しいお父さん、いっしょに遊んでくれるお兄ちゃん、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいるお母さん、憧れの同級生のり君、たくさんの人に見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。だが、彼女のあまりに純粋無垢な行動は、周囲の人たちを否応なく変えていくことになる。誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに話しかけるあみ子。奇妙で滑稽で、でもどこか愛おしい人間たちのありようが生き生きと描かれていく。

キャスト:大沢一菜 井浦新 尾野真千子                                                   監督・脚本:森井勇佑 原作:今村夏子(ちくま文庫)音楽:青葉市子
配給:アークエンタテインメント株式会社
Ⓒ『こちらあみ子』フィルムパートナーズ

森井勇佑監督プロフィール

1985年兵庫県生まれ。日本映画学校 映像学科(現日本映画大学)を卒業後、映画学校の講師だった長崎俊一監督の「西の魔女が死んだ」(2008年)で、演出部として映画業界に入る。以降、主に大森立嗣監督をはじめ、日本映画界をけん引する監督たちの現場で助監督を務め、本作で監督デビュー。

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